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ペットロスと向き合う

 わが寺、現福寺の仁王門が「ペット供養門」に生まれ変わりました。

●同じ思いの人がいるのなら

 ワタクシゴトで恐縮ですが、2021年の12月、愛犬ルイが他界いたしまして、遺骨を納める場所に悩んでおりました。いわゆる「ペットロス」というのになりましてね、精神的にも落ち着かない日々が続いたんです。そこから抜け出るのは大変だったなあ。

 そんな経験は、ワタクシだけではございませんでしょう。同じ思いをした人の救いになるのなら、ということで門の改装と相成ったわけでございます。

●嘆きも悲しみも幻のはずだけど

 「阿字の子門」と名付けました。御詠歌の一節「阿字の子が阿字の古里立ちいでてまた立ち帰る阿字の古里」からです。命というのは川の流れのようなものです。仏さんのいるあの世から来て、またあの世に帰る。岩の清水が川を下り、やがて海にいたり、雨となってまた戻ってくるのです。

 不生不滅、生じもしないし滅びもしない。仏教の基本的な考え方ですね。嘆きも悲しみも本当はないんだよ。そう言われてもね、なかなか納得しがたいものです。空海さんだって弟子の死に当たって、嘆き悲しみ、歌はそのときにできたと伝えられています。

●おかえりの会

 ペットを亡くした人たちが、阿字の子門で集い、悲しみを共有し、前に進む力を分け合う。そんな思いから、先日「おかえりの会」を企画し、当日は小雨の降る中、30人ほどの方にご参加いただきました。ペットロスの方、結構いるんです。ボクだけではありませんでした。

 多くのワンちゃんがお堂の中に入って、馬頭琴の豊かな音色とホーミーを堪能しました。責任ある主催者としてはどうかいな、と思わないこともないですが、ボクも感極まっちゃいましてね。自画自賛となりますが、いい会でしたよ。

 これからも毎年、「おかえりの会」を開催します。阿字の古里に帰って行った彼らを思い出す一日としていただければ幸いです。愚僧チョークー、そう思うわけです。合掌。

以上は徳島新聞デジタル版の記事の一部です。


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