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休日の昔と今

私はもともと、週末2日休みがあれば、どちらか1日は家でゆっくりしていたい人だった。
そうじゃないと息が詰まってきたりするし、疲れも取れなかった。

しかし今では、仮に土日のどちらも出かける用事があっても、そんなに負担感を感じなくなった。
というよりも、子どもが生まれてからというもの、家にいようと用事で出かけようと、疲労度に差がなくなってしまったのだ。


かつては「休日」は「休日」だった。
しかし、子育てを始めてから、休日は休日ではなくなった。
寝たい時間まで眠ることはできず、なぜか平日より早く起きる子どもにたたき起こされる。

その後休むことのないお世話に追われる。
そして、朝も昼も公園に連れて行ったり、家の前で走り回ったりするのを見守る。
さらに四六時中相手をしながら週末に溜めていた家事をこなす。
子どもと遊ぶのがそんなに得意でなかった私は、そんな1日にぐったりしていた。
むしろひたすらいつもの公園で彼らと遊ぶのならば、いつもと違う少し遠い場所や、イベントに出かけた方がよほど間がもって楽だと思うようになったため、割とあちこち子どもの喜びそうな場所を調べては出かけるようになった。

そしてそんな1日に比べれば、子を残して自分が自分の用事で出かけることは、子守をして過ごす方が数段楽だと思うようになった。

週末に「休む」という概念がなくなってから、もはや週末はどこで何をしても疲れることに変わりないので、予定を入れることに抵抗がなくなった。
よく言えば、体力がついたともいえるのかもしれない。
フットワークも軽くなった。

しかし、あんなにうんざりしていた休日も、きっと少しずつ変化する。

子どもたちがほんの少し大きくなった今は、毎週のように通った公園に行ったりすることは減り、かわりに休日は朝も昼もかわるがわる上の子と下の子を習い事に送り届けては戻る1日になった。
休みの日に子どもたちの用事で走り回ることに変わりはないが、もう公園で一緒に走り回ることも少なくなるかもしれない。

四六時中相手をさせられていた絵本やおもちゃも、タブレットやゲーム機に変わった。
「おかあさん見て見て!!」
と呼ばれまくっていたのに、今ではこちらが呼んでも夢中になって返事もしないくらいだ。

今日が最後と分からないままに、いろいろなことが最後になっていくのかも知れない。
そのうち、送迎も必要なくなり、友達と遊んで帰ってこないなんて日も訪れるのかもしれない。
日々変化する今を、1日を、もっとかみしめないとな。


※ライター江角悠子さん主宰のオンラインサロン「‎京都くらしの編集室」の「noteチャレンジ」に参加しています。
今回は『昔と今、変わったもの』について書きました。


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