「芭蕉より一茶が好き」22.

(七月十四日その2・・・選句の舞台は八十六歳の主人公です。齢を重ねると主人公の周りには色々なことが起きます。)

 
     飲まうかと子に酒を注ぐ父の日よ
 
父の日に珍しく実家に帰って来た息子と一杯遣る場面である。上五の飲まうかとのあとに子が続くと子が私に注いで呉れる場面を想像する処だが、其を私が子に注ぐと云う展開に持って行った佳作だと思っている。息子も嫁と共に孫たちを立派に育て上げ一端の父親と成り、偶には労って遣ろうと酒を注いだのを思い出す。
 そして八月以降の出句は旧作の推敲句が目立つ。推敲と雖も神経を総動員するので中には評価して戴く句も有る。次の八月の俳誌KMでひとりを使った俳句の代表例として紹介された句は推敲が上手く行った例だ。
 
     向日葵に囲みこまれてゐて独り
 
 テーマは「歩く」で、元句はこの前年に作った「向日葵に取り囲まれてゐて孤独」だ。あのイタリア映画の名作「ひまわり」の有名な向日葵畑の場面を彷彿させる句だなと思い乍ら顔を上げると、日が昇り部屋の中が明るく成っているのに気付き読書灯を消す。
 続ける。元句を確か二度推敲し此の句に成ったと記憶している。下五が孤独のときは寂しさだけしか感じられなかったが、独りに変えることで其に静けさや捉え方に拠ってはこんなに素晴らしい場所をひとり占めしていると云う優越感まで想像出来る句に成って深みが増したのである。そんな処を評価戴いたのであろう。同じ八月の出句では俳誌KMの課題句「盆の月」で特選に選ばれている。
 
     ふるさとに墓地のみ残り盆の月
 
 此は十年程前のお盆の墓参りの際詠んだ句を推敲している。旧作では中七があるは墓地のみと気取った表現だったのを、墓地のみは変えず素直な表現に変えただけで私の言いたいことがより伝わったと思う。テーマは「望郷」である。そして九月の出句では同じ俳誌KMの一句鑑賞と云う担当同人が選ぶ企画に選ばれた句がある。
 
     そのむかし風葬の地や虫時雨
 
 テーマは向日葵の句と同じく「歩く」だ。
 老人大学仲間で作る別のサークルに地元の歴史ある場所を尋ね歩く会が有る。出句する五年前だったと思うが、会で平安時代に風葬をしていた地域を歩き詠んだ句を推敲している。当時は下五に曼珠沙華を使ったが、虫時雨に替えたことで虫が発する音色だけが聞こえる闇の中で風葬した亡骸が徐々に朽ちて行く様を連想させる句に成ったと思っている。続いて十一月。愁いの秋の得も言われぬ心情を上手に詠んでいると結社KMの同人に評価された句だ。久し振りに新作を出句出来、嬉しかったのを憶えている。
 
     もてあます捉へどころのなき秋思
 
 秋は何もかもが弾けるような季節の夏が終わり、凍える冬への助走の季節だ。如何しても気持ちも沈みがちに成って仕舞う。
 此の日も俳誌への出句のため朝から苦しげに机に向かい無い知恵を絞っている。何とか及第点に近い句を捻り出したあとは虚無感に襲われるときがある。此が春ならば安堵感に成るのかも知れないと思い乍らぼうっとする時間が有る。其の様を即吟に近い状態で詠んだ句である。やはり推敲句には無い新鮮味が有る。秋の「日常」を詠んでいる。続いて同じ十一月に出句した句がもう一句。俳誌KMで秀句とお褒めを戴いている。
 
     釣れぬ釣り見てゐて秋を惜しみけり
 
 冬の到来を間近に控え「日常」の散歩で出会う釣り人も徐々に数が減って行く。時間が許せば腕前拝見と許少し距離を置いて見物するのも今年はこれで最後かも知れないと残念な思いに成る。同じ秋でも憂う秋も有れば惜しむ秋も有ると云う気持ちを詠んでいる。そして十二月も旧作の推敲句が並ぶが、何方も俳誌KMの同人から高評価を戴いている。
 
