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朝ドラ『オードリー』と京都の美学

映画『ローマの休日』のアン王女は、何一つ自分で決めることが許されない王室という星の元に生まれた。NHK連続テレビ小説『オードリー』の主人公美月も、一般の人から見たら羨まれる環境(京都の老舗旅館『椿屋』)の元でお姫様のように育てられ、オードリー・ヘップバーンの大ファンでアメリカ育ちの父から『オードリー』とニックネームをつけられるところから、物語が始まる。

このドラマの展開に目が話せなくなってしまう理由は、登場人物すべてが、現実と理想の2つの世界を持ち合わせていて、それぞれがどっちの世界に転んでいくのかが一筋縄では読めないところにある。ドラマの主人公美月の現実と理想はちょっと複雑で、東京生まれの実母愛子と生粋の京都人養母滝乃から受ける二人の違う価値観と、その母の元に集約される日本的な考え方と父春夫から受けるアメリカ的な価値観という入り組んだ二重構造になっている。さあ、この「人から羨まれるけど普通でない家庭」に生まれた主人公はどう成長していくのか、とワクワクしながら見ていくと、彼女に関わる全ての登場人物が、それぞれの現実と理想で葛藤していることがわかっていく。主人公を取り囲む家族たちは皆、「本当の自分の生き方はこうではないのでは」という共通の悩みを持ち続けながら歳を重ね、そして美月が成長して出会う映画業界で働く仲間たちも全員が、大型時代劇を映画で撮るという理想と、もう時代劇を必要としなくなった社会の現実との間で揺れ動いていく。

総勢20人ほどの脇役たちの葛藤が、どれも宝石のきらめきのように鮮やかに描かれている中で、一点だけ、絶妙にぼかしているところがある。それは、ドラマの根幹となる「主人公が育つ普通でない家庭」を作り出した張本人、滝乃と春夫の関係だ。

愛子から、亡き夫春夫との関係を聞かれた滝乃は、「東京の人は、なんでも白黒はっきりさせたがるんやなぁ。」というやんわりとした京都弁のセリフを枕詞に「一度だけ燃え上がった関係」と説明する。愛子はこの説明に納得したのだろうか?ドラマではそれ以上この件について深追いすることはないが、もしかしたら、滝乃は春夫の子、もしくは他の誰かの子を身ごもっていたのが、家業である旅館椿屋を継ぐために堕胎という選択肢を取ったのではないだろうか。もしそうだとすると、美月を我が子同然に激愛する滝乃を、春夫が止めることができなかったこともきちんと説明がつく。

でも、そんな伏線を邪推するのは、野暮でしかない。水墨画の名画伯が、背景に空白を絶妙な配置で残すように、すべてを明瞭にしてしまわないところが、いかにも京都のはんなりとした感じを物語に匂わせていて、いつまでも心に残る。

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