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起業記録4:起業までの1年間


移住、そして退職


2020年3月下旬。

長男の卒園の感動もそこそこに、私たち家族は移住した。


移住翌日。2歳の娘と近所を散歩したことをよく覚えている

もう一度書こう。
2020年3月下旬。
この時期は、私だけじゃなく、世界中が不安でいっぱいだった時期。
コロナが中国から日本へ、各国へ広まり続け、しかもどれくらい怖い病気なのかわからない時期だった。
そんな時期に私たち家族は移住した。

移住により、当時の勤務先まで運が良ければ片道2時間半。運が悪ければ3時間半かかる家になった。
(電車の本数が少ないうえ、湖西線・琵琶湖線・北陸線どれをどう乗り継ぐか日々異なるため、かなりのラグがある)

コロナ+妊娠+移住=?

コロナ+妊娠+移住で、私は強制的にフルリモートワーカーになった!
3月末決算の財務経理部の人間が、3月下旬からフルリモート。
前職は、人事も部署の皆さんも本当に優しくて泣けたけど、
―デモワタシ、役立たず過ぎひんか・・・!?
と、それはそれで辛くて泣けたのもまた事実。

迎えた4月。長男は入学式こそあったものの、翌日から学校はなかった。
緊急事態宣言だ。
フルリモートながら、繁忙期の私はなんとかお願いして、
仕事が休めない親のために学校がやってくれた
教頭先生らが面倒を見てくれる教室に長男を通わせた。
小学生だけど、まだひらがなも習っていない1年生の我が子には迷路のようなものや数を数えるようなものなどを何とか工面してくれていた。

長女の園も家庭協力保育期間になっていたけれど、
基本的に預けさせてもらった。

必死だった。
・フルリモートでも一職員として役に立つこと。
・慣れない学校や園に子どもたちを通わすこと。
・義理の両親との完全同居に慣れること。
・どっぷり車社会でも妊婦として体重管理すること。

寝ようとしている夫を引き留めては、よく泣いていた。
・これとこれとこれが辛い。
・こんなことがあった。近江八幡にいたらよかった。
・夫しか知っている人がいない。コロナ禍で友達が作れない。

本当につらい、その気持ちを分かってほしいという想いもあったが、
もっと言えば、夫のせいにしたかった。
「あなたのせいで今私はしんどい」「きっとこれからも辛い」
とぶつけたかった。
本来自分で決めたことに対しては、自分で正解にするという信念を持っているタチだ。でもこの時ばかりは無理だった。

幸せな退職

心はふさぎ込んだままだったけれど、経理は繁忙期を終え、私の最終出勤日が近づいてきた。といってもPCからログインするだけなのだが。

この職場を離れるときには、「ささやかでいいから
大好きな職場、大好きな同期や後輩や上司、大好きな漢字←変態!?
に囲まれて送別会をしてもらえたら幸せだな。」
そう思っていたが、当時正式な送別会はルール上開催不可。
(それでもこっそり小規模ランチに誘っていただき、たまにリアルに出勤し、やり遂げたい仕事に取り組んで、会いたい人に会った。)

ちょっと想像していた退職日ではなかったけれど、最後まで幸せな職員だったと思う。メッセージ動画は囲まれたかった人たちでいっぱいだった。
在職中関わってくださった皆様、ありがとうございました。

これって産休!?

お腹の中とは思えない鮮明さ!技術バンザイ

出産

2020年8月30日。無事第三子を念願の助産院で出産した。
コロナ禍にも拘わらず、感染状況がひどくない時期だったので、
長男・長女・夫・義理の両親まで立ち合いの中の出産をさせてもらえたのが本当にラッキーだった。
(3人産んだだけなのに、産婦人科5か所、助産院2か所に通った話は、また別の機会に書きたい)

3人目を生んだ助産院を退院した後、そのまま大阪の実家へ帰った。
里帰り出産に近い形にしてもらうのも今回で3回目。
心の底からゆっくりゆったり産んだばかりの赤ちゃんと過ごせる、
実の両親とゆったり話せる最後の機会。
最後のバカンスだという気持ちで臨んだ。

・・・はずだったが、やっぱり私だなとあきれてしまうけれど、
私は7月から(つまり産前から)「育休コミュニティMIRAIS」という育休者限定のオンラインコミュニティに所属してばりばり活動していた。

私の辞書には産休などない

なんなら助産院でもチャットを読んだり(FacebookやSLACKだったかな)、
耳のみ参加でミーティングに参加したりしていたので、
実家ともなれば本当に自由。
出られるミーティングには参加し、ちょっとしたタスクももらっていた笑。

言ってみれば
「私の辞書には産休という文字などない!!!」という感じか。
とほほ。
誰に言われたわけでもない、自分の性だ。

このコミュニティの中では、「育休のリアル」という本の制作と、その制作にかかる費用を集めるためのクラウドファンディングのプロジェクトに参加していた。
☆当時のnoteもあるよ。
☆当時のクラファンページもあるよ。

最初は”ちょい役”だったのだが、ガンガン入り込んでしまったのか、
プロジェクトリーダーに「コアメンバーって思っていい?」とある日聞かれる。産後1~2か月ごろだった記憶。
今振り返っても、さすがに働き過ぎた気がする笑。

このコミュニティは、プロジェクト以外にもたくさんのお楽しみや学びがある。メインは半年でやりたいこと「テーマ」に向かって進んでいけているかということを応援しあう場で、「テーマ進捗シェア会」というのが定期的にあって参加する。

ただ、その他にも朝のヨガやダンス、午前中の会議、昼間のゲストイベント、午後の会議、夜の会議やお楽しみイベント、部活動や委員会。
オンラインだけの世界とは思えないほど、いやオンラインだからこそ、1分で次の部屋に行けるからこそ、予定びっしりにできたのかもしれない。

Googleドライブって何?

最初はGoogleドライブも、Canvaも、Slackも、ZOOMも、
Amazonプライムも、noteも、Notionも、Peatixも、Trelloも、YOUTUBEのアップロードでさえも本当にわからずちんぷんかんぷんで、先輩ママたちに全くついて行けなかった。打ち合わせがマジで外国語だと思った。

でも使うしかない状況だと人間やるんだな・・・。
使いこなすというほど得意分野ではないけれど、2021年3月末には一通り使えるようになり、その後も続いたコロナ禍でめちゃくちゃ生きるスキルとなったうえ、今となっては事業でガンガン使っている。

反対側の人を知っていること


移住1年目、初めての冬は雪道運転に苦労した。娘の笑顔がいつも救いだった。

クラファンの経験も大きい。
今まで応援・支援する側は経験があったけれど、寄付を集める側は初。
クラファン期間前にどれだけ準備できるか、準備期間中に何をするか、そしてリターン。
PLに比べればめちゃくちゃ楽な担当だったのだろうと想像できるけれど、
それでもかなりの労力と時間をかけた。

だからこそ、私はすっかり市民権を得たクラファン、開業したら一度は挑戦するのが一般的となってきたクラファンですが、それでもやろうとする人を全員尊敬する。
知っている人なら何らかの形で絶対応援しようと思う。

「反対側の人のことを知っている」って大きいと本当に思う。
教わる側と教える側。
育てられる側と育てる側。
いじめる側といじめられる側。
買う側と売る側。
多数派と少数派(ビジネス、政治の場ってほぼ女性が少数側だなぁ)

そういう意味でこれから私が知りたい、挑戦したいのは、
雇用される側と雇用する側

ない方が楽だけど、出くわしそうなのは、
介護する側と介護される側。

今回こそ、開業届を出すところまで行けると思ったけれど、
長くなったので今回はここで。



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