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産後のはなし

赤ちゃんが産まれてきてくれた
その後からを書いていきます。
引き続きあくまで私の「記録」なので
事細かく書きたい事を書きますね。

出産直後のあれこれ

赤ちゃんが出てきてくれた後は胎盤ですね。
結構な力でお腹をゴリゴリ押されて
びっくりしながら痛みに耐えてました、、
おかげで早く出てきてくれました。
私は見ていませんが旦那曰く
大きくて血の色だったとのこと。
今だに胎盤がどんなものか想像もつかない。。


その後、会陰裂傷したので縫う作業に。
切開じゃなくて裂傷なのか、、と思った。
裂傷した感覚はあったとも言えるしないとも
言える。出産の時はお股が熱くて、全身が
痛かったからどの痛みがそれだったのか
わからない。

研修されてる方と先生と2人で縫って
くださったんですが、それが結構辛かった。
産む時は色々麻痺してたけど
産んだら疲労だけで、痛みはもうないから、
普通に麻酔の針も痛かった。そして麻酔を
してても縫うの痛かった。。何より長かった。
産後直後だから気持ち的には達成感や、
安堵感で溢れていたので頑張れたけど、
なかなか終わらなくてもどかしかった。
早く股を閉じて赤ちゃんを見たり休んだり
したい!とずっと思っていた。
しかし後日談として思う事があって

よく経産婦さんが
会陰の痛みで産後苦しむと言っていたので
覚悟していたんですが二、三日くらいで
普通の生活出来るくらいになったので、
そういうものだったのか、縫った方が
上手かったのか。。円座クッションも一応
病院のを借りたけど、使っても使わなくても
初日とかは痛かったし、二日くらいで痛みが
引いたから買ったクッションは使わず。。
たぶんこんなに痛みが長引かない人って
珍しい気がする。

幸せを分かち合う

長かった分娩での色々が終わり、
沢山の先生や助産師さん達がおめでとう!
お疲れ様でした!と言ってくださって帰り、
最終的に1人の助産師さんだけに。
正しくは3人ではないけど、やっと旦那と
子供と3人だけで喜びを分かち合う時間が
きたと思った。

とはいえ相変わらず私はヘロヘロだったから
旦那とのテンションの差を感じながら
ゆっくり過ごしました。その時の私の心境は
「早く寝て疲れを取りたい」
「赤ちゃんをゆっくり見たい」
「旦那帰ってほしく無いなぁ」でした。
旦那とアフタートークを楽しみ、
病院の時間のルールがあるから泣く泣くお別れ。

旦那はとにかく私にお疲れ様、頑張ったね
と言ってくれたし、赤ちゃんをひたすら
可愛い可愛いと言い写真を撮ってた。
なんだか幸せだった。
旦那が帰ってからも横には赤ちゃんがいるし
人生で一番と言える程の達成感があり、
寂しさもあったけど無敵モードに入ってた。

夜ご飯が届けられ、テレビを見ながら食べた。
数時間前まですごい事してたのにもう
食べ物食べてる、、なんか凄いって思ってた。
テレビは昭和ソング特集みたいなのをつけて
いたので、赤ちゃんが初めて聴いた音楽は
昭和歌謡ということになるな
(たぶん村下孝蔵の初恋とかだった気がする)
食事の途中から、急に疲れとお股の痛みが
酷くなってきたので少し残しました。

その後は赤ちゃんを見つめたり、
家族とラインしたり、メモにレポートしたり、
色々やっていたけど今思えばスマホなんか
触らないでゆっくり休んでおくべきだった。。

初めての授乳

夜21時頃だったかなぁ、助産師さんが
「おっぱい咥えさせてみましょうか」
と言ってきた。そういえば産後すぐから
そうした方がいいと聞いていたなと思い出し、
言われるがままやってみた。
はじめての授乳の感想を思い出すと

「えっ、可愛い!赤ちゃん吸ってる!可愛い」
「冷んやりする感じ?思ったより痛く無いし
嫌な感覚とかも無い」
「いよいよはじまるのかぁ」

みたいな感じでした。
私の予想では、ディーマーまではいかなくても
授乳に対してネガティブな感じになりそう
って思っていたので、ポジティブな感覚に
なれて嬉しかった。もはや尊さがあって
ありがたかった。まだ母乳は出ないけど、
すんなり吸ってくれたので良かった。

大部屋のはじまり

前回のブログでも書いたