「芭蕉より一茶が好き」35.

(七月二十五日その2・・・選句のテーマは「老い」「妻」へと移って行きます。そして「友」をテーマとして選び始めましたが、八十歳を越えると友を詠んだ句もほとんどが「別れ」の句に成って行くことに気付かされます。)

 
     ふるさとはひぐらしの里死なば往く
 
 テーマは「老い」とも取れる。
夏の終わりから秋の初めに掛けて、日が高く昇る前と日が西に沈む前にかなかなかなと鳴く蜩。殊に夕暮れどきに鳴き声を聞くと物悲しさや懐かしさを感じるのは私だけでは無いと思う。其に加え最近は自らの老いが進み死が近づくに連れより望郷の念を抱いて仕舞う。かなかなかなが耳に残る一句である。
 
     抱へ込むやうにひとりの缶焚火
 
 毎年投句して入選通知を心待ちにする俳句コンテストで入選した句である。
 百号の絵の句と同様に美術展で目にした入選作品から有りし日の父を思い出し句作したのだが、実は句作は投句した年から遡ること七年前で、何故七年間も放置していたかは思い出せないが手直しせず投句している。
 一斗缶で焚火している入選作品の光景は記憶の中に有る父を彷彿とさせ、半世紀以上前の俳句初心者の頃に詠んだ「かたくなな父あり榾のもえさかる」を思い浮かべ乍ら詠んでいる。父の衝撃の死から四十年以上の時を経て、年を追う毎に父の容姿に似て来る私だが父の生き様だけは真似出来ないなと思う今日此の頃である。
 そして「老い」がテーマだ。八十歳の声を聞くに至り、自らの老いに対し抵抗も有れば肯定も諦めも有る。場面場面で揺れ動く思いが現れていて面白い。
 
     戦中派生きて八十餅を焼く
 
 AM結社の新年句会で「芭蕉より一茶が好きでちやんちやんこ」と共に出句したあと全国規模の俳句コンテストにも投句し入選している。満八十歳に成り「老い」を実感し、戦争を経験した世代として能くぞ此処迄生き延びたと云う感慨を詠んでいる。
 
     葬儀にもダイヤモンドコース春愁ひ
 
 葬儀場を見学し互助会に入会を申し込んだのだが、祭壇には価格が高い順に宝石の名前が付いていて何れかを選べと言う。祭壇が飾られたときには既に柩に入っている訳で、気持ちも塞いで仕舞う複雑な思いを詠んだ面白い句だと思う。
 
     漫才の老いにへつらふ敬老日
 
 行政主催の敬老会に夫婦揃って出掛けたものの、余興の漫才師のネタが高齢者に対して変に媚びていて余り良い気分に成らなかったと云う複雑な心持を詠んでいる。
 
     年ごとに縮む身の丈更衣
 
 毎年投句する俳句コンテストで予選通過した句で、投句の一年前に作った元句「更衣年ごとに身の縮こまる」を推敲している。
 齢を重ねると誰しも背が低く成る。重力の有る地球上に長年立って生活している以上詮無きことなのだが、如何しても悲しいと思って仕舞う。元句は其の老いの嘆きが色濃く反映しているが、推敲句では後ろ向きの気持ちを衣更えて少しでも前向きに切り替えようと詠んだ積りだ。思いは伝わっただろうか。
 此の齢に成ると詠む句には自ずと「老い」が滲み出る。そして次のテーマは「妻」だ。私達夫婦を支えたのは我が妻の筋金入りの生活信条であり、私は素直に妻に従う良人で在りたいと常に考えている。
 
     もつともな妻の言ひ分冴返る
     財布の紐妻に握られ四月馬鹿
 
 妻は自分の生活信条を貫き、淡々と毎日を送っている。
妻の言ひ分の句は、冷え切った二月の空気と共に妻の主張が切っ先鋭く迫って来る様を詠んでいる。
 次の財布の紐の句は、夫は仕事して稼ぎ、妻は家庭を守ると云う半世紀以上に亘る我が家の不文律を明らかにした句だ。ときには自由に成るお金が有ればと思うときも有るが其を季語で上手く表現出来ており、俳句コンテストでも入選した句だ。
 
     夕焼くる縮みしといふ妻の丈
     病みしことなき妻病みて日雷
 
 健康グッズや健康法に人一倍の興味を示す妻も寄る年波には勝てない。
妻の丈の句では、妻本人が自嘲気味に「背が年々低く成っている」と言う。季語の夕焼が人生の黄昏を想起させる。
 妻病みての句では、ヘルペスで寝込んだ妻を見て、気遣われる立場から気遣う立場へと立ち位置が変わった違和感を季語の日雷で上手く表現出来ている。
 
     死後のこと語る妻ゐて春めけり
 
 テーマ「日常」で選んだ「死後のこと妻と語らふ春炬燵」の推敲句だから再推敲句に成る。中七と季語を載せ替えてAM結社の句会に出句し、主宰からその日の特選を戴く。
 妻の死生観が私と似ていて少しほっとした心持ちを春めけりで表している。季語の力も有って句調は未だゆとりを感じさせる。
 
     すててこや妻の小言に畏まる
     気儘なるふたりの暮らし冷奴
 
 二人だけの日常は誰に気兼ねすることも無く、気儘に暮らせて心地良い。妻の存在もときに厳しく、ときに優しい。小言を言うにも遠回しでは無く直球を投げて来るときも有れば、暑く成ると私の好物の冷奴を何も言わずとも食卓に出して呉れる心遣いも有る。
 
