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自転車でたまたま噂の夏焼集落に寄ったら最後の住人に遭遇した記録

何も考えずに書いたら安っぽいタイトルになってしまいました。

静岡県の天竜川沿いには多くの秘境、集落が点在しますが、その一つに夏焼集落という集落があります。

この集落については、インターネットの海にいくらでも記事が転がっているのですが、たまたま寄ってきたら意外と面白かったので、記録資料的な位置づけで書き残して置くことにします。誰かの検索でこの記事がヒットしてくれることを願いながら。

夏焼集落のシンボル。カッコいい。

私が夏焼集落を訪れたのは2022年の11月のとある日曜日。

関東のど真ん中に住むちょっとした自転車旅が好きなサラリーマンの私は、週末の休みを使って、紅葉が見頃の南信州や天竜川沿いを少しばかり自転車で走ろうと泊まりでやってきたところでした。

私は、もっぱらのんびりサイクリング派の人間で、所謂、廃村や廃墟巡りに明るい人間ではありません。もちろん、この日も夏焼集落に立ち寄るつもりは初めからありませんでした。

ちなみに前日の土曜日は、長野県の天龍村をスタートして木沢小学校、下栗の里、しらびそ高原までを北上して、また天龍村まで自転車で帰ってくる、というルートを走って楽しんでおりました。

日本のチロル、日本のマチュピチュこと下栗の里
南アルプスの急斜面に開かれた里です。
しらびそ高原の方もしっかりと登ってまいりました。

そして、本日はその続き、長野県の南端に位置する天龍村を出発して、天竜川沿いに南下し、浜松市街地の方まで抜けて新幹線を使って関東へ帰ろう、という算段でルンルンしておりました。

これにて、サイクリングは中止です!

が、そんな計画も虚しく、天龍村からわずか20kmほど天竜川沿いを下ったJR飯田線の大嵐駅付近で通行止めに遭います。ちなみに、「大嵐」と書いて「おおぞれ」と読みます。


この規制には運良く引っかからなかった。
遠目から見ると、ヒヤッとします。ギリギリ回避。
路肩拡張工事。本当に発泡スチロール埋めてるんですね。

そこで、大嵐駅から天竜川沿いを一旦離れ、内陸部の水窪駅へ迂回する林道を地元の方に教えてもらい、望みをかけますが、ここも通行止めで万事休す。

迂回路の林道は通行止め。万事休す、戦意喪失。

というわけで、しがないサラリーマンが休みを取って走りに来た天竜川下りのサイクリングは、あえなく天竜川のちょうど真ん中あたり、この大嵐駅で終了となってしまいました。

まだ全行程の三分の一も走っていません。いっそのこと、どこかでもう一泊して立て直すか?

ですが、私も一介のサラリーマン、社会の歯車でございますので、明日からまた馬車馬のごとく働かねばなりません。泣く泣くJR飯田線を使って輪行(電車)で帰ることを決意します。

と言っても、ここは天竜川沿いの所謂ちょっとした「秘境駅」で、電車も数時間に1本という状況。帰りの電車までぼ~っと過ごすには長すぎます。

前日に同じ飯田線の為栗駅で撮った時刻表。

しかも、こちとら関東から休みを使ってはるばるやってきている訳ですから、このままやすやすとは帰れません。旅の撮れ高は命よりも重いのです。

なにか少しでも面白い所を見て帰ろうと貧乏根性でGoogle Mapsを眺めていると、近くに夏焼集落という集落があることに気が付きます。

実は、廃墟廃村に興味のない私でも、以前どこかのブログで冒頭のかの有名な車の写真を見たことがあったのでした。この集落は、今いる大嵐駅の直ぐ側の夏焼隧道を通った先にあるようです。これは決まりです。

噂の夏焼集落へ

吸い込まれるように夏焼隧道に向かって漕ぎ出します。

この夏焼隧道は、2つのトンネル(隧道)で構成され、駅から遠い方の2つ目の夏焼第二隧道が、暗いわ、長いわ(1キロ以上あります)、寒いわ、おまけに上から水は降ってくるわで秘境集落までの道のりとして満点の雰囲気です。ちなみに、かつてはここを飯田線が通っていたようです。

