「芭蕉より一茶が好き」37.

(「別れ」の選句を終えるものの遺句集に所収する句数が足りないと、今度はテーマを絞らずに再び自撰百句からの選句を始める主人公です。)

七月二十八日
 外は既に明るい。
昨日のことを思い出している。朝ご飯から五分粥で昼ご飯も晩ご飯も同じくに五分粥だったこと。残さず食べたこと。食べたあと直ぐに横に成ったこと。自撰百句に一度目を通したこと。あとは用を足して毎食後のルーティーンを熟したこと。体調は如何ですかと先生に訊かれたら良くないと応えるだろう。そんなことを考えていると尿意だ。
 重い体に鞭打って用足しに向かう。看護師さんの助けが無いと怪しく成っているのが判るし今朝も裸足だと判る。「ん、昨日のことを思い出せる」
何とか用足しは出来たが便意は来ないなと思い乍らベッドに戻る。私の用足しの後始末を終え帰って来た看護師さんがベッドを起こして呉れている。
「ご気分は如何ですか」お礼を言うと看護師さんに訊かれたので「大丈夫です」と即座に返したものの「あれっ」良くないと応える積りだったのではと頭を過ぎる。丸で介護認定のときの問答と同じだと苦笑いしている私が頭の中に居る。
「其は良いですね」掛け布団の乱れを整え看護師さんは笑った目を私に返して詰所へ帰って行く。それを合図に選句をしようと自撰百句に手が伸びる。
 
     初鰹追善供養の膳にかな
 
 甥の七七日法要のときの句だ。甥が会社を設立した日、二人だけで祝盃を揚げるべく会食したときに詠んだ句の「初鰹酒酌みかはす甥のゐて」を受けた句だ。せめてもの供養にと一緒に食べた鰹のたたきを法要のあとの精進落としの料理に加えて貰ったと云う忘れられない一句である。
 甥が子を設けること無く亡くなったために本家の家系が途絶え、三男坊の私が先祖の墓を守ることになろうとは人生は何が起こるか判らない。私の家の仏壇には祖父母、両親、長兄夫婦、二十年以上前に病気で早逝した長兄の姪と自死した甥の位牌が並ぶ。選句作業は何とか続けられそうだと思い乍ら甥との思い出を噛み締める。
 体温と血圧の測定のあと今朝も五分粥だった朝ご飯を食べ、緩い乍らも便意も有り気持ちは上向いている。私の体調は水物だ。朝のルーティーンを終えると早速選句に掛かる。
 
     突つ立つて柩見送る寒さかな
 
 甥が亡くなった年の冬、隣人で同郷の同じ会社に勤める同僚が亡くなっている。其の葬儀の際の句だ。第一子も先方は娘、此方は息子の違いは有るものの同学年で同じ小学校に通い家を往き来する間柄と成り、妻同士もひとつ違いで同郷の誼も有りご主人が無くなったあと今も交友は続いている。
 
     初花のひと枝入れて柩閉づ
     納骨の読経に混じり遠蛙
 
私が八十二歳に成った許りの月に私より三つ上の義兄が亡くなっている。此の四年前に私よりひと回り以上若い義弟の嫁が亡くなり義兄弟の中では二人目の別れである。
 妻の姉弟は皆温厚で優しい。だから其の連れ合いも誰ひとりとして短気で気性の荒い人は居ない。其の中の誰かが咲き始めた庭の桜の枝を折り柩に供えたのである。自宅で弔う昔乍らの田舎の葬儀ならではの光景に暖かさを感じたことを思い出す。
 そして此の年の自撰百句を最後迄見ると「別れ」の句はこれで終わりのようだ。然う成ると自撰百句から選句したのは全部のテーマを足してもざっと百句足らず。句毎の自己評価や思い出話しなども後書きとして活字にするにしてもそれでも少ないかなと思い、今度はテーマを絞らずに見直そうと考える。「頭だけは又回り始めたぞ」
 重い体を捩ってベッドを降り選句し終わった三年分を取ろうとしていると看護師さんから声が掛かる。要はベッドから離れたので確認に来て呉れた訳だ。
「お手伝いしましょうか」降りた途端、立つと溜まっていた物が重力を受けて降りて来るのか尿意を催す。摂理には逆らえない。床頭台の前からポータブルトイレに向かおうとして頭の中では回れ右の号令を掛けた積りが、其を実行する体は時計の文字盤を十二から順番に六迄右回りに刻むようにしか回れていない。看護師さんも笑いを堪えていたかも知れない。
 
