「芭蕉より一茶が好き」17.
(七月十二日その1・・・遺句集の選句作業が調子に乗って来た。俳句も油の乗った頃の物で、ノートを見返すこと自体からして心が弾む主人公です。)
七月十二日
目覚めると窓の外はもう白み始めている。「流石に夏至の頃だ」と久し振りに季節感を味わう。尿意は無い。「此なら読めるな」と早くも句作ノートを手に取り続きを見る。
四月はKM結社の主宰に秀句と認められた句から始まる。
火の跡の残れる土師器水温む
日常の散策ルートには地元の公共施設が多い。其の中のひとつの歴史資料館で見た素焼きの土器を題材にして詠んでいる。水を沸かしたであろう古代の土器と春を実感する季語とを上手く結び付けた処を評価して戴いたのだろう。テーマは「歩く」だ。
そして、此の年の全国の俳句大会へも「歩く」ことで見聞き出来る日常をテーマにした句を投句して入選している。
塀越しに子らの声してしやぼん玉
此の句も散策中のひとコマを切り取って予選通過を果たしている。子どもの声が聞こえた次の瞬間、しゃぼん玉が塀の向こうに浮んで来た光景を素直に詠んだだけだが、見えたしゃぼん玉が季語である幸運に恵まれ読み手にしっかり季節感と映像を残せたと思う。
斯うして選句していて思うのが季語の力である。どの季語を何処で如何使うかを悩んだのが水温むだし、偶々目に飛び込んで来た光景の中に在ったのがしやぼん玉だ。だから句作で大事なことは、他者の作品や歳時記を読み如何に多くの季語に触れるかと云うことと外に出て沢山歩いて如何に多くの物を見聞きして、其の上で如何に多くの句を作るかだとも思っている。朝から気合いが入ったなと思っていると尿意だ。
朝ご飯を美味しく戴き、看護師さんの笑った優しい目も戴き気分は上々だ。
名簿より消ゆる友の名雲雀東風
卒寿まで生くるを願ひ青き踏む
しゃぼん玉の句と同様に全国の俳句大会に投句したが、何方も思いを能く表しているが季語の乗せ替えが幾らでも効く句だからだろうか落選している。しかし俳句と共に歩んだ私の人生では大事なテーマである。雲雀東風の句は「友」との「別れ」であり、青き踏むの句は「老い」だ。どちらの句も打遣ることは出来ない。そして五月。
延命を拒む遺言鳥雲に
実は此の十三年前の古稀を迎えた年に同じ意味の季語の鳥ぐもりで句作したが、季語を乗せ替えることで上五、中七の願いを北帰行の鳥たちに重ね余韻を醸し出している。同じ意味の季語でも句の良し悪しが変わる良い例かも知れない。テーマは勿論「老い」だ。
年寄りに青春切符万愚節
旧国鉄時代から人気商品の鉄道切符を誕生日祝いとして娘から貰ったときの感慨を詠んだ句だ。
因みに万愚節は私のお気に入りの季語で、外来語を表意文字で意訳した熟語の中でも秀逸だと思っている。其迄は同じ意訳熟語の四月馬鹿を使っていたが、万愚節と出会ってからは毎年四月一日の頃に成ると言い得て妙の此の季語を使って句作することが多い。しかも不思議と良い句が生まれていて今でも諳んじることが出来る句が幾つか有る。
万愚節死への階段踏み外す
お世辞にも若く言はれて万愚節
筆順のどこかで狂ひ万愚節
季語自体の持つ軽妙な響きに加えて、自らの「老い」を自虐的に表現することで力が抜けて秀句に成るのかも知れない。階段と筆順の句は第二句集に収めているし、もうひとつの四月馬鹿を使った句も所収している。
一万歩歩くと決めて四月馬鹿
テーマは「歩く」だが、此の季語だと何かをひとつ覚えに繰り返すと云う意味に変化するのも面白い。季語の妙味だ。
