「芭蕉より一茶が好き」15.
(七月十一日その1・・・遺句集に所収する自作句を句作ノートを見乍らテーマ毎に選句し始める主人公。一句一句に思い出が甦る。)
七月十一日
今朝は便意を伴う尿意で目が覚める。少し便が緩い分だけ両方とも催すのだろうか。ポータブルトイレに行くのも依然難儀していて体は万全では無いが、遺句集が曲り成りにもテーマ毎に所収すると方向を決めたことで気持ちは落ち着いている。
「お早うございます」和やかに言葉を交わして、いつも詰所と病室と便所の間を行き来して呉れる看護師さんに礼を言う。床頭台の前迄戻って来て初めて、昨晩句集も片付けず寝て仕舞ったことに気付く。
床頭台の前に立った儘で元の句集に目を遣り乍ら選句の手順を考えている。自撰百句以降の九年間を先に選句したあとテーマ分けするのが良いだろう。二つの結社の俳誌に出句した句は九年間で凡そ九百句有るが、妻に一部を捨てられたことも有り俳誌から其らを全て確認することが出来ない。と成ると頼みは出句ノートと句作ノートだ。俳誌や俳句コンテストへの出句、投句は勿論のこと、年五十回以上に及ぶ句会や吟行に出句した句も含めてノートに書き留めて来たことが此処で生きる訳だ。B五判には俳誌への出句やコンテストに投句した句を、A五判には句会や吟行で出句した句を、A六判には取り敢えず俳句の形に成った句を其々のノートに残している。残すことに長けた私なりの整理術である。善は急げだ、
床頭台の前に置いている紙袋の中から分厚いB五判の出句ノートを探し、ベッドを背凭れ状態にしてノートの頁を捲る。二度入院した翌年の一月の頁を探し出すと、一月の最初は俳誌KMへの出句で次が俳誌AMへの出句だ。其の次が俳句大会へ投句した句が続いている。「順番に選句して行くか」
死の淵を覗き帰りし年は逝く
年明け早々に俳誌AMに出句した此の句に●印を付ける。季語からすると前年暮の句作である。此のときは自分の「老い」を軽妙に詠める余裕が未だ有る。
「お早うございます」入院して何回目の朝の挨拶だろうと思い乍ら、元気に病室に入って来た看護師さんと今朝二回目の挨拶だ。選句は中断だ。
朝ご飯は未だ全粥だがしっかり平らげ朝のルーティーンを順番に熟して行く。薬を飲んで歯も磨きひと息吐くともうノートを広げている。ノートは一月も終わりに近づき俳句コンテストに四句を投句している。最初に並ぶ句に入選とメモしている。
根つからの丹波の生まれちやんちやんこ
下五のちやんちやんこは自らの老いの象徴として二十年程前に初めて使って以来幾度と無く使って来た常套句だが、其に望郷の念が加わって秀句と評価して戴いたのだろう。「望郷」もテーマにすべきと思いメモする。
初詣やがてひとりとなるふたり
投句の三年前の八十歳に成る正月に詠んだ句だ。年が改まり目出度いと思う一方で、夫婦も五十年以上連れ添うと何方かの死を意識せざるを得ない。其を上手く表現していると思う。テーマは「妻」であり「老い」でもある。
石くれと思ひしが鴨飛び立てり
正直言って秀句とは思わなかったが予選通過した句だ。動く筈の無い石くれが実は鴨であり、急に飛び立ったときの驚きを素直に詠んだ句と評価して貰えたのかも知れない。私は昔から鴨や燕の鳥類は勿論のこと、蟷螂、あめんぼう、蝶、蜻蛉、蟬などの昆虫類にも目を向けて来ている。私が得意とする「生きとし生ける物」である。
自分で作り自分で書き残したノートだが忘れている句も有って頁を繰る度にどんな句が出て来るか楽しみだ。続く二月、三月は過去の自作句の推敲句が目立つ。最初に句作したときの着想の良さを句に生かし切れなかった反省を踏まえ見直しているのだが、小手先の推敲に終わっている句が多い。
闖入を許さじと鴨声上ぐる
推敲句に対して、其のときの感情や驚きを直感で詠んだ句は読み手にも伝わり易い。
此の句の闖入者は私である。いつもの散策中に道端に転がる小石を思わず直ぐ横を流れる川に蹴飛ばして仕舞い、淀みでひと塊に休息していた鴨の群れを驚かせたのである。其の声は闖入者への威嚇か仲間への警鐘かは知らぬが、驚かせた私が逆に驚かされたのを素直に詠んでいる。「生きとし生ける物」との予期せぬ掛け合いである。
義理チヨコを買ふ妻バレンタインの日
戦後も戦後、其こそ私が還暦を迎える頃から日本に新しく定着した風習を題材に、進取の気概を発揮して挑戦した句のひとつだ。妻が渡す相手は勿論私だが、「妻」も傘寿を迎えたが乙女心を忘れない初々しさを詠んでいる。句への評価は良くなかったが私には忘れられない一句である。
禅堂に警策の音冴返る
此もいつもの散策場所である曹洞宗の寺院での緊張の一瞬を切り取った句だ。朝の冷気が辺りを覆い境内を歩くのも憚られる散歩の途中、私の足音を咎めるが如く警策の音が響く。動もすれば惰性で過ごして仕舞う日々を見透かされたような気がする。テーマは「歩く」かな。
八十四歳の句作のうち此処迄黒丸印を付けたのが七句。作業をして行くと思うのが、遺句集と言うよりは俳句日記と呼ぶに相応しい程に俳句と日常が表裏一体に成っている。
《「能く続いたね」誰だろう。私に話し掛けて来る。
「熱し易く冷め易く気が短いお前がね」聞き憶えがある声だ。
「能く五十年も続いたね」はっきり母だと判る。「えっ」隣には父も
居る。》
誰とは無しに呼び掛ける大きな声が部屋中に響く。昼ご飯を報せる看護師さんの声だ。少しうたた寝をしていたのだろう。
昼ご飯のあと夢を振り返る。夢の中とは言え両親の並ぶ姿を見たのは彼此半世紀以上も前のことに成る。時空を超えて会いに来て呉れた両親に思いを馳せる。
(七月十一日その2につづく)