私が親と絶縁した年


沖縄の荒れた天気


2019年の秋、弟から1本連絡が入って、

母親が倒れたから来て欲しいとのことでした。

私はその時東京で、飲食店の店長をやらしてもらっていたのですが

オーナーのお陰で、実家がある静岡へ新幹線で直行しました。

脳梗塞で倒れた母親は、手術後意識が最初ふわふわしていて、子どもがえりしてるようなところが見えました。

弟が言う曰く、母親がいなくなったら家のことをしてくれる人がいないことも心配していたみたいで

兄と弟は、母親を前に凄い涙ぐんでいましたが
私は凄く冷静な目線を母親に浴びせ

そんな事を思ってはいけないのですが、

「このまま死んでくれたら楽なのに、、」

と、脳裏によぎっていました。


私が完全にこれは絶縁したなと思ったのは、

コロナ騒動が起こって2021年でした。

2019年に母親が倒れた以来から、連絡はなく
でも元気にしてるというのは、母親の友人がわざわざ親孝行しろとお節介にも連絡をしてきたので知っていました。

2024の半年が経った今でも家族から連絡は来ていません。

このコロナ騒動のおかげか、

大して親は自分の娘を気にしていない事が浮き彫りになったそんな年でした。

倒れる前も、弟から召集がかかるまで一切連絡は来なかったです。

2012年に大学入学しましたが、
その一年後には母親がお金が必要だと言い
休学をお願いされて

奨学金のお金を全てカードから抜かれていたこともありました。

その学費をまた稼がないといけないということで、掛け持ちして朝から晩まで働き続けたことがあります。

過労が祟って最終的に、復帰する頃には交通事故にあったり、もう二度と治らない病気にもなっていました。

そして、いつしか大学を辞めていました。

幼少期は、親が離婚していて
大変だったので家のことを手伝ってと言われてたのですが

その時高校まで虐められていた心労でとても苦しい時期でした。

手伝いが出来ない時は蹴られたりもしました。
役に立たないヤツは生きる価値ないと罵られたり、お前を生まなければ良かったとも言われました。

家庭にも学校にも居場所がなくて本当に辛い時期だったと思います。

兄弟は母親に手伝いはお願いされないのですが、その理由は男は外に出て活躍するものだからとのことでした。

それが異常だと分からないまま過ごしてきたので

大人になって実家と距離が離れてから、

その異常に気づきました。

どんなに家族仲を再生させようと思ってもムリな大きな溝があることに気づいて

今も、東京で一人暮らしてるのが現状です。

家族仲が悪いということが、

自分の中で家族や結婚と言うものにあまり良いイメージが持てなくて

そのことが今も影響しているなと感じています。




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