続いて六月、七月は従来の二つの俳誌への出句の外に四つの俳句コンテストに投句し、幾つかの句が評価を得ている。
梃子にても動かぬ構へ雨蛙
KM結社の主宰に秀句と評価して戴いている。雨蛙は鮮やかな緑色で四本の脚に吸盤が付いていて他の蛙よりも小さくて可愛い。好で野山で見掛けると能く観察をする。
「然う言えば」はたと思い出し“俳句BOOK”を手に取り頁を繰る。
雨蛙塑像のごとく動かざる
社会人二年目の二十二歳のときに職場俳句会で其の句会の指導者だった著名な俳人に秀句と評価して戴いた句だ。私の「生きとし生ける物」をテーマにする姿勢が六十年経っても変らないことに嬉しく成って来る。
「はあい、そろそろ昼ご飯ですよオ」朝から選句に力が入り流石に疲れて来る。其処に看護師さんの元気な声だ。
昼ご飯を食べ終え昼のルーティーンも熟すと朝から根を詰めたからひと休みだ。
はっとして目を開ける。どれ位眠ったのだろうと床頭台の置き時計を見ると昼のルーティーンから三十分も経っていない。頭もすっきりして句作ノートを手に取る。七月のAM結社の定例句会で何方も多くの句友から共感を得た二句だ。
風よ吹け瓦礫の空に鯉のぼり
柏餅妻にまだある国訛り
最初の句は未曾有の大津波に見舞われた被災地の惨状を伝えるテレビニュースに映った鯉のぼりの映像を見て詠んでいる。風も無く竿に垂れ下がっている鯉のぼりの姿がともすれば項垂れる被災者の心情と重なり悲しく成って仕舞う。せめて風が強く吹いて元気良く泳いで呉れればと願った句だ。復興に向かって立ち上がる被災者の皆さんを元気付けようとする思いは、広い意味で「生きとし生ける物」がテーマである。
もうひとつの句は「妻」をテーマにしている。御多分に漏れず甘い物に目が無い妻が、端午の節句に街で売っていたからと柏餅を買い求め嬉しそうに食べる様子を詠んでいる。好物を食べ乍ら屈託なく方言丸出しで話す妻の童心に戻ったような姿を素直に描いている点を評価して戴いたと思う。続いて七月に私が所属していた俳人の協会が募集するコンテストに投句し入選した句が続く。
遅れ来し人の声する葭障子
此の句は此の数年前に有った気の置けない旧工専時代の同人誌仲間との旧交を温める飲み会でのひとコマを詠んでおりテーマは勿論「友」である。料理もお酒もお預けの儘全員が揃うのを談笑し乍ら待っていると、「お席はこちらですよ」と店の人に促され押っ取り刀で現れた友に待ち人来たる感が上手く描けた句だ。実は飲み会の直ぐあとに作ったときの中七はしゃぼん玉の句と同じ人の声してとしていたが、推敲して投句するに当たり人の声するに改作している。言葉の選び方で句の良し悪しが変わる。次はAM結社の主宰が長年力を注いで来た平和を願う俳句大会への投句で「反戦」がテーマの句だ。
きのこ雲の写真見上ぐる夏帽子
夏帽子を被り広島の原爆資料館で写真を見上げているのは私である。尋常小学校や旧制中学校の同級生の中には志願して戦地に赴き戦死した者も居るが、私も含めた大半の同級生は銃後で戦争と向き合った戦中派である。戦地に行って運良く生きて帰れたた人達も、銃後で空襲の恐怖に怯え生き永らえた私達も反戦への思いは同じである。戦地でも銃後でも悲惨な戦争を体験した者が反戦を訴えることは当然であり、後の世の人達に戦争の虚しさを伝えることを怠ってはいけないと心底思う。だから反戦の句だけは上手いも下手も無く愚かな戦争は止めようとの思いが伝われば其で良いと思っている。あと、江戸時代の文人を顕彰する俳句大会に投句しているが残念乍ら入選する程の秀句は無い。
(七月十二日その2につづく)