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奇跡の生還・私は長男を轢いてしまった


平成6年4月1日の事。次男の生まれる18日前に当たる日の事である。
当時31才の私は、単身赴任で仕事に出ており4月からの家業に向けて既に帰省していた。父も東京の地下鉄工事の仕事に冬期間だけ仕事に行っており4/1に帰省することになっていた。
エイプリルフール
4/1の朝8時頃、子供達と飛行機を見に行くのも兼ねて空港まで父を迎えに行くことにした。雪解けも終わり路面が出ていたため、車庫にある乗用車で出かけようとしたが、車庫内がまだ薄氷がありこの日に限って滑って車庫から出すことが出来なかった。もう1台のワンボックスカーは、まだ、スパイクタイヤを履かせていたため、あまり乗りたくなかったが、仕方なく4才と2才の誕生日を迎えたばかりの子供2人を乗せ旭川空港へ向かった。
 午前10時頃の空港到着を迎えた父を乗せて家に向かおうとすると父が、「職業安定所に寄って欲しい」と言いだし、寄り道をして帰るこことなった。職業安定所の前に着き、車の中で待つつもりで入り口の正面に車の鼻先を入れて父を降ろした。子供達は、久々の爺ちゃんに会うのが嬉しく、又、帰りにオモチャ屋でオモチャを買ってくれると言われて喜んでおり、2人が「一緒に行きたい」と、言い出した。ま、しょうがないので車を駐車場に入れて一緒に自分も職安の中に入ることとした。
 行きたいという気持が先に立って子供達は、スライドドアの所に立っていたので、私は「駐車場に車を入れてから皆で行こうね。動くからちゃんと座っていなさい」と言い、ゆっくり車をバックし始めた。方向転換するのに前進にチェンジを入れゆっくり2m程前進したとき、ガラ~ッというドアの開いた音がしてすぐ後ろを振り向くと長女の姿はあるが長男の姿が無い。2人とも座席に座らないでスライドドアの脇のハンドルにつかまっていたようだ。立っていたためドアが開いて2歳の長男が反動で車外に落ちたようだ。
慌てて車から降りて後ろを周り開いたスライドドアの所に行くが哲也が居ない。長女は茫然としてハンドルにつかまっていた。中を覗くが長男は居ない。もしかと思い、車の下を覗こうとしたその時、後輪の下敷きになっている長男を発見した。
見ると口から首にかけて後輪が乗っており息も出来ず、車の重みで2才の体が潰されもう、見るに忍びない状態であった。直ぐ、助け出すことが出来たら助けられるかもしれない。そう思い私は、慌てて車輪を持ち上げたが車体は持ち上がってもスプリングで後輪までは持ち上がらない。後輪を浮かせるにはかなりの高さまで持ち上げる必要がある。そんなとき、後部の方で叫びと共に、「いじらないで助けを呼びましょう」と叫ぶ女性が居た。その人は、歩道の脇に止めている車の運転者であり誰かを待っているようであった。彼女は、その後、職安の中に助けを呼びに走ってくれた。
 私は、情景のあまりのひどさに「もう、助からない。駄目だ」という気持が脳裏をよぎった。助けが来る迄、このままにして置くのは長男が可哀想だ。どうせ助からないのであれば、直ぐにでもこの重い車から助け出してやろうと、自分の体重をなおさら掛けることも辛かったが悲しみを抑えて車に乗り込み、車をバックさせた。
前進させたら頭を後輪で引いてしまうので体の上をもう一度通ってバックさせるしかないと、一瞬にして思った。早く車を体から降ろしてやろう。でも、どのくらいバックさせたらいいのか。でも、慌ててバックしすぎると前輪で頭をひいてしまう事になる。
そんな中、ちょうどいい位置まで運よくバックさせ車から降りて長男を抱き上げた。手も足も頭も抱き上げるとぐったりしている。口元に頬を当てるが息をしていない。私は、呆然と立ちつくした。
そんなところに、職安の中から父親と大勢が駆けつけてきた。
 そんな時、「私が見てあげます」と、手を差し伸べてくれた2人の夫婦が居た。奥さんは先ほどの事故の目撃者。後で知ったのですが偶然、職安に来ていた看護士と看護婦の夫婦であった。いろいろ処置してくれましたが息をしていない様子。そんな時、救急車が到着した。
夫婦も同行してくれるとのことで私は、父に救急車に乗ってもらい、私は「車を持って後ろから着いて行く」と、伝えた。救急車が出発した後、妻のことが脳裏に走った。少しでも早く妻と母を長男に会わせてやらなくてはならないと思った。でも、出産間際なので冷静に伝えなくてはならない。電話で事情を説明し病院に来させるのでは突然のショックもあるし、交通便がない。とっさの判断で事故の状況は話さず、まずは、2人を迎えに帰ることにした。私は、家に向かって出発し途中で公衆電話を見つけ電話しようとするがこんな時に限って¥10の小銭がない。
何処かで両替して自宅に電話しなくては・・・。コンビニを見つけ小銭を作り、自宅に電話をかける。「落ち着いて聞きなよ。大したこと無いけど、長男が怪我したので病院に会いに行こう。迎えに行くから支度しなさい。」
