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長いものに巻かれるな

 地下鉄サリン事件を巡るNHKの番組に、元警視庁科学捜査研究所・服藤恵三さん=現・最高検察庁参与=が出演されていた。徳島県出身だと知ったのは最近のこと。徳島新聞の特別編集顧問を務めた元共同通信社社会部長・宮城孝治さんがコラム「勁草を知る」に書いておられた。初代の科学捜査官で、「オウム捜査の立役者」である。

服藤さんのこと

 そんな中、服藤さんら当時のメンバーは捜査に積極的に関わり、前代未聞
の大事件を解決に導いた。それまで通りの振る舞いだったなら、事件の終結はいつになったことだろう。服藤さんらの活躍あってこそである。宮城さんは原稿を「長いものに巻かれてはいけない」との一文で締めくくっていた。

 事件発生が1995年だから、もう30年になる。教祖・麻原彰晃(本名・松本智津夫)はじめ、関わった教団幹部の死刑は既に執行され、事件は表面的には解決したように見える。

課題だらけ謎だらけ

 それでも、オウム真理教がどうして生まれ、若く優秀な人々を信者として獲得し、多数を殺害する殺人教団となっていったのか。納得のいく説明は、いまだに聞いたことがない。やはり、事件は何も解決していないというべきではないだろうか。これはお寺の住職を拝命しているボクにとっても他人事ではない。

 以前、新宗教の研究をしたことがある。その時「新しい宗教の発生する理由として、既成宗教の補いがある」という事実を知った。足らない部分を満たす役割を担っているというのである。

 オウム真理教の場合、出家をキーワードとして、ヨガや瞑想、神秘思想に予言、はたまた仏教や密教の用語や言葉を巧みに利用し、悩める若者たちを取り込んで、大きな組織へと変貌を遂げていった。

宗教者としての責任

 一宗教者としてボクも事件に責任を感じていて、98年10月5日には、わが寺、徳島県小松島市は現福寺本堂にて討論会も開催した。当日はオウム真理教の元出家信者・高橋英利さんをゲストに迎え、彼の著作である「オウムからの帰還」(草思社)をベースにして、体験を語ってもらった。

 事件からボクたちは、何を学び何を実行してきたのであろうか。ほんの少し前には「元統一教会」の問題が表面化し、安倍首相が殺害されている。

 信仰は自由であって強制ではない。信仰を始めるのも、迷いが生じるのも、疑いが生じるのも、不思議ではないという原理原則があるにもかかわらず、未だ「カルトと宗教」の問題に関して論じ続けなけらばならない現実がある。

宗教リテラシー

 宗教と、どうかかわっていけばいいのか。宗教リテラシーをどう確立していけばいいのか。ボクも住職の1人として、既成宗教側の1人として、もっと積極的に社会や現代の人々と向き合い、苦しんでいる人々や迷っている人々に関わっていきたい。その中にこそ答えがあるように思う。

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