恐怖を感じたい
意味もなくただ惰性で呼吸して時間が経つことだけを待っている日々を過ごしていると、恐怖を感じたくなる。
怖いと感じることで生きている実感を得るためだ。
ホラー映画も昔は見なかったけれど、今では見るようになった。
最初は怖いと思ったけれど、でもどんどん見るうちに結局、フィクションだと思い怖くなくなってしまった。
それほどまでに感性が鈍っている。
もっと恐怖を感じないと生きていると感じない心になってしまった。
だから本当にどうしようもなく落ち込んで恐怖を感じたくなった時は、近くの森の公園へ深夜に一人で行く。
その森は一応、公園として整備されているので、多少足場は悪いけれど、道に迷うことはない。
でも、当然ながら街灯はないので夜に行くと本当に真っ暗だ。
森の入り口は多少の街灯があって、森の中の道がどうなっているか全て把握していても毎回、森に入る時は恐怖感と緊張感が味わえる。
最初は目を慣らすため、ゆっくりと森の中に入る。怪我をしないようにすり足で足元を確認しながら入っていく。
徐々に夜目が効き始めると多少、夜空の明かりを頼りに見えるようになる。それでも、「ああこれくらいしか見えないか」と思うほど怖い暗さだ。
普通の人なら確実に懐中電灯を持って入る暗さ。
スマホをライトでも物足りないくらい暗い。
でも自分は恐怖を感じたいから何もつけないで夜目と感だけを頼りに、進んでいく。
多少歩ければ、恐怖にも慣れてきて、深夜の森の美しさを感じられる。
別世界に入り込んだような感覚にもなれる。
例えていうならジュラシックパークの世界に入り込んだような感じ。
動物や幽霊も怖いけれど、一番は人に出くわすのではないかという恐怖がある。
夜鳥の観察や昆虫を取りに来ている人がいるかもしれない。
「何してるんですか?」と問われて「恐怖を味わいたくて、一人になりたくて」と答えて怪しまれないだろうか?
不審者と間違えられないだろうか?
そんな別の恐怖も夜の森に入ると感じることができる。
でも結局、誰もいないのだ。
そして、しばらく歩いて、お気に入りのちょっと綺麗な場所に寝そべって木々の合間から見える空を眺める。
全てのことが忘れられるような、本当に空なのか、木々なのかわからなくなるほど不気味なマダラ模様の黒と灰色の景色が風の音と共に揺れている。
もうこのまま時間が止まってくれればいいのにと思う。
いっそのことここで寝てしまおうか。
でも朝になったら誰かくるかもしれない。
そう思うと面倒になるかもしれないと思い、しばらく休憩してからまた来た道を戻る。
今、足音を立てているのはこの森で自分だけだ。
そう思うたびに恐怖心が襲ってくる。
そして、生きていることを実感する。
深夜の森の暗さや恐怖を体験したら夜の街の暗いところであっても全然明るく感じてしまう。
ああ、この体験を、この好奇心を何かに活かせないものだろうか?
”無音で生きるほど難しいことはない”