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才能が欲しければ才能は気にしない方が良い

あの人は頭も良くて運動神経も良くて楽器までできるみたいな感じで他人の才能に嫉妬してしまったりしますよね。
でも他の人が2つ3つと持ってる以上あなたもいくつもの才能を持てるとも考えられませんか。
この記事では今のところ1つめの才能も見つけたり得たりできてる自信の無い僕が、もはや自分を鼓舞するために、才能について書いてみようと思います。

あの人に才能がある訳

僕は大学の頃アカペラをやっていました。
そこで僕が仲の良かった音楽経験が豊富で耳が良いという才能を持った人が「皆、できて羨ましいと言うけれど、私はできるようになるまで何年も頑張ったんだから、そんなに簡単にやったみたいに言わないで欲しい、10分で出来るようになったと見えるかもしれないけど15年と10分だから」とよく愚痴を聞いていました。
おそらく僕が誰よりも出来ていないからと誰よりも長く練習している所を見てくれて信頼してくれたからほぼ素人の僕にこんなことを言ってくれたんだと思ってます、この言葉は金言だと思います。
僕らは才能が目に見える形になった短い時間しか見えずそこに至るまでの過程を知ることができません。故にまるで短時間の努力で事が成せるように見えてしまうのです。

転用可能な努力

「でも、初めてやった事もすぐできてた!」
と言いたくなったかもしれないです。
それは違います。
彼らは長年の努力によりどういう練習の仕方をすれば良いか分かっていたり、他の知識や経験を転用して習得時間が短くしたりします。

ブラスに捉えると適切な方向適切な方法で工夫しながら努力を続けていけば彼らのように才能を得ることが出来る可能性が大いにあるということです。
勿論すべてのことをプロレベルに持っていくことは難しいものもあると思います。
それでもへこたれずに努力し続ける狂気を持った人がおそらく才能があると言われる人たちなのでしょう。

欲しいと思ってしまったなら欲しい限りは手に入るまでやるしかない。

友人に運動と勉強ができるうえに音楽の方向にも才能がある人がいます。
彼いわく「最初から出来たわけじゃなく出来るようになるまでやったから出来るようになった」そうです。
そして僕がそれなりにいろんなことに挑戦するきっかけになったのは彼の「出来るまでやればやりたいことは出来る事が多い」という励ましです。
僕たち凡人が天才の足元に行くためには彼らより効率よく量と質を求めるしかないです。というか彼らも元凡人です。

でも量と質を追い求めれば無理では無いのです。
自分のことまでやれる家庭環境じゃなかったとか、そういうことが出来る環境じゃないということもあるかもしれないです。
でもそんな環境で精一杯生きている人に才能がないなんてことを教えて、やれば見つけられたかもしれない量と質をこなし才能を手にする可能性を奪うのは絶対反対です。

自分で欲しいと思った才能は取りに行った方が良いと僕は思ってます。

人生がめちゃくちゃになるかもしれないとか気にして何も無い平穏な人生で終わるより、欲しい才能をおって挫けて転けてまた立ち上げがって欲しいものを取りに行く人生の方が僕は死ぬ間際悪くなかったと思えると思っています。
GIFTなんて言いますが、神様はその中身を教えてくれないしどこに置いたかも教えてくれないんだからそれが何かを無視して別のを自分で取りに行っても良いでしょう。

音楽の才能があった彼女も運動も勉強も楽器もできた彼も教えを乞うた僕に、「自分はできるようになるまでやったからできたんだからコウタも出来るようになるまでやればできる」と教えくれました。

残酷に聞こえるけどでも希望にも聞こえます。明日には彼らの背中が見えるかもしれないですしね。

最終的には頑張るしかない

ここまで色々と振り返ると結構かっこいいことを言ってくれる人達が周りにいたんだと気付きました。
青臭くて僕があまり得意ではないタイプの助言をされてたことに今気づきましたがそういうところが僕と彼らの差なのでしょう。
これは公開するか悩み始めました。有料にしようかな…

ここまで見てくれた方ありがとうございました。
こんな青いことを書くにはもうギリギリの年齢なので今のうちに書かせてもらいました。
出来るまでやればいい
って結構希望に溢れている言葉だと思うのでこの言葉を胸に僕は生きていく所存です。


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㋙コウタ(柔らかい考え方を考える)
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