「二人の小父さんとあの老女」7.

(四、そしてあの老女のつづき・・あの老女との出来事をああでもない、こうでもないと振り返る私です。)

 あの出来事を話した人達からは皆善いことをしたと言って呉れたし、私も善いこと、正しいことをしたと今も思っている。
 一方で「所詮偽善だよ」と言う人も居るだろうな共思う。しかしあのときは飽く迄も「電車賃を落として可哀相だな」と云う憐みの感情が湧き上がって行った施しなので、偽善と言われても動じる処は無い。只、お人好しと言われれば甘んじて受け入れるしか無いと思う。若しかしたら落ち武者小父さんとの出会いをあの老女は見ていて、にやけ顔の私をあの鋭い目付きでこいつはお人好しだと見抜かれていたのかも知れない。
 又「働かざるもの食うべからず」で詐欺や嘘を疑って細心の注意を払うべきだったと言われれば然うだろう。確かにあのとき、何処迄帰るのか、今幾ら持っているのか、幾ら必要なのかと云った質問を何故出来なかったのか、或いはそんなことは聞かずに交番の場所を教えて警察に任せれば良かったのではと今も思うときが有る。
 只、あのときは電車賃だから小銭で済むと即断してズボンのポケットを弄ったが、小銭の持ち合わせが無いのを失念していて引っ込みが付かなく成ったように思う。しかし然うは言っても三千円しか持ち合わせが無かったと云う偶然も有って、無い袖は振れない状態が私も老女も良い目が出たのかも知れない。詰り銀行に行ったあとなら鴨が葱背負って来たと思われているから無視しようと成ったかも知れない。
 小難しく考え過ぎだな、もっと気楽に考えて見たら如何だろう。
突拍子も無い話しだが、私が此の目で見たと思っていたあの老女は若しかしたら幽霊だったのでは無かろうか。然う言われて見ればあの橋の傍には枝垂れ柳が有る。柳の木の下に幽霊が出る話しは怪談の定番だし、確かに幾ら私が落ち武者小父さんを正面から初めて見て喜んでいたにしても、橋の袂にあの老女が誰か通るのを待って居たなら視界に入っている筈だし、或いは私の後ろを付けていたとしても気付か無い訳は無いし、音も無く急に現れたなら幽霊でも可笑しくは無い。
 実は斯う考えるのには訳が有る。此の橋も家の近くの小橋も下を流れるのは自然に出来た川では無く、人の手で作った運河なのだ。東を流れる一級河川のもっと東側には態々開削して作った運河も有るが、此の辺りは一級河川の元々有った砂洲に土砂を入れ人が生活出来る島にしたことで生まれた運河と聞く。其のひとつの島が、此の橋の下を流れる川と私の家の前を流れる川と東側の一級河川に囲まれた所で、其処に有った大きなお寺の名前が島と此の橋の名の由来に成ったらしい。処が島の名はお寺の名前其の物だが、此の橋は読み方が同じでも漢字が一字だけ違っていることから都市伝説が有るのだ。
 其の昔、罪人を裁くのに遠島とか流罪と云われた刑罰が有った。所謂島流しの刑だ。刑の執行に際して、此の島に有る船着場に連れて行かれ先ず小舟に乗せられ途中で外洋に出る大型船に乗り換えるのだが、留置場から島に渡るときに通るのが此の橋だ。そして故郷から遠く離れた島で望郷の思いの儘亡くなった罪人の魂が此の橋を行き来すると云うのである。あの老女も昔の罪人で、亡くなったあとも性懲りも無く幽霊に成って罪を繰り返しているのでは無いかと思って仕舞う。スカートに見えたのは着物だったかも知れない。
 どうも落語の世界のように成って仕舞ったが、こんな他愛も無いことでも考えることが有ると何とか眠気に堪えられる。何年か前のほんの二、三分の出来事だったのにこんなにも話しが拡がって行くとは面白い物だ。
 
 仕事の話しは込み入った内容だったので場合に拠っては有らぬ方向に行くと収拾を図るのに時間を要するかと覚悟しての訪問だったが、社内で事前準備をしっかり遣っていたことと取引先も落とし処を心得ており、話し合いは宿題と成る事項も無く比較的短時間で終わり、先方の夕方の都合も有って会食は後日と成ったため早い列車に乗れることに成る。時間は短かったが気持ちは入れ込んでいたので疲れも有り、報告をした上で直帰することの了承を得る。早速妻に「早く帰る」との連絡を入れると程無くして「食事の用意してないよ、外食にしようか」との返信。結果給料日前だから近所のファミリーレストランで安く済ませようと成ったが、妻との会話が有ると仕事からの切り替えが出来るので其が嬉しい。此が独り者だと斯うは行かず、会社に戻って飲む相手を探して一杯遣って仕舞う。然う成ると飲んでいる間もぐだぐだと仕事の話しが続き、四六時中仕事の話しに成って精神的に緊張感を解せない儘翌日の仕事を迎えることに成る。処が妻との会話がストレス解消に成り妻の存在は本当に有難い。
 帰路は気楽だ。仕事の目的も果たしたし、妻との晩ご飯の段取りも出来たし、終着駅迄乗ることだし身構える必要も無く眠気に導かれる儘身を委ねることが出来る。
 
 店に入ると妻は既に待っていた。
「お待たせしましたア」
「お疲れ様でした」
「何か頼んだ」
「未だ、たった今だよ、来たの」能く見ると水もおしぼりも来ていない。
 メニューを見乍ら如何にも迷っているように傍から見れば見えるかも知れないが、此の店で注文する物は大概決まっている。
「先ずはビールと」と言って妻の顔を見ると
「勿論、私も」
「先ずは餃子だね」
「外に頼まなくて良いの」
「取り敢えず良いんじゃない、給料前で折角安く済ませようとしてるんだから」
「成る程、其も良いか」妻の合意を得て注文したのがビール二つと餃子三人前だ。
「ええっ、三人前、飽きないの」
「好きだから良いよ」
「良いなら良いけどオ」
 注文を終えおしぼりで手を拭き乍ら移動中に老女との出来事を反芻していたと言うと、妻は余り興味を示さない。
「へえ、仕事中にそんなこと考えていて良いの」
「移動中だから良いんだよ」
「でも、もう何年前のこと、今更如何の斯うの言っても何も変わらないでしょう」連れ無い返事である。
 其も其の筈で妻はあの老女には一度も会っていないので興味も湧かないのも当然だ。しかし私が問わず語りに、物乞いをしたのがあの老女では無くてリヤカー小父さんだったら如何しただろうと何気無く呟くと妻が乗って来るではないか。
「そりゃあ嘘だって直ぐ判るから無視だわ、電車賃何て見え透いた下手な嘘だわ」
「じゃあ、お腹が空いたけどお金が無いから何も買えないって言って来たら」
「うううん」妻は真剣に考えている。
「千円貸すけど何時返して呉れるって、聞くかな」
「成る程、其って良い返しだね、あのとき然う言えば良かったかもね」
「良いでしょう」
「紹興酒、飲む」妻は上機嫌だ。
 中々鋭い切り返しを教えて貰ったと私も気分が上がり「勿論」と返す。

(五、元気だった落ち武者小父さんにつづく)

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