音が気になる

生活音

人と一緒に暮らすということはそれが例え親でも自分にとってはとてもストレスになる。
一つ屋根の下にいるというその事実だけで、とてつもなく疲弊してしまう。
そして、さらに声や生活音が聞こえるともう一定時間は耐えられない。

みんなどうやって生活しているのだろうか?

ドアの音や、足音もそうだけれど一番は声とその声から形成される会話の内容。さらに複数人で会話されるとその全ての人の声が気になってしまう。

さらに外食した時は他のお客さんの会話まで聞きたくなくても聞こえてきてしまう。
だから基本的に外に出る時はイヤホンをしている。

お行儀は悪いことは承知の上で、外食でも平気で食べながらイヤホンをしている。

他人の会話が聞こえるくらいなら自分の咀嚼音が響く方がよっぽどマシだ。

だから必然的にイヤホンをつけてもまあ、許されるであろうファミレスに行く。

電車の中でも会話が気になってしまう。走行中の轟音をかき分けるように他人の会話が聞こえてくる。だから、電車で寝る時も、必ず、イヤホンで音楽を流す。

いや、むしろ音楽を爆音で流さないと寝れないような体質になってしまった。一定の音量で、聞き馴染みのある曲を爆音で流すことで落ち着いていられる。

夜も同じで、基本的にはイヤホンをつけて寝ないと寝られない。
それにイヤホン以外の音があっても夜は寝られない。例えば、空気清浄機や換気扇の音でも静かな設定にするか電源を切らないと気になってしまう。

どんなに疲れていても、「何か寝られないな〜」っと思ったら大体つけっぱなしだったりする。その度に、重い体を起こしてでも消しに行かなけば寝られない。

イヤホンからはyoutubeだったり、ラジオだったりを流しっぱなしにして寝落ちすることが多い。無音だと逆に今度は考え込んでしまって寝れないからだ。

いつからこんな生きにくい体になってしまったのだろう。

大人になってからの方が圧倒的に生きづらい。

幼少期はなぜ、気にならなかったのだろう。なぜ、何事もなく生活できていなのだろう。

今はとにかく、無音のところで暮らしたい。
そして、今やイヤホンは自分にとっては生命維持装置となっている。
なくてはならないもの。欠かせないもの。

だからAirpodsも2台持ちだ。
バッテリーが切れれば、すぐにポケットからもう一方のAirpodsを取り出し耳に付け替える。

完全に依存症となっている。
それは家にいる時でも変わらない。

常に耳の穴は塞がっている。

これほどまでに耳を酷使していたら突発性難聴は時間の問題と思っているのだけれどそれでもやめられない。

もし、耳が聞こえなくなったらその先の人生はまたも新たな地獄だろう。

ああ、どうしたものか。俺の人生は地獄に落ちる気配はあっても好転する兆しは微塵もない。




"イヤホンから溢れ出すエネルギーは恋愛より高出力”

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