「芭蕉より一茶が好き」18.
(七月十二日その2・・・選句のゾーンに入った主人公です。)
一方でKM結社に出句した句では四月出句の水温むの句から十月出句の藤は実に迄七句連続で主宰の選に入っている。例年だと一年に三、四句も選ばれれば良い処だが珍しいことも有る物だ。前年の二度の入院への配慮だったかも知れぬ。中でも私も気に入っている三句だ。
鈍行を乘り継いで行く麦の秋
螢袋今朝見し夢を預けおく
藤は実に庭巡りゆく水の音
先ず鈍行の句。古稀を過ぎ仕事を辞め時間も出来たことから、遠隔地で無ければ電車移動はのんびりと行く各駅停車を選び車窓から見える四季折々の風景を楽しむ。此の日も緑豊かな森や何軒かの民家や麦の収穫を待つ田畑が車窓を流れて行く。通り過ぎる景色を心穏やかに見ている様を詠んでいる。
次は螢袋の句。此の句作の十年以上前に楽しかった夢を螢袋に預けたいなと云う着想の原点に成る句が有り其を推敲している。鈍行の句同様素直な句に変身したが其よりも着想の面白さで選んで戴いたのではと思う。
最後は藤は実にの句。吟行で名刹に訪れた際、境内の藤棚で名高い庭園での描写句だ。花や新緑の季節は疾うに過ぎ、紅葉の季節には未だ早い閑散期。訪れる人も少なく名園を流れるせせらぎの水音も能く聞こえる。そんな移り行く季節感を丁寧に詠んでいる。私に取って吟行は「歩く」であり日常だ。もうひとつのAM結社は俳誌が隔月刊と云うことも有って、主宰の選に入る機会は半分だが九月と十一月の出句から連続で選ばれている。
熱帯夜深夜放送ジヤズ流す
逝くときは我がみち照らせ曼珠沙華
A M結社の主宰の俳句との向き合い方は有季定型が基本だが、口語体も織り交ぜ乍らそのときの思いを如何に十七音に込められるかを丁寧に推敲することを是としており、写実を基本とするKM結社とは些か趣を異にしている。実は主宰と私とは、私が俳句と出会った職場俳句会で初めて指導を受けた著名な俳人の俳句結社に主宰が入会していたと云う縁が在る。私の三つ上でほぼ同年代と云うことも有り親近感を覚え、又何と言っても作風に魅せられたことも相俟って此の結社への入会を切望したのである。だから主宰から秀句と認められるのは本当に嬉しい。
先ず熱帯夜の句のテーマは「日常」だ。暑くて中々寝付け無い夜、偶々付けたラジオの音楽番組から流れて来たのが演歌や歌謡曲でも無ければクラシックでも無くジャズだったことで暑さを一層際立たせている。演歌や歌謡曲なら口遊むし、クラシックなら瞑想して聴いただろう。しかし成り立ちから連想される暗闇と汗に塗れるジャズのイメージと暑苦しい夜とが上手く同期した訳で、流れていた曲がジャズで良かったと思う。
続く曼珠沙華の句のテーマは「老い」だ。私が詠んだ句に登場する花の中で一番多いのが桜で、次いで梅、そして菊や薔薇よりも多いのが曼珠沙華だろう。ときに妖艶で、ときに血を連想させる花の赤と放射状に広がった独特の姿は見る者に死を連想させる不気味さが有る。古より死人(しびと)花とか地獄花の異名と共に彼岸花の名でも知られる。恐らく浄土への道にも咲いているだろう此の花に道標として思いを託したのである。
「お家から届け物ですよオ」我がみちの句のあとに其の前年に入院したからこそ生まれた句が有ると思った処に看護師さんの元気な声だ。句作ノートを見返して当時を振り返り乍ら選句するのは結構疲れる。休憩に丁度良い頃合いだ。
「もう直ぐ晩ご飯ですからね」布団の上のノートや句集を片付けて届け物を見ると一通の手紙とメモ紙だ。
手紙は初孫からだ。既に結婚し家庭を築き男の子がひとりいる一人前の母親だ。先日手紙を呉れた孫の姉だが示し合わせたように、医者の言うことを能く聞いてしっかり養生してゆっくり俳句でも楽しめと書いて呉れている。流石に姉妹である。一句脳裏を過ぎる。
ソムリエになる夢抱き卒業す
此の初孫が大学を卒業したときに詠んだ句だ。孫の成長に目を細める私と希望を胸に社会に出て行く若人の心持ちが能く表現出来ている句として俳句コンテストの全国大会で入選している。
メモ紙の方には妻の字で、所望の自選百句は息子が書斎を整理して呉れているが中々見つからない。其のうちに出て来るだろうから暫し待たれよと書いて呉れている。「待ちますよッ」
程無く晩ご飯の用意が整う。
晩ご飯も全粥で、そろそろ普通のご飯も食べたいと思っていたが文句は言えない。食べ終わり薬を飲んでほっとひと息吐くともう句作ノートを手に取り続きを読む。
手術痕脳天にあり秋の風
十年前の八月終わりから九月の初めに掛けて一年に二度目の緊急入院、手術、退院と怒涛の九日間が有り、経過観察で通院中に「脳天に手術の痕や秋の風」を句作している。其を一年後に推敲し俳誌AMに出句した処、推敲を推奨する主宰から秀句と認めて戴いた句だ。比べると脳天、手術、痕の三つの名詞を組み替え、切れ字を体言止めに替えただけだが、着想の妙味がより活かされたと言える句に成っている。此だから俳句は止められないと思う。テーマは「老い」で良いだろう。続いて評価され無かったが同じ「老い」をテーマとした句が有る。
死なば入る生まれし里の墓洗ふ
六十代の頃から両親や同胞や故郷への思いを込めて墓参を季語とした句を多く作っているが、前年の二度の入院で死を意識し初めて作ったのが此の句であり、死を直接詠んだ句として残しておきたい。因みに、此の句は前の延命を、蛍袋、熱帯夜、手術痕の四句と共にKM結社の主宰の推薦で年一回発刊される俳句専門誌の年鑑に掲載して戴いている。二度の入院で気持ちが吹っ切れたのだろう。肩の力も抜け句作に外連味が無くなり秀句が残せた一年だと思う。或る意味有難い入院だったかも知れない。小休止。
此処迄の今日一日で八十四歳のときの句を選句したことに成る。ぱらぱらぱらと句作ノートの続きを繰って見ると四年前の八十九歳で終わっており、このペースで行けばあと五日だなと思うと張っていた気持ちが緩み、欠伸が出る。
(つづく)