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起業記録2:起業を見据えた10年間のサラリーマン時代
起業志望なのに財団法人に入ったワケ
新卒で入ったのは、
公益財団法人日本漢字能力検定協会(以下、協会)
いわゆる『漢字検定』がメイン商品の教育系公益法人。
『いや、起業するのが目標なら、会社入れよ!』とツッコまれそうやけど、入りたい法人に入りたかった。
『そもそも財団法人なんて、新卒で入れるん?』
とよく聞かれるのですが、
結論。入れます。
マイナビかリクナビか、なんか一般的な学生用就職サイトで『教育』と検索したら出てきました。
正規ルートです、はい。
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長男だけの時代
それはさておき、
最初のキャリアをこの協会にした理由を明確にしておきたい。
①教育に携わりたい
小学生の頃なりたかったのは学校の先生。
大学時代も途中まで教職員課程を受講していたし、あっつい気持ちで学習塾でバイトもしていた。とにかく教えることも教わることもなぜだか大好きで、1番行きたい業界だった。
②とはいえ夜は帰りたい
教育といえば、塾や予備校、学校ですが、夜遅くまで仕事をするのが目に見えている就職先はできるだけ避けたかった。
③漢字が好き
漢字テストだけは良い点を取ると決めて生きてきた学生時代。その中で漢字や日本語が得意になり、好きになった。好きなものを仕事で扱うのはきっと幸せだろうと思った。
ちなみに少し誤算だったのは、インテリの文学部卒が多いこと。彼女たちの文学ジョークに全くついていけなかった。
④検定や資格の価値向上させたい
学生時代から資格や検定にチャレンジしてきた私は『資格って取るだけじゃ意味ないよね』という言葉が嫌いだった。
資格をとるための勉強はある程度その分野について網羅的に学べるし、明らかに取ることで自分のアンテナや仲間や自信がついたと思う資格が多い。そんなことも発信したいと思っていた。
⑤関西が好き
協会は東京にも事務所がありますが、京都が本部。なんだかんだ関西が好きで、関西人が好きだからあんまり離れたくないなと当時は思っていた(今思えば、結婚や子供を持つ前に慣れない土地に行っておけばよかったとも思うけども)
ということで、前置きが長くなったけども、とにかく漢字の協会に入った。
と同時に、40歳で起業するために在職中にできることは色々挑戦しておこう、社内で経験しておくべきことも挑戦しておこうと決めた。
社外でのチャレンジもろもろ
退職までの10年間、主に取り組んだことをざっと書くと、こんな感じ。
参考までにカッコ内にはプライベートの変化も書いた。
まあ、暇が苦手なんですね笑。
22歳 中小企業診断士登録、診断士グループに入る
23歳 診断士の研修、診断士主催のビジコンの審査員にトライ
24歳 日経ウーマンコミュニティに入る(結婚)
25歳 オーストラリアに短期留学
26歳 FP3級学習(第1子出産)
27歳 地域ボランティアにジョイン(第1子育休)
28歳 女性のための創業塾に通う
30歳 プロボノに挑戦(第2子出産・育休)
31歳 副業先を探すも、副業NGのため福祉系ボランティアを行う
FP2・3級取得、ジョブコーチ(職場適応援助者)取得
32歳 京都市イノベーション・キュレーター塾(旧名称)に1年間通う
ソーシャルビジネスプランコンテストedgeに挑戦する
NPO未来ラボ(NPOについて学び実践するオンラインサロン)に入る
33歳 育休コミュニティMIRAISに参加し、
書籍作り・クラファンに挑戦(第3子出産)
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どれも少しずつ越境体験となり、人脈となり、今を生きる糧になっていますが、特に何の影響が大きかったか?と聞かれると、
32歳で通った「京都市イノベーション・キュレーター塾(以下、キュレーター塾)」と同時期に挑戦していた「ソーシャルビジネスプランコンテストedge(以下、edge)」だと思う。
それまで、学生時代のボランティア経験からなんとなく「障がい者雇用の賃金アップやその親の環境改善」をテーマに起業しようと決めてから、
「ビジネス」の勉強はしていた。
が、ほんまにそれが一番自分の人生で解決したい課題か?という根本的な問いを深堀りしていなかった。
深い問い、深い言葉
でも、キュレーター塾はそれを同じ塾生や先生に徹底的に問われるし、言語化しないといけない。
苦しくて苦しくて、めちゃくちゃ逃げたかったし、最後まで完璧だ!という言語化はできなかったけど、それでもかなり自分が納得できる人生テーマが見つかったように思う。
また、edgeはセミファイナリストになると合宿があったのだが、メンターにとにかくまた問われる。「障がい者雇用はあなたが解決したい課題だというのは確かそうだけど、もっと根っこから生えているものがあるように見える」と言われたことが今も心に残っている。
あぁ私は、「妊娠・出産・子育て・育休からの復帰・時短勤務」
この原体験があまりにも強く、怒りの力がすごいのだと、やっとここで気づけた。
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課題が壮大すぎて、それを解決できる手段となるようなビジネスなんてとても思いつかないけれど、私がどうしてもしたいのはこちらなんだと。
当時ほぼ同時期に入っていた「NPO未来ラボ」の代表「D×Pの今井さん」はの言葉だったと思うが、
寄付者や講演を聞いた人から「なんで若者の○○だけを支援するんだ。20代後半だって困っているのに」といった声をもらう。
そりゃあそうだろう。自分たちだってそんなことわかっている。
でも最初から全員を支援できない。
まずは救える人から救う。そのあと輪を広げるのか、支援を深めるのかといったことが考えられるようになる。(という趣旨の話)
D×Pさんで、それなら、私なんて目の前の一番救いたい人だけをまずは救う。で十分じゃないか。と思えた。
さらに、「課題に気づいている人はいっぱいいる。だけど、起業をできるひとばかりじゃない。それは能力という意味ではなく、環境や資質による。例えば、課題に気づいていても、今日のご飯を心配するような貧困生活を送っていたら起業できないし、人前に出るのが死ぬほど嫌だったら仲間集めは難しい。課題に気づいていて、解決策もほんのり思いついていて、環境と資質が揃った人が揃ったタイミングでしか起業はやっぱり難しい。
だから、それが揃っていない人たちを代表して旗を振ってやってみる。そんな気持ちで起業したらいいんじゃないか。」という話。
気負い過ぎず、環境に感謝して、起業する。
とてもとてもしっくりきた。これも一生忘れない考え方だと思う。
そんなこんなで、色んなコミュニティに入り、講座に通い、気づけば勤続10年、子どもは二人。
少しずつ両立しやすい職場になり、私も要領を得て、管理職も少し見えてきた。
<このまま勤め上げるのもいいな>
そう思うこともよくあった。
でも、神様はそうはさせてくれない。やってきました「小1の壁」
ここまで仕事と子育ての両立を必死のパッチでやってきたのに、
辞めなければいけないかもしれない…。
そんなタイミングがやってきたのです。 つづく