「芭蕉より一茶が好き」1.プロローグ
落有作です。ご無沙汰しております。やっと第2作を脱稿できました。前作「ローアングル」の反省を踏まえ今回の作品はnoteでも公開し易いように日記形式で書いております。今日から30日に亘り毎日無料で発信させていただきますのでご購読いただければ幸いです。ではスタートです。
『芭蕉より一茶が好き』-父の俳句日記-
落 有作
満九十三歳を間近にした正月過ぎから原因不明の痒みに悩まされ続けている。近所の主治医に診て貰っても原因不明だ。此も老化かも知れぬが、眠りも儘成らないのは困る。
痒みと言う奴は一度掻き始めると始末が悪い。掻いて、掻いて、搔き毟って、痒みが痛みに変わる迄止められない。遂には血が出る迄掻き続け指先に血糊を感じた処で一旦掻くのを躊躇するが、暫くすると其を忘れて又掻き出して仕舞う。其のうちに徐々に痛みに替りやっと状況を再認識するのだが、厄介なことに今回は一箇所に留まらない。此には閉口する。
「そんなに掻かない、ほらこんなに成って血が出てる、痒くなったら叩くのよ」隣で寝る妻が手を伸ばし、無意識に痒い所を掻く私を制して掻いている所を叩いて呉れるのだが埒が明かない。ふと自作句が頭に浮かぶ。
咳込めば背ナさすり来る妻のゐて
咳と痒みの違いは有れど状況は同じだ。ときには押売り気味に成り、構わないで呉れと言いたく成ることも有るが私の体を気遣って態々起きて呉れる妻に文句の言える筋合いでは無い。其こそ罰が当たって仕舞う。
季節も肌が乾燥する冬から春を通り越して汗ばむ夏へと移り、痒みは収まる処か一層増す許りである。痒みに蒸し暑さが加わり連夜寝苦しく寝不足が続いている。「何処迄続く泥濘ぞ」と思う毎日だ。
「然うですね、あの頃の日本は戦争に敗けて食糧難の街には闇市が建ち、 復員兵や傷痍軍人の姿も其処ら中に見られ本当に世の中は混乱していましたね」
「でも新憲法の下、若かった私は進取の気概に富み興味を惹かれる物には積極的に挑戦していましたよ」
「其のとき出会ったのが俳句ですね」
「会社に入って直ぐ職場俳句会と云うサークルが有って入ったのが始まりで、其から結婚して息子が生まれ新しい仕事に抜擢される迄の八年位はのめり込みましたね」
「あの頃は恐い物知らずで、高名な俳人の主宰する俳句結社に籍を置く先輩俳人たちが集まる地元のOK句会に参加を許されましてね」
「仕事の合間を縫って参加し乍ら俳句の面白さに魅せられて行きました」
「仕事に没頭していた間は句会には参加しませんでしたが俳句を全く忘れた訳ではありませんでした」
「句会に再び参加したのは五十歳の節目を迎えた頃ですね、二十年のブランクです」
「二十年前と同じOK句会に暖かく迎えられたことが大きかったと思います」
「あのとき冷たく突き放されていたら今俳句を遣っていたかどうか」
「再開して句会で師と仰ぐ先輩からKM結社を紹介戴き入会しました」
「月一回のOK句会を続け乍らKM結社の同人として俳句の腕を磨き、KM結社主宰の了解を得てもうひとつのAM結社にも入会しました」
「参加した句会や吟行は数知れず、他流試合宜しく俳句コンテストへの投句も積極的に行なって、俳句道即人間道を地で行きましたね」
「ああ、俳句道即人間道と云うのは私が俳句の道に魅せられたときから師と仰ぐ今は亡き高名な俳人が提唱した教えですね」
「全国紙の第一面を私の俳句が二度も飾りました」
「俳句の初心者に指導する句会を二つも任されるし、俳句大会の選者を十年間も遣らせて戴きました」
「何と言っても句集を二冊も出せたのはお金も掛かり妻にはぼやかれましたが本当に嬉しかった思い出ですね」
(つづく)