上から降ってくる水は避けようがありませんので、背負っていたカメラも少し濡れてしまいます。

少々スリッピーですが、慎重に足早にトンネルの出口に向かって走ります。徒歩だと少し辛いでしょう。

そして、この暗くて長い水の降ってくるトンネルを抜けた先に、夏焼集落のある夏焼山への入口があります。

2つ目の夏焼隧道。向こう側は光の粒です。

暗くて長いトンネルを抜けて振り返ると、もう駅の方は見えません。

書き出しの一節が有名な古典文学作品しかり、ジブリの神隠しアニメしかり、トンネルというのは日常と非日常を明示的に切り替える舞台装置になります。

秘境駅、薄暗くて長いトンネル、集落、ここまで完璧にお膳立てされると、一種の用意されたアトラクションのようにすら思えてしまいます。

そして、トンネルの右手の少し急な坂を10メートルほど登ると、集落の入口とおぼしき場所に出ます。冒頭の車ともついにご対面。

これぞまさに、カリギュラ効果です。

さながら結界のようによそ者をよせつけんと、そして、日常と非日常の境界線を強調するように、一本のロープが張られています。もう、100点満点の雰囲気です。

下調べ無しの飛び込みでやって来ていますので、立ち入って良いものか少し悩みました。

しかし、ロープの右側が明らかに人が通れるような高い位置に留めてあること、右側に一時停止の標識がこれ見よがしに置いてあることから、どうやら立入禁止という意図ではなく、誤って車が入ってしまわないように張られたものに見受けられます。

私はそばに自転車を止め、ロープをくぐり、そして、山道を登り始めます。

正確な集落までの道中の様子も当然下調べ無しですから、どこまで登らされるのか、あまりにもキツかったら引き返してしまおうか、なんて思いながら登り続けます。

こうして山道をえっちらおっちらと登ると、これまた夏焼集落のランドマークの一つであるモノレールが見えてきます。

このモノレールも有名ですね。

さらに、モノレールの奥に顔を覗かせる石段を上がると、ついに、集落らしきものが見えてきました。どうやらここが噂の夏焼集落のようです。

ここも異様に静かです。

実は、石段を登ると思っていたよりもあっけなく着いてしまったので、少し拍子抜けしてしまいましたが、それでもなお、あたりに漂う異様に張り詰めたような空気感がここが秘められた空間であることを教えてくれます。

私だけ、どこか一人置いてけぼりにされてしまったような、陳腐な表現ですが、まさに時間が止まってしまったような雰囲気に息が詰まりそうになります。当然、観光客の類も誰も居ません。

電線を張るのも相当大変だったでしょう。

ここまで登ってきた石段と山道を見下ろすと、眼下にはものすごい色の天竜川と紅葉のコントラストが広がっています。

ここが天竜川を見下ろす険しい斜面の僅かな空間を切り開いて作られた集落であることがひと目で理解できます。

秋晴れと紅葉のコントラストが美しい。

こんな空間にいると、本当に私は金曜日までサラリーマンをやっていたのだろうか、それさえも疑わしくなってしまうような、そんな不思議な感情に押しつぶされそうになります。

集落の大部分はこんな感じの荒れ果てた小屋です。

それでも、僅かに、確かに、生活の痕跡があります。郵便ポストを見てこんなに安堵したことはありません。

郵便局の方はここまで上がって来られていたのでしょう。

数軒の家と家の間には大人の一歩くらいの幅の通路で行き来ができます。かつてはここを人がすれ違っていたのでしょうか。

家と家の間にはこんな小道が張り巡らされています。

安っぽい映画だと、ここで目を瞑ると、景色がグルグルと廻り初めて、ゴーン、ゴーンと鐘の音が聞こえてきて、目を開けると賑やかに村人たちが畑を耕し、通路で談笑する声が聞こえてきて、と、そんなシーンに切り替わるような雰囲気があります。

同じような廃屋が連なります。

と、そのとき。

ガラガラガラ!!

と引き戸を開けるような音が一面に響き渡ります。

体の筋肉が一気に強張り、緊張が走ります。

音の方向からして、どうやら先程の石段を上がってきたところの一番下のお家から聞こえるようです。

と、同時にネットの記事で昔読んだことを思い出しました。この集落には数年前まで最後の住人がいらっしゃったこと。その方が稀にお家の面倒を見に戻ってこられること。違いありません。