     知らぬ間に妻を攫ひし芒原
 
 此の句は第二句集に所収した「糟糠の妻を隠して花芒」の推敲句だ。AM結社の主宰から高評価を得、詩歌句専門出版社の其の年の年鑑にも掲載戴いている。
 前作の課題は二つ。上五で糟糠のと妻に対する補足説明をしている点に有り、主題が妻なのか芒なのか暈けている点がひとつ。そしてもうひとつは、擬人化された数本の花芒が妻を隠すと云うのは誇大表現ではないかと云う点だ。推敲の結果、上五に時間の推移を加えた上に中七の動詞を隠すから攫うにし、そして季語を花芒から芒原に替えた事で課題の解消に繋がり、其が句に動きと広がりが生まれたのである。
 しかし実体験は芒原のような群生する芒の中を歩いていたのでは無く、遅れて歩く妻を振り返ると所々にある花芒の塊りを通り過ぎる妻が見えたと云う物で、評価して戴いたのは勿論有難いが写実性に欠けた句に成ったことは今後に別の課題を残している。俳句道は奥深い。
 
     もつともな妻の言ひ分亀の鳴く
 
 上五、中七が全く同じ句の季語を載せ替えただけの句だ。冴返るの句は切っ先鋭く当を得た妻の物言いを主題としているが、此の句は亀鳴くと云う空想の情緒的な季語を使って妻の物言いが漠然としているが腑に落ちた私の心持ちを主題にしている。季語の違いだけで句の主題が変わる。
 
     青饅や妻の好みに慣らされし
 
 春に成ると我が家の食卓にも、冬の大根や白菜、冬瓜などの白物野菜に替って菜花や芥子菜などの灰汁の強い青物野菜が並ぶ。中でも若い頃から野菜嫌いだった私が食べ易いようにと青物野菜を酢味噌で和えただけの一品料理が我が家の青饅に成っている。家購入の借金の返済や子どもの教育費用のために倹約に徹して来た工夫上手の妻に取って旬で安価な青物野菜であれば、葱、春菊、菜花、果ては法蓮草迄何でも青饅にする。
 妻の手料理から離れて未だ一ケ月にも成らないのに妻の青饅が食べたく成って来る。又又食べ物の話しに成るとお腹が空く。
 
     切干や妻の小言を噛みしめる
     妻のメモ財布に入れて年の市
 
 妻との遣り取りを句にした二句である。
最初の句は、田舎育ちの妻が作る我が家の食卓に能く上る料理のひとつに切干大根が有る。長期保存可能で、かつ新鮮な大根よりも栄養価が高く、味付けを少し甘めに作るので私も好きな料理だ。処が妻はいつも健康に良いからと大目に作り、沢山食べろと食傷気味に勧めて来る。此では栄養満点の料理が減点されて仕舞うと云う気持ちを詠んでいるが、小言よりも違う言葉が有ったかも知れない。例えば御託とか。
 次の句は、例に拠って私が邪魔者扱いされる我が家の年の瀬の風景のひとつだ。お節料理は尚更私は必要無い。只如何しても買い忘れた物や足りない物が有ると調達係りとして私にそのお鉢が回って来ると云う句だ。
「晩ご飯が出来ましたア」元気はつらつの看護師さんの声に一瞬驚いたが、丁度お腹も空いたし選句作業の切りも良い。スライドテーブルを片付けて配膳を待つ。
 そして献立を見てびっくり。小鉢に切干大根が有るではないか。日常の中ではそんなに珍しくは無いだろうが、変化の乏しい入院生活に有って此の偶然の符合は驚きだ。
 晩ご飯を食べ暫くすると便意を催す。途中我慢出来なく成らないようにと祈り乍ら無事ポータブルトイレに行き着く。ベッドに戻っても今日は眠く無い。選句を続けよう。次のテーマは「友」だな。八十歳を越えると致し方無いのかも知れないが、友を詠む句は殆どが「別れ」の句に成る。此だけ多くの友を見送るとは想像だにしなかった景色で、即吟句は詠むが揺らいだ気持ちを吐露するだけに終わっている。しかも其らを推敲する気には起きず秀句は殆ど無い。
 
     父の日を同窓会の日と決める
 
 どの世代でも同窓会の日程を決めるのは幹事役が一番苦労する処だろう。其処で考えるのが、何月の第何曜日に決めてしまえば持ち回り幹事でも永久幹事でも楽だろうだ。
 御多分に漏れず我が旧制中学校の同窓会も右へ倣えで、幹事役が同窓生から意見を聞いた処、今では定番に成った六月の第三日曜日の父の日が良いと決まったのである。其の理由として、同窓生の多くは自分の父親が既に鬼籍に入っており感謝するから感謝される側へと立場が替っているからだ言う。時の流れをしみじみと感じる句に成っている。
 結局「友」の句は一句だけ。そしていよいよ最後のテーマの「別れ」である。八十を越えると「別れ」は殆どの場合永遠の別れだ。懐かしさで其の人との思い出の日々が甦り、其のあとには悲しみや寂しさが募る。
 
     いのち絶ちし人横たはる花曇
     ゆく春や隠坊示す骨拾ふ
 
 二句に印を付けると作業を続ける気力が萎える。やはり既に過ぎ去った「別れ」ではあるが当時が甦って仕舞う。今日は此の辺で止めようとテーブルを足元に押し遣る。
 
(七月二十六日へつづく)

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