     もう怒ることなど忘れ枯蟷螂
     骨董の前を離れぬ懐手
 
 夏の季語にも成っている蟷螂やいぼりむしを「生きとし生ける物」として幾度と無く詠んで来たが、最初の句は年齢を重ねるに従い私自身を投影して冬に見掛ける茶褐色の枯蟷螂を詠んでいる。だから思い入れ過ぎて先人の言う月並みの句に成る傾向が強いが、此の句は何とか踏み止まったと思っている。
 そんな冬の季語の枯蟷螂だが、実は最近知ったことが有る。私はかまきりが寿命を迎え力尽き茶褐色に変身する物だと勝手に思い込んでいたのだが、緑色で生まれれば一生緑色であり茶褐色でも同様に生まれたときの体色の儘だと言うのだ。どうも枯蟷螂は俳句の情緒的な想像の世界だけのことらしい。
 次の句は縁日に並ぶ骨董屋の前に居て、買う素振りすら見せず只腕組みして冷やかす私を俯瞰している。私も周りにいるお年寄りの仲間入りをしており自らの「老い」を自認していると言える。
 八十六歳の年の句は此処迄で十二句だ。前年、前々年に比べても少ない。少し足そうと思い、一旦出句ノートを閉じA六判の句作ノートを取ろうとベッドから下りるのだが体の動きが儘ならない。「困った物だ」と思い乍らベッドの上でもじもじしていると看護師さんが顔を出す。「有難い」
「如何しましたか」態々私のために来て呉れたのでは無く検温と血圧の測定だ。
 測ったあと私は別のノートを取るため下りようとしていたと説明すると、看護師さんは直ぐに床頭台の前に有る紙袋を取って私に手渡して呉れた。お礼を言い、中から八十五歳の二月から八十七歳の三月と日付を書いたA六判の小さい俳句ノートを取り出すと紙袋を枕許に置こうと体を捻る。
「下に置きましょうか」手を差し出して呉れる看護師さんに感謝である。
「直ぐに朝ご飯です、お待ち下さいね」元の体勢に戻すと根を詰め過ぎたのか腰とお尻が痛い。一寸休憩しようと横に成るが此又緩慢な動きが情けない。頭の冴えとは反比例して体は心配だ。自分では如何ともし難く下手の考え休むに似たりたと思う。
 
「お待ちどう様でした、ご飯の用意が出来ましたア」看護師さんの声にはっとして目を開ける。ほんの一瞬寝入ったようだ。
朝ご飯は少々時間が掛ったがしっかり食べることが出来嬉しい。朝のルーティーンも終えたが選句を続ける気に成らない。
 
 尿意で目が覚める。どれ位寝たろうかと重い体を少しずつ動かす。と言うよりも少しずつしか動かないと言った方が正しい。何とかベッドから下りベッドの角で方向転換すると看護師さんが来て呉れている。小便だけでなく大便も出て表面上は快眠快食快便だが間違いなく変調を来している。
ベッドに戻り八十六歳の句作を見ようとA六判の句作ノートを繰る。前年の暮れに詠んだ句が有る。日付は十二月二十七日である。テーマは「妻」だ。
 
     数へ日や妻のお供を仕る
 
 記憶だと前々年の暮れの句を何度か推敲した最終形が此の句である。元句は妻の僕をつかまつるとしていたと思ったが、流石にしもべは明治憲法下での表現だと反省したのを思い出す。僕をお供につかまつるを漢字に変えて敢えて古臭い表現だけは残こしてAM結社の句会に出句している。そして五月を見るとOK句会に同じ「妻」がテーマの句を出句している。
 
     新茶汲み老いの繰り言聞き流す
 
 第一句集の掲載検討句だった句を二十数年振りに推敲している。気の強い妻は様々な愚痴を二十数年の時を経ても相変わらず私に向ける。其を聞いた振りをする私の様を詠んでいる。テーマは「妻」と「日常」だ。次の六月には前年三月に生まれた初曾孫を連れて孫夫婦が遊びに来て呉れ、其のときの様子を詠みOK句会に出句している。
 
     嬰児のよちよち歩き若葉風
 
 生まれて直ぐに曾孫を抱いたときは首も坐らぬ赤子だったのに、一年余りでもうよちよち歩きが出来るように成っている。其の成長振りを芽吹いた許の若葉の息吹に重ね合わせ心情を詠んでいる。健やかに育ち我が家系を繋いで呉れることを願うのみだ。テーマは勿論「家族」である。

(七月十四日その3につづく)

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