朝窓を開けたらこんな風景なのでしょうか。

私、非常に悩みました。いっその事声をかけてみようかと。

ですが、ここは、マニアには有名な集落ではありますが、仮にも(と言うと大変失礼ではありますが)皆、それぞれのお家です。

本来はよそ者がズカズカと入り込んで、ましてやそこに住む方々のプライベートな空間を乱すなんてことはあってはなりません。ぐっとこらえます。

あぁ。でもせっかくだから。お話を伺いたい。ですが、イカンイカン。

なんだかもやもやとした気持ちになった私は、逃げるように数枚の写真を撮ってお茶を濁して立ち去るのでした。

一番下のお家と比べると少し年季が入っています。
集落の上の方から。このモノレールが石段のところまで繋がっているのでしょう。

こうして、もと来た石段と山道を下り、止めてあった自転車を漕いで、あっという間に、大嵐駅のそばまで戻ってきてしまいました。

もと来た山道を下ります。

大嵐駅からそれほど遠くありませんでしたが、日常をすっかり忘れさせてくれた、つかの間の大冒険でした。

夏焼隧道を振り返ります。

もとの夏焼隧道の方を振り返っても、もうトンネルの向こう側は見えません。

これから、電車に乗り込んで関東の大都会へ帰らねばなりません。退屈な毎日が待っています。きっともう、あのドキドキを味わえる場所は無いに違いありません。

そう考えると、とてつもなく寂しく虚しい気持ちに襲われます。

もう少しなら帰りの電車まで時間がある。引き返してみようか。

引き返したらまた、あそこに行けるんだろうか。

後ろ髪を引かれながら大嵐駅に戻ってきたころには、すっかり陽が傾いていました。

すっかり陽が傾いています。

さぁ。帰りましょう。

自転車をバラして飯田線に乗り込む準備をします。あと30分もすれば豊橋行の電車がやってきます。

荷物の整理をしたり、ごちゃごちゃとやっていたら、通りすがりの女性のかたに声をかけられました。出で立ちからしてハイキング帰りといったところでしょうか。

「自転車旅がお好きなんですか?」

私】「まあまあ、休みの日にたま~にちょこちょこ色んなところに行ったりするくらいです。」

「そうなんですか。もう帰られるの?」

私】「今日はもう帰ります。ほんとは浜松市街の方まで出る予定だったんですけど、ちょっと通行止めでこれ以上行けないみたいで、こっから先はもう電車で帰ります。」

「あらそうなの。それは残念ねぇ。でもこのあたりは紅葉が綺麗だったでしょ?綺麗なところいっぱいあるよ?」

私】「紅葉めちゃくちゃ綺麗でしたよ~。めっちゃ楽しかったです。」

「このトンネルの先に綺麗な集落があるの知ってる?」

私】「夏焼集落ですか?」

「そうそう。ご存知?もう行きました?」

私】「さっき行ってきましたよ。」

「あら。行かれたの!!あたしねぇ、つい最近までそこ住んでたのよ。」

私】「!?!?」

「なんだ~~!さっきもいたのよ。何時頃いたの?」
「なんだ~!。声かけてくれればよかったのに。もったいないねぇ。」

なんとまぁ、こんなことがありましょうか。

たしかに、ハイキング帰りにしては少し軽装だな、なんて違和感を感じておりましたが、まさに目の前のこの方こそがあの夏焼集落の最後の住人、その御本人だったのです。しかも、先程声を掛けられずに、悶々としていたら向こうから声を掛けていただけるとは。

集落の一番低い位置にあった、まさにこのお家だそうです。

電車が来るまでしばらく色々お話し、色々なことを教えていただきました。

  • 夏焼集落の目の前のいま天竜川が流れるあたりには昔小さな村があったが、それが佐久間ダムの建設によって沈んでしまったこと。

  • お家は親族の方が建てられたもので、まだまだ丈夫な自慢のお家であること。(しっかりと聞き取れませんでしたが、建てられたのはおそらくお兄様かお祖父様?。)

  • 数年前まで住んでいたが、今は近くの町からたまに集落のお家に様子を見に帰られていること。

  • 夏焼集落は今では少し有名になって、全国から人が来ていること。

夏焼集落の対岸の富山村のあたりは佐久間ダムの底に。

「一番下にキレイなお家あったでしょ?しっかり建ててあるから、まだまだ住めるのよ。」

と、誇らしげな笑顔がとても印象的でした。

だけど、何よりも意外だったのは、綺麗な所だからもっと多くの人に集落に来て欲しい、と何度か仰っていたことでした。

私】「集落の上の方まで上がったときに、誰か家の中にいらっしゃるのかな?とは思ったんですけど、流石にやっぱり、そんな観光で行く場所でもないんで、悪いと思いまして。声かけられませんでしたよ。」

「全然そんなことないのに!あんなとこ住んでんだから人肌恋しいに決まってんじゃないの!声でもかけてくれれば庭で景色でも見ながらお茶でもしたり、ラーメンでも出したのに。」

かつて読んだ集落についてのブログ記事で、最近までどなたかが住まれていたことは存じ上げていたのですが、大変失礼ながら、なかなか変わった所ですので、もっと、なんというか癖の強い方が住まれているのかと思っていました。全くの予想はずれ、とてもオープンで気さくな方で、少し驚いてしまいます。

