「二人の小父さんとあの老女」1.
プロローグ
落有作です。第3作を投稿する前に先ず御礼申し上げます。
前作の「芭蕉より一茶が好き」では多くの方々に読んで戴き感謝申し上げます、有難うございます。創作の励みになります。これからも皆さんに楽しんで読んで戴ける作品を投稿して行きたいと思っております。
第3作です。2週間振りの投稿になります。この作品は、別のペンネームで文芸雑誌の懸賞小説に応募して箸にも棒にも引っ掛からなかった作品を見直して改作しました。手を加える前は、今作でも出て来る「此の街」に有る「小橋」を擬人化して主人公に仕立て上げて物語を展開したのですが、今作では初心に帰りシンプルに「私」を主人公にしています。
物語は、主人公とその妻が「此の街」に住んだことで「二人の小父さんとあの老女」に遭遇し、二人の平板な日常の会話に花が咲き倦怠期を乗り切って行く日々を描いています。
この作品には虚と実があります。どこまでが実でどこからが虚かは皆さんの想像にお任せいたしますが、「二人の小父さんとあの老女」は実在する人物であることだけはお伝えしておきたいと思います。今この人達がどこでどうしておられるかは全く不詳ですが、読み物にしたく成る程作者に大きなインパクトを与えました。皆さんに読み物として楽しんで戴ければ幸いです。乞うご期待。
『二人の小父さんとあの老女』
落 有作
此の街はあと何年かで結婚して四十年を迎えようとしている私達夫婦に沢山の話題を提供して呉れる。
少し話しは横道に逸れるが人の一生を考えるとき、仮に大学に浪人せず入学して、留年せず卒業して、社会人と成り学生時代からの恋人同士と互いに貯金を少し貯めて二十四歳で結婚して九十三歳で何方かが先に死ぬとすると、此の四十年近い歳月はやっと折り返し地点を少し過ぎた辺りと云うことに成る。然う考えると此の歳月は長いのか短いのか微妙な処と言える。
そんな微妙な歳月を経た夫婦の日常は、誤解を恐れずに言うと子が居ようが居まいがお互いに新鮮味が無く成り、加齢に拠ってより頑固に成って自己主張し合い、其が高じると口を利くのも面倒に成り、所謂倦怠期を殆どの夫婦が迎える。実は斯く言う私達も其のうちの一組だった。しかし敢えてだったと言ったのは、此の街に棲み家を得たことで倦怠期に陥らずぎりぎりの所で踏み止まらせて呉れていると言っても過言では無いからだ。
話しを戻そう。先ず此の街は大都市の中心部に位置し交通に至便で私の通勤や出張の行き帰りにストレスを感じさせ無い。家から歩いて十分以内の所に四路線で五つもの地下鉄の駅と五つの方面に行く路線バスのバス停が有る。毎日の通勤は地下鉄で僅か二駅乗るだけで済む上に、出張するにも此の大都市の鉄道の玄関口でもある始発駅へ路線バスで混んでも十五分、ハブ空港の搭乗窓口へも空港都市間バスに乗って三十分で着く。此の時間のゆとりが妻との会話にも余裕を持たせて呉れている。
十年前に、今度がサラリーマン生活で最後の転勤かなと思う人事異動で棲み家を探した際、川が近くに有る生活を送りたいと云う妻の立っての希望で決めたのが此の街だ。家を出ると目の前が一級河川の支流沿いの道で、南東方向に歩いて二、三分の所に此の大都市をほぼ南北に貫く一級河川が有る。近年に成って川の浄化と護岸整備で両岸に広い遊歩道が出来、今や周辺住民のみ成らず遠方からも多くの人が訪れる憩いの場に成っている。週末や休日は人通りも疎らで、整備された川沿いを二人でのんびり散歩したり軽い運動をすると本当に気持ちが良い。斯うして生まれる心のゆとりは様々な処に好循環をもたらして呉れる。
週末や休日に外食するにしても、此の街の周りには知る人ぞ知る名店や流行りの人気店から格安居酒屋迄店探しには事欠かない。外食で楽しく飲んで食べて二人の会話は弾まない訳も無く、二人の会話から刺々しさを消して呉れる。頑固に成ったお互いの言い分にも聞く耳を持てるように成ったのも心のゆとりのお蔭だと思う。
其から、此の街の周辺には有名百貨店や国内外の有名ブランドの旗艦店や老舗本店が歩いても行ける日常の生活圏に有る。此の仕事帰りや散歩途中に一寸立ち寄ることが出来ると云う優越感は、殊に女性である妻に取っては得も言われぬ喜びのようだ。流行の最先端をネットや本で単に情報として知っているだけでは無く、自分の五感で直接体感出来る上に、ときに購買意欲を搔き立てられれば、自分の好みや身の丈に合った品を物色して買い物をすることで心の洗濯が出来るのだ。
未だ有る。此の街では多種多様な人々との出会いが有る。抑揚の乏しい平板な日常に陥り勝ちに成る私達夫婦に色々な話題を提供して呉れる。恐らく私が物心付いてから移り住んだ十カ所以上の街の中でも一番と言って良い程多くの出会いが有ったと思っている。他の街に比べて単に人の数が多いからだけでは無く、場所と時間で面白い程変化が有るのが此の街だ。
朝の駅なら斯うだ。通勤時間帯に最寄りの駅から乗れば大半が勤め人だ。処が同じ朝でも早朝と成れば少し様相が変わる。新聞紙や布巾を上に掛けた手提げの竹籠を持つ如何にも料理人風の朝の市場帰りの人も居れば、制服姿の朝練に行くような学生さんも居る。夜番の仕事帰りと思しき疲れ顔の人も居るし、朝帰りの自由人も乗っている。其れが昼間とも成ると、仕事で同じ駅を利用しても勤め人は居るには居るが少なく成り、周辺の街への買い物で行き帰りするご婦人方や明らかに観光客らしき国内外の人達と出会う。
又川沿いの遊歩道だと如何だろう。平日の出勤前に朝の散歩をすれば四季を問わずいつも決まって会う人達が散歩しており、何方からとも無く朝の挨拶を交わす。桜の季節に成ると両岸の遊歩道や其に隣接する公園は花見客でごった返しと成り、花見ならぬ鼻見に成る。春や秋の晴れた日の休日共成ると走ったり体操したりと運動をする人達が居て、夏なら早朝から釣糸を垂れている人も居たり、日没を迎える頃には夕涼みで散歩する人や恋人が手を繋いで歩いて居たり、仲間数人で缶ビール片手に外国語で嬌声を発している集団や楽器の練習をする人も居る。
そして幹線道路沿いでは朝なら通勤通学の人達で歩道は溢れ返る。昼間は其々の取引先に向かう勤め人も居れば買い物客も居るし、配達の車が幹線道路に駐車し配達員の人が荷物の積み下ろしで慌しく働いている。日が落ちれば酒の匂いや色々な料理の匂いが混ざり合いざわざわした様相を呈し、仕事終わりで家路を急ぐ人と既にほろ酔い気分でふらついて歩く人が交錯する。夜が更ければ終電を逃すまいと駅に走る人も居れば、歩道の植え込みの前で吐き気を催している人も居る。詰り妻と楽しく会話出来る面白い話題を此の街は次から次に提供して呉れる。
(一、ひとり目の小父さんにつづく)