「芭蕉より一茶が好き」25.

(八十七歳、八十八歳のときの選句を進めて行くうちに、当時の自らの異変に気付く主人公です。)

七月十六日
 いつものようにトイレに立つ。毎度毎度に看護師さんの手助けが必要な体調に成っている。来て呉れた看護師さんに目を見て「有難う」を返してベッドに戻り朝ご飯を待つ。
 
 看護師さんの朝ご飯の掛け声で起きる。二度寝のあとだったが残さずに食べ、其のあと便通も有り気分も幾分か持ち直す。朝のルーティーンを熟し句作ノートの続きを開く。
 
     山肌に残る城壁鰯雲
 
 八十七歳の九月に作り俳誌KMの十月号で句友から秀句に選んで戴いたとメモが有る。久し振りの新作を出句したのに出句ノートに記載を漏らしている。テーマは「歩く」だ。この前月に老人大学のサークルで行った旧跡での光景を詠んでいる。真っ青な秋空に浮かぶ鰯雲の鱗模様が投影されたような城壁を同時に映し出された光景が見えるようだと評価して戴いている。
 すると鰯雲の句に並んで同じ十月号に出句したものの、同じく出句ノートには未記載の二句が有る。此の二句は、翌年の四月号に於いて前年一年間の出句から印象に残った句を選ぶ企画で句友から互選戴いたと句作ノートにはメモしている。
 
     吸ひ込まれゆきさうになる虫の闇
     釣れぬ釣り見てゐて秋思深まれり
 
 虫の闇の句は、十数年前の未発表の儘埋れていた旧作をノートから引っ張り出して出句したと記憶している。句の評価よりも句作意欲の無さの方が闇の中だと思って仕舞う。目を凝らしても何も見えない漆黒の闇に、あちこちから聞こえて来る虫の音が夜の暗さをより一層引き立てていると感じた儘に詠んでいる。口語文にも拘わらず、歴史的かな遣いがこの句友には俳句らしく感じて戴いたのだろう。「生きとし生ける物」もテーマに成る。
 秋思の句は、釣れぬ釣り見てゐてと云う常套句を使って物思いに耽る秋本番を迎えた感慨を詠んでいる。しかし句作意欲の点から見ると、二年前の秋にも同じ常套句で句作して出句しておりさぼっていると思われても致し方無い句である。テーマは「歩く」だ。
 何方も新作を作れない状況を露呈していると言えよう。そしてノートの先を見ても所収すべき句は無く、頁数にして五頁で一年の出句が終わっている。再び最初から見返しても間違い無い。出句ノートへの転記が無かったり、新作が作れなかったりしていた状況を見ると今更ではあるが気分が萎える。さて次は満八十八歳の年だが如何だろうか。
 先ず出句ノートの一月をみて吃驚仰天だ。前年の地球儀の句を同じ俳誌KMに出句しているではないか。そしてメモに遅れてと共に当時の俳誌の編集担当の句友から電話が有ったと書いている。恐らく重複出句の指摘を受けたのであろう、句の上には✓の印を付けている。ノートを見る迄此のこと自体を忘れていたことにも又萎える。此では句作が減るのは当然だと思い乍ら続きを見て行く。
 
     笹鳴きのあたりに夕日移ろヘリ
 
 同じ一月に俳誌AMに出句し、主宰の選には漏れたが句友に秀句と評価戴いている。「歩く」がテーマだ。散歩の途中、珍しく鴬の鳴き声がしたので声の方に目を遣ると未だ昼と思っていたのに早や夕方の日射しに変わっていると云う冬至の頃の情景だ。句を見ると朧気乍ら情景を思い出すが、過去の自作句の推敲だった気がする。主宰の選に漏れた理由は上五の助詞がやでは無くのだったからと思うが如何だろう。其の儘出句ノートを読み進めるが中々選に入った句が見当たらない。四月にやっと俳誌KMで選に入っている。
 