そんなこんなで、ひとしきり色々なお話を聞かせていただいたら、豊橋行きの列車がホームに入ってきます。

豊橋行きの列車に乗り込み、また天竜川を下ります。

想像が付くことですが、数時間に一本の電車を同じタイミングで待っている訳ですから、よく考えれば、帰りの電車も同じな訳です。

車内でも、わずかな時間ではありましたが、その方がスマートフォンで撮られたお家の庭からの春夏秋冬の天竜川の風景や動画を見せて頂いたり、逆に私がカメラで先程撮った集落や天竜川の紅葉の写真をお見せしたりと、貴重な時間を過ごし、お別れしました。

私が撮った天竜川や集落の写真をカメラの小さな液晶でお見せしていると、こうも仰っていました。

「カメラで良く撮られるんですか?カメラはいいですよね。」
「最近は、SNSとかネットとか、ほら、いっぱいあるでしょ。せっかくカメラで撮ってるんだから、あの集落のこともいっぱい宣伝してくださいね。若いんだから。若い人にしかないできないことなんだからね。」

帰路、豊橋行き

それからというもの、豊橋駅に着くまで、ぼんやりと考えていました。

それなりに旅の疲れはありましたが、何故か、ウトウトもウの字もありませんでした。

豊橋駅までなんと34駅。試される私のケツ。

若いからとかそういうことは関係なありませんよ、と、そのときは申し上げたのですが、そんなことはともかく、確かに仰るとおりかもしれません。

なんとなくですが、私は、自分も含めて、あのようなところによそ者が入りこんで、そこで好き勝手にパシパシ写真を撮ってネットにアップして、それを見た人たちが同じように面白がって見に来る、という流れに、漠然とネガティブなイメージを持っておりました。

集落はもちろん、どんな観光地も多かれ少なかれ、そこに住む人々ありきの空間でありますから、そこに「物見遊山」しにくるということは、悪い言い方をすれば、私はそこに住む人々を面白がって見に来ているだけなのではないか?と嫌な思い込みをしてしまうことがあります。

最初に声をかけられず、そそくさと戻ってきてしまったのも、そんな思い込みによるものでした。

豊橋駅。旅の終わりです。

でも、もしかしたら、そこに住む人々のほうが、案外受け取り方が違うのかもしれません。

もしかしたら、私の町や村もそんなふうに賑やかになって、日本中の色んなところから人が来てくるようになったら嬉しいな、と、実は、そんな風に思われている場所も、意外と多いのかもしれません。

もちろん、それを良しとされてない方や地域も多いことでしょう。そこに住む人一人で考え方や受け取り方も全く違うことでしょう。

だけど、過去に人々が時間をかけて築きあげてきたものは皆等しく尊いものです。そこに持つ持たざるの違いが介在してはなりません。ちょっとした違いで、誰にも気づかれずに消えていく運命を辿る素敵な場所があっては悲しい、それこそ勿体ないことだなと、考えてしまいます。

少しばかりか旅を嗜む人間として、純粋にそう思わされました。

かつて集落を切り開いた人々の思いが伺えます。

私は、よく自転車で静岡の沼津や山梨の身延に走りに行きます。どちらも、近年の有名なアニメの影響で一躍、人気観光地となった場所です。

そこでいつも思い知らされるのが、地元の方々の、私の想像を超える熱意やコンテンツへの愛です。

食べ物や飲み物を買おうと、コンビニや小さな商店に入ってお話をすると、(自分の母親よりお年を召されているであろう)お母さんから、スラスラとアニメの登場人物のフルネームがポンポン出てきて驚かされます。

「実はね、斉藤恵那ちゃんのおうちがあっちの〇〇のほうにあるって、最近の話で出てきたらしいのよ。」

ちょっとアニメをかじっただけの私よりもよっぽど愛が強い。

旧木沢小学校
CMで一躍有名になった天龍村の少し北の廃校。

そりゃあ誰だって、自分の好きな場所が、他のみんなにも愛されて、皆が楽しんでやって来てくれるのは嬉しいに違いありませんから。

さいごに

関東に帰ってきてからもやんわりとそんな事を考えながら、ぼんやりとサラリーマンをしておりました。

折角こんな経験をしたのに、何もアクションを起こさないのは勿体ないな、と思いたち、今回初めて所謂「旅ブログ」的なものを書いてみたわけです。

次はどこに行けば良いのでしょうか。

次はどこに行けば、またこんな面白い旅ができるのでしょうか。

そうです。巷に、ネットに転がっているものは、ここで書いたような「面白いところ」のほんの一部なのです。

結局は、行き当たりばったりで行って、見て、聞いてみるしかありません。

そうして、皆でこうやって地道に残していくことしかできません。

だけど、それが誰かの幸せに少しでも繋がれば、旅好きとしてこんなに嬉しいことはありません。

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