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じゅんさん賛歌、ワタシもね

お盆参りもひと段落し、お寺の周りの田園では、稲刈りが本格化した頃、ボクは京都へ向かった。何を求めて行ったかと言えば、京都駅近くの商業ビルにて開催されていた「みうらじゅんFES ―マイブームの全貌展―」を見学するためなのである。

●●●チョークー流の推し活なんです

みうらじゅんさんは、ボクより4歳年上の京都生まれ、であり、漫画家・イラストレーター・エッセイスト・ミュージシャン・ラジオDJ等、マルチな才能を持つ文化人と言っていい。「マイブーム」や「ゆるキャラ」という言葉の生みの親でもあり、殊更、じゅんさんの仏教や仏像好きは有名で、相棒のいとうせいこうさんとの著書やTV番組も多数ある。

ボクは、じゅんさんの熱烈なファンで、このFESを以前から凄く楽しみにしていて、ボクが想像していた以上に面白く素敵な内容となっていた。街を歩いて探し出した漢字を組み合わせて出来上がった「般若心経」。じゅんさん自身の子供の頃からの様々なる「マイブーム(仏像や牛など)」の展示。じゅんさんが描いた絵画展。じゅんさんワールドの奇天烈かつ奥深いコレクションなのである。

このような作品の中に「ゴムへびのコレクション」があり、このコレクションは今回の象徴的存在という風にも思えた。これは字の如しであってゴムでできた蛇の人形なのであって、1匹ないし数匹だったら「へびが好きなんだ」ってことで終わってしまうのであろう。それが中途半端な数であれば、「無駄なモノを買っているなあ」ってことにあるのであろう。でも、その総数が何十匹いや何百匹となると凄い作品となってしまう。一つ一つには、あまり力はないのかもしてないが、その大量のへび達が集合してみるとれっき
としたアートなってしまう。

それは絵画にも共通することであって、じゅんさんの絵は、すごみをはあまり感じさせない素朴なタッチである。でも、それが100枚の数の展示となれば話は別になって、その数から生まれるストーリーやその絵達に潜むメッセージなどもボク達に迫ってくるようで何だか不思議な気分になってしまう。無駄と思えることでもつきつめてしまうと新しい価値に生まれ変わらせてしまうのが、じゅんさんの魔法でありユーモアであり、魅力でもある。

●●●読む、詠む、よむ

FESからの帰り道、ボクはいろんなことに心を巡らせていた。そんな時、「悲しみの秘儀(若松英輔著)」の一文を思い出していた。

<「よむ」という営みは、文字を追うこととは限らない。こころを、あるいは空気を「よむ」ともいう。句を詠む、歌を詠むともいう。「詠む」は、「ながむ」とも読む。「新古今和歌集」の時代、「眺む」は、遠くを見ることだけではなく、異界の光景を認識することを指した。本を読むというときにさえ私たちは、そこに記号を超えた何かを認識している。表記されている奥に隠れた意味があることを感じている。行間を読むとは、そうしたことを、どうにか言葉にしようと思った者が思い至った表現なのだろう。「よむ」という言葉には、どこか彼方の世界を感じとろうとする働きがある>

何だかじゅんさんの今回のフェスの本質をとらえているような文章である。

●●●いつかオイラも

ボクにはじゅんさんのような才能はないしユーモアもないし、あのような優れた作品を生み出すこともできない。でも、ボクがボクとしてトライしてみるべきことは存在していると思う。例えば、現在作製中の「チョークー的仏画(自称)」は20数枚完成していて、30枚くらいをめどとして考えていたのであるが、いっそ100枚を目標にして描いてみることにしよう。そんな数をいちどきに表現してみるのであれば、何か新しい力が生まれるかもしれない。「異界の光景」か「彼方の世界」、或いは「表記されている奥の隠れた意味」が生まれ出るかもしれない。そんなことを1人考えていると大いなるワクワクが心を包んでくれた。

それが、また明日からの活力や希望にもなるし、ボクの生きがいにも繋がっていくような気がする。やっぱり忙しい中でも足を運んで色んなことを体験し刺激を受けないといけないなあとも思う。また、いつかボクの作品展も開催できたらなあとも思う。

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