     さまざまな首の彫刻春愁ひ
 
 此の句は何年か前の未発表の旧作を推敲もせずに出句したように思う。地元の文化芸術会館で偶々開催されていた彫刻展に予備知識無しで飛び込んで仕舞い、小難しい現代彫刻だったことを悔やんだ句だ。春愁ひと云う季語の持つ力を上手く活かしていると思うが、新作だったらもっと喜べたのにと思って仕舞う。締め切りが迫っていたとは言え推敲すらする気に成らなかったのだろうか。テーマは「歩く」だ。
 確かに未発表ならば、旧作だろうが無かろうが出句された句は正当に評価されて然るべきだと思う。しかし、何年も前に俳誌AMに出句した筈の句を俳誌KMに出句したと堂堂とノートに転記しているのを見ると、情けないを通り越して悲しく成って来る。
 次いで五月、六月でも同じ状態で、七月に至っては出句した形跡すら無く九月に成り「秋」の課題句で選に入っているが此も未出句の旧作を推敲したように記憶している。
 
     道祖神耳澄ましをり秋の声
 
 確か元句は先人の言う道祖神を擬人化した月並みの句だったと思う。推敲した結果が此の句である。耳をそばだてて秋の気配を感じ取ろうとしているかのような道祖神が鎮座しているとして擬人化一歩手前で留めている。しかも耳澄ましが澄んだ秋を連想させる技も入っている処に評価を得たのだろう。テーマは此も「歩く」で良いと思う。そして遂に九月以降は選に入っている句は見当たらない。
 此処迄で八十八歳の年は三句しか選に入らなかったことに成る。自分の老い耄れ度合いを見て疲労感を憶えてしまう。一寸ひと休みしようと目を瞑るが当時を思い出そうともう一度目を開ける。当時と言っても僅か五年前なのに中々思い出せないが、もう少し選に入った句が有ったような気がする。別のA六判のノートを見ようとベッドから降りようとした処に昼ご飯の声が掛かる。
 昼ご飯、昼のルーティーンが終わったあと看護師さんに紙袋を取って貰いA六判の句作ノートを探し出して句作を見て行く。すると俳誌KMへ出句し、主宰代行の選に入ったとのメモの有る山を詠んだ句が二句有る。此も出句ノートには転記していない。
 
     大文字の護摩木リフトで運ばれる
     借景の比叡を隠す霧襖
 
 大文字の句は、久し振りの新作だったので能く憶えている。伝統ある京都五山の送り火をテレビ中継で何気無く見ていると、火床で燃やす護摩木を何とリフトで運び入れているではないか。其の光景を見たとき伝統行事の中にも近代化の波が押し寄せているのかと驚くと共に、此のリフトのように我々老人の命も順繰りに天に召されて行くのだろうと云う思いが脳裏に浮かび其を詠んでいる。
 次の借景の句は、借景と云う言葉が好きで借景の庭とか借景の山とかで秀句を作りたいと力んで来たが秀句に至らぬ儘人生の終盤を迎えた処、AM結社の句会でやっと力の抜けた秀句に成ったのである。大文字山も比叡山も若い頃から慣れ親しみ幾度も登った山で、二句共テーマは広い意味で「望郷」だろう。
 そしてKM結社の俳誌KMの創刊七十周年記念の俳誌企画で句友の互選句会に出した句がある。三点の得票だったとメモしている。
 
     千を越す一茶の俳句読む夜長
 
 何の変哲も無い句でテーマは「日常」だ。単に好きな一茶の句を夜な夜な鑑賞する私自身を詠んだ句である。芭蕉より一茶が好きなことを知っている句友が慰めで投票してくれたかも知れぬ。
 此処迄見て来て気に掛かるのが、其迄は出句すれば毎回几帳面に出句ノートに転記していたのに記載されていないことと其のときの状況を殆ど忘れて仕舞っていることだ。其の積りで出句ノートを見返すと、十か月分位を一気に書いたと思われる節が有る。恐らくFAXで出句したときは控えが残っているので体調が良くなったときに控えを見て一気に書き留めることが出来たのだろうが、俳誌の巻末に有る出句用葉書を投函したときは控えが残らないため記載漏れが出たのだろう。其程に老化が進んでいると云うことだ。
気持ちが落ち込むと体も連動して疲れがどっと出て来る。ノートを閉じ横に成ろうと体を捻ったら尿意だ。早く用を足したいのに疲れも手伝い中々辿り着けない。もどかしさを感じ乍ら看護師さんの助けを借りて何とか用を足しベッドに戻る。
 
 看護師さんの掛け声に起こされる。晩ご飯と夜のルーティーンを熟し、もう一度八十八歳の年の句作を見返そうかと思うが気が乗らない。昼寝もしたので少し眠れないかと思うものの、横に成ると欠伸がひとつ、二つ。其のうち闇の世界が来るだろう。

(七月十七日につづく)

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