だが、妻は、「何を縁起の悪いことを言うの?」と、信用してくれない。
何故だろうと考えると、今日は、4/1のエープリルフール。
いつものように私のおふざけだと思っているらしい。
私は、「冗談じゃないんだ。まずは、帰るから支度しときなよ」と言い、電話を切った。
家の前に着くと、パトカーが数台集まっていた。聞くと、「事故を起こしたお父さんが子供の後追い自殺をするのかと思いパトカーで探し回っていた」と、言う。私は、家の中に入り出産間近の妻にショックを与えないため、あまり事情を話さず妻と母に支度をさせた。すると、警察がパトカーで誘導してくれるとのことで誘導され病院に向かう。
車の中で2人を落ち着かせて事情を話した。病院に着くと意識不明のままであったがかすかに息をしていると言うことで涙が溢れた。頭蓋骨骨折、脳内出血があるため髄膜炎等で今夜が山になると言われた。
 その後私は、警察に呼ばれ現場検証へ。戻ると事情聴取。検察の結果、長男の着ていた衣服からタイヤ痕が出ていないらしい。タイヤの乗ったあごにもスパイクタイヤの傷はないらしい。先祖がタイヤを支えていてくれたのか?と思われるほど不思議な状況でした。
最初に降りた父がスライドドアを閉めた音は私が確認しているため検証の結果、ドアは、半ドアであり、2人のうちどちらかがスライドドアの取っ手につかまっているところに前進の反動が加わりドアが開いて長男が落ちたに違いないとのこと。
この事故は、各社新聞に「意識不明の重体」として、JAFにも特殊な事故例として掲載された。
長男の様態は、脳内出血により顔が1.5倍位に膨れ上がったものの・髄膜炎に依る山は過ぎ命はどうにか助かった。でも、意識不明は、1週間経っても戻らない。医者からは、様態が良くなっても半年くらい掛かるでしょう。意識が戻っても下半身不随で車椅子の生活となりますと言われた。私としては、命さえ助かってくれたら一生でも面倒を見ながら暮らしたいと涙した。
その時期を考えてみれば、いろいろと不吉なことが重なっていたので慌ててお祓いをすることとした。車・父親の還暦・自宅周辺をお祓いしてもらうこととした。
お祓いを済ませると一気に変化が起きた。長男は顔半分にかすかに意識が戻り始め喜びを感じた。その後も呼吸のために付けていた吸入管で喉が炎症を起こして外す事となったが呼吸が安定できないようであれば喉に穴を開けなければならないと言われた。ICUで面会していて「自分で呼吸出来ないと喉に穴をあけられちゃうぞ。がんばれよ!」と私はつぶやいていた。すると、その夜に看護婦の見ていない中、吸入管を自分で外しどうにか自分で呼吸ををし始めたという。これも不思議なことでした。
こんな状況の時に妻が、出産間近のため同じ病院で出産することにした。そして4/19に無事、次男の誕生となった。
長男は、病院側でもビックリするくらい急激に快復し40日ほどでICUから出ることが出来るようになり一般病棟にまで移った。そして、下半身の動きが少し鈍いものの2ヶ月あまりで退院できることとなった。住んでいる地域の人は皆、重傷ではなく重体との報道であったので「亡くなってしまって可哀想なことをした」と気の毒がって会うと顔を背ける中の元気な退院となった。
退院後も足がもつれて硝子窓に飛び込み、これ又、救急車のお世話になりました。おでこを10針くらい縫う羽目にはなったものの後遺症も無いまま現在に至る。
意識不明のときに食事が全然取れなかったせいか、快復後のプリン・ゼリーなどの差し入れがたくさんあったため太り気味となった。
事故当時の想い出を後頭部に1つ、おでこに2つの傷として残し今は元気に生活している。
お祓いの時の階段の昇り切ったところで鬼門が残っているそうで御大師様の数珠がバラバラと切れる怪現象といい何から何まで不思議なことばかりの奇跡と偶然から起こった出来事でした。
あの事故から3年は夢に再現されることが多く身を覚ますたびに涙していました。
命の尊さ、奇跡・偶然の有り難さ、最後まで諦めてはいけないことを教えていただきました。
私としては、今でも先祖が車を支え、入院中も見守ってくれていたのだと思っています。

①     4/1=エープリルフール
②     父が60才の還暦を迎えるがまだお祓いをしていない。
③     その日に限って車が車庫から出せない。
④     車からの落ち方・停止位置の偶然
⑤     事故後の処置、後進の距離の偶然
⑥     その場に居合わせた看護婦・看護士夫婦の処置
⑦     轢かれた服にはタイヤ痕が無かった。(検察官)
⑧     半年で回復しても下半身不随で車椅子生活
⑨     お祓いをしてもらうと急激な快復
⑩     出産予定の子との生まれ変わりになって欲しくない
⑪     呼吸不全、喉の吸気管を外さないと喉に穴を開けなければならない。


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