 やっとのことで自撰百句を最初から見ている。用を足したあと程無く依然五分粥の昼ご飯を食べ昼のルーティーンも終え、今は体のことはすっかり忘れて選句に集中している。何が然うさせて呉れているのか判らないが折角の機会だから頑張ろうと思っている。先ずは八十歳のときの句からだ。
 
     清貧に甘んじて生きちやんちやんこ
 
 二つの意味を含めた句だ。ひとつは自らの生き様を、そしてもうひとつは両親の生き様に胸を張っている私の思いを詠んでいる。
 
     もう逢へぬ人の声する夕端居
 
 六十二歳で亡くなった義弟の連れ合いの三回忌で詠んでいる。法要が営まれた義弟宅は妻の実家であり、かつ私の両親が妻の父の厚意で母屋に隣接する隠居所を間借りしていた家でもある。三和土に降りる上がり框に所在無さげに腰掛けていると義弟の連れ合いだけで無く義父母や私の両親の声迄聞こえて来るように感じたのを思い出す。
 
     二時間に一本のバス豊の秋
     荒縄のぴんと張られて茸山
 
 老人大学の歴史を辿るサークルで行った山里でのひとコマだ。都会よりも早くも秋が訪れている景色の中にバスやぴんと張られた縄が人間の存在を感じさせる。
 
     宿木に実を結ばせて冬木立
 
 やどりぎは不思議な植物で土の中では発芽せず木の樹皮でしか発芽しないらしい。常緑で白い実をつけ其の実を鳥が食べるのだが、実の粘り気成分のお蔭で鳥の糞が枝に付着し又発芽するらしい。植物図鑑でこの生命の神秘を知り感心した物だ。此処迄が八十歳の年で次からは八十一歳の年の句だ。
 
     飽食の世に永らへて餅を焼く
 
 白状すると餅を焼いているのは妻である。私は独身や単身赴任時代を除いては男子厨房に入らずを貫いている。自作句では春の目刺しや秋の秋刀魚や正月の餅を本人が焼いているように焼くと詠んでいるが残念乍ら違う。正しくは焼いて貰って食べるである。
 
     京七口その一口に雲の峰
 
 永年都であった京都には七つの街道の出入り口が有り、それが鞍馬口、粟田口や丹波口など何々口と云う地名で残っている。余談だが、一方で嘗ての為政者が封建的身分制度の最下層の人達の住まいを意識的にその街道口に集めた黒い歴史が有り、今も何処かに其の影を落としている。
 
     残り鴨あつけらかんとしてをりぬ
     水温む池の底まで日の届き
 
 春に成っても北に帰らなかった鴨はいつも何故か堂々としているし、池の底まで届く日差しを見ていると水に触れなくても暖かさを感じる。どちらも日常の「歩く」で心踊る春を感じ詠んでいる。
 
     蝸牛や騎兵上等兵の墓
 
 上五はででむしと読む。此もAM結社分科会の吟行での一句。此の分科会では不思議に秀句が生まれる。墓石に刻まれた上等兵の名は知る由も無いが、かたつむりは彼の化身か将又墓守りか、物悲しさが漂う句である。
 
     松手入池の中まで足場組み
 
 明治の元老邸跡も今は素晴らしい庭園と成っている。その庭園を守る庭師の人達の並々ならぬ努力を中七、下五で上手く表現しているとAM結社の主宰に評価して貰っている。
 此処迄で八十一歳のときの句は終わりだ。流石に疲れている。ひと休みしよう。
 
 少しうたた寝をしたようだが晩ご飯には未だ少し時間が有ると思う。続きを見ようとすると尿意だ。体を動かすと急に気が重く成るのが判るが付き合うしか無いと諦めベッドを降りる。看護師さんの手を借りて用を足せる今は未だ良いかも知れない。其の内又紙御襁褓のお世話に成る日が来るのだろうか。そして立つことも出来無く成り寝た切りに成るのだろうか。そんな暗い思いが頭を擡げたが其を振り払うように用を足す。
「そろそろ晩ご飯ですよ」ベッドに帰る途中看護師さんからの声掛けに「まあ焦ることは無いさ」と自らに言い聞かす。
 
(七月二十九日につづく)

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