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起業記録3:小1の壁。そして移住。

やってきた小1の壁

2019年11月。
第一子の長男は保育園の最終学年となり、どの小学校に入り、どの学童に入るのか、決めなければいけないぎりぎりのタイミングに来ていた。

当時住んでいた家から、私も夫もそれぞれ1時間半ほどかけて通勤していた。保育園には開園時間の朝7時に預け、夕方18時半にお迎えに行くという、その園では恐らく一番ガッツリ預けてなんとかやってきた。

でも、小学校と学童はそうもいかない。
集団登校の朝の集合時刻は8時。
学童の最終お迎えは17時半(と記憶している)。
これは、まだ小1の息子に朝もお留守番をさせ、私は再び時短勤務に戻すということを意味した。(もちろん夫が時短勤務というのも制度上は可能)
私の血をしっかり受け継ぎ、ぼーっとしているタイプの息子には難しい。
そう私は判断した。


完全に「小1の壁」だ。

夫に相談すると、「西浅井に帰ろう」といわれた。
西浅井とは、滋賀県長浜市西浅井町。彼の生まれ故郷だ。

いやだ。それだけは反対だ。
結婚するときの約束の一つをやぶっているじゃないか。

私はプロポーズを受けた際に、世界一かわいくない返事をした自負がある。「ありがとう。よろしくお願いします。でもいくつか条件があります。」

条件を突きつけた24歳はこちら


条件1
「私はまだ社会人1年目です。働くことをとても楽しみにしていたし、これからもずっと続けたいので、結婚しても子どもができても、働きます。働くなというなら結婚しません」

条件2
「私も子供が欲しいとは思います。でも、子どもができるかどうかはわかりません。たとえ子どもができなくても不妊治療は行わず、治療や子育てに充てたであろうお金は二人で海外旅行に行くことに使いたいです。」

条件3
「私はあなたのお父さんとお母さんがとても良い方だと思っていますが、あなたの実家がある西浅井町に住むつもりはありません。それは私の親、友達、仕事、すべてから遠ざかることになるから。そして私が生まれた大阪市とはあまりにもカルチャーが違い過ぎてとても馴染めそうにないからです。それでもよいですか?」

どんな嫁やねん。
というツッコミはさておき。

移住するのか、しないのか

西浅井はどの季節も美しいけれど

夫が「西浅井に帰ろう」といったその日から、学童の募集期間が終わるまで、毎晩毎晩話し合いを重ねた。
めちゃくちゃ泣いた。

でも、これを逃したら、「40歳ぐらいで起業しよう」と思っていたその志をしまい込んで、今の心地いい職場に一生居座ってしまうかもしれない。
そんな危機感が少しずつ忍び寄ってきた。

現状、全く辞めたくないけれど、これを自分の人生の良い機会にしよう。

そう思い始めた。
私の資質を知る夫の思惑通りなのかもしれないけれど。

当時、ピースがまだできなかった頃の娘

よし、移住しよう。
その代わり、再びお得意の"かわいくない条件"を夫に提示してみよう。
「西浅井に移住することに挑戦しても良いです。
でも、これは永住するという意味ではないです。

正直、西浅井になじめる気はしないです。あなたにとっては帰るだけ。
でも、息子にとっては知らない子しかいない(残りは全員友達同士)の小学校に入学します。
娘にとっては生後5か月から通ってきた保育園を移ります。
私は仕事をやめ、実家や友人からより遠ざかります。
誰かの心や体がしんどすぎたら、大阪、または近江八幡(当時住んでいた市)に帰ります。
毎年1年更新で考えています。
変えることはしないと判断しても、私だけ大阪に帰る日や両親と旅行に行く日を作ります。

仕事についてですが、たぶん近い将来、今の仕事を辞めます。
起業に挑戦したいです。退職金を資本金にしたいです。
夜出かけることもあるし、子どもを見れないこともあります。
住む場所を譲るので、住む場所以外の自由をください。
それでもよければ、一度移住をしてみます。」

それでも夫は了承し、移住が決まり、バタバタと移住準備が始まった。

そして、移住を決めた数週間後の12/25。3人目の妊娠が判明。パーティーでチキン食べ過ぎだだけちゃうんかいっ!!!!

人生がダイナミックに動き始めたことを感じながら、つわりで野垂れ死にながら、近江八幡での最後の年末を過ごした。

つづく

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