「芭蕉より一茶が好き」19.
(体は鈍いが頭は冴えて選句を進めて行く主人公に苦い思い出が・・・)
七月十三日
夢も見ず爽やかな目覚めだ。昨日の選句作業は余程心地良い疲れだったのだろうと思い乍らポータブルトイレに坐り便意も伴って用を足す。
「お早うございます、能く眠れましたか」来て呉れた看護師さんが頷く私の目を見て頷き返して呉れる。
「今日は体を拭きましょうね」私は気付かなかったが前回輸血した際に体を拭いて貰ったようで、昨今は水を使わないドライシャンプ―が登場して我々入院患者に取ってとても有難い。「宜しくお願いします」ベッドに戻るともうノートに手が伸びている。
八十五歳のときの一年分の出句、投句をさらっと見ると入選や主宰の選に入ったと云う覚え書きが少ない。「前の年に絞り出し過ぎて発想が枯渇したのかも知れない」と八年前の此の年の出来事を思い出して見る。
正月早々から前の年に結婚した二人の孫が伴侶と共に新年の挨拶に来て呉れ、総勢十三人で賑やかにお節料理を戴いている。三月には初曾孫が生まれ、嬉しいことが続く一年の幕開けだった筈である。其なのに句作は不作とは旨く行かない物である。其でも一月から二月に掛けては前年の余韻が有る。
熱燗や貴様と俺が生き残り
熱燗の句は酒好きの私には多く在るが、其の中でも一番の代表句だと思う。昔は「友」がテーマだったが、八十を過ぎた頃からはその友との「別れ」が加わり始める。貴様と云う古臭い言葉からは戦中派を連想させ、生き残りをより強調している。そして二月。
園児らの落葉のプール掻き廻す
初夢の見知らぬ街をさまよへり
プールの句は毎年投句している俳句大会で予選通過した句だ。散歩コースに有る幼稚園を通り掛かったときに見た光景だ。先生達が集めて来たであろう落葉一杯の小さなプールに園児が入って歓声を上げている。掻き廻すと云う言葉だけで園児の元気一杯の声が辺りに響き渡っている情景が見えて来る句と評価して戴いたと思う。テーマは日課の散歩のひとコマで「歩く」だ。
次の初夢の句は俳誌KMで主宰の選に入った句だ。夢に迄出て来る認知症に対する恐怖心をさまよへりと云う言葉で表現していると評価して戴いている。テーマは「老い」だ。
何方もひとつの動詞が読み手に情景や思いを連想させ、俳句に厚み持たせることが出来たと思う。
「朝ご飯ですよオ」丁度切りの良い処で張りの有る看護師さんの声が響く。
配膳作業を横目で見乍ら「やっぱり誰かに認めて貰えると嬉しい物だ」自分では秀句だと思って出句や投句しても評価して貰えないと落ち込む。その点、自分で選句する句集は自己満足だけで所収出来るから有難い。
看護師さんから体を拭くのは午後だと聞いたので、朝ご飯もさっと終わらせてルーティーンも待たずに選句の続きに取り掛かる。午前中は目一杯選句が出来そうだが、肝腎の俳句は如何だろう。
引鴨の雲霞のごとく湖の上
三月を見ると俳誌AMに出句したこの句が目に止まる。実は、丁度一年前の月例勉強句会で「引き鴨の雲霞のごとく湖覆ふ」として出句したのだが評価されていない。そして一年後の二月、同じ月例勉強句会で推敲を重ねた此の句を出句し参加した句友から着想を評価して戴いたため、三月の俳誌に出句したものの主宰の選に漏れた曰く付きの句である。恐らく、遠目で雲霞に見えた生き物が実は引き鴨であったと云う驚きを二句共上五で引き鴨だと種明かしして仕舞っており、折角の着想が生かされていないとの主宰ならではの叱咤激励ではないかと思うのだが如何だろう。時間が経っても考えさせられる俳句の奥深さである。テーマは「生きとし生ける物」だ。
残り鴨太平楽を決めこめり
四月に成ると北国に鴨が帰ったあと仲間とは別行動を取り日本で春を迎える一部の残る鴨を題材に詠んでいる。俳誌KMで同人に高評価を戴いている。
どのような理由で残る鴨がいるのか私には判らないが、不思議と周囲の気配に鈍感で人が近付いても驚きもせず堂々としている。そんな鴨に愛着を感じ、散歩の度に見付けては心を寄せるのである。只、「生きとし生ける物」に感情移入し過ぎて先人の言う月並みな擬人化の句なのでこの高評価も面映ゆい。
あたたかや三キロを越す曾孫生れ
続いて同じ四月に全国の俳句大会に四句投句し悉く選に漏れたが、此の句は初曾孫の誕生を祝う私に取って捨て置けない一句だ。私と同じ三月生まれで、しかも男児誕生は我が家の家系の存続を意味しており嬉しいのひと言に尽きる。戦中派の私が生きているうちに曾孫に会えるとは思っても見なかった出来事で何と言っても長生きはする物である。テーマは間違い無く「家族」だ。そして五月。
三椏の奢りたかぶること知らず
俳誌KMで主宰の選に入った句だ。
昔から三椏(みつまた)の花の淡い黄色には気品を感じており、残る鴨と同様に私が心を寄せる「生きとし生ける物」である。如何しても擬人化して仕舞うが、清楚で控え目な三椏の花と私の愛着度を上手く表現出来ており月並みでは無いと思っている。続いて六月は私も選者に名を列ねる恒例の平和を祈る俳句大会に献句している。
ひろしまの語り部となり蟬時雨
十三点とメモしているので入選一歩手前だったのだろう。何年か前に訪れた広島平和公園で聞いた蟬の声が原爆慰霊の日の頃に成ると甦って来る。日記に新型爆弾が投下されたと書いたあの日、投下直前迄恐らく聞こえていた筈の蟬の声は、轟音と共に一瞬で掻き消され再び聞こえて来る迄にどれ位の時間を要したのだろうか。其を目の当たりに体験した人が、語り部と成って反戦反核を訴えるものの寄る年波に勝てず年々減って行き、遂には蟬だけが語り部と成って仕舞うのだろう。文字通り「反戦」の思いを込めた句だ。
ノートを読み進めて行く。散文に成っている句、紀行備忘録の域を出ない句、旧作に季語を載せ替えただけの句が並ぶ。何頁か前から見返して見ても、前年の豊作に対して此の年はやはり発想の枯渇を思わせる不作が多いなと云うのが正直な感想だ。しかし推敲に推敲を重ねて此の句の方が良いと思って出句するのだから、其は其で致し方無しと思う。続いて八月の出句だが、「えっ嘘ッ」と句を見て目を疑う。
最初は第二句集に所収した句を間違って重複出句したと思ったが違う。「風鈴の吊るしどころを風に聞く」と成っているし、しかも俳誌KMのこの月の選に入ったとメモしているではないか。一寸小休止しよう。冷や汗が出て来るのを感じ乍ら当時の事件が甦る。
(七月十三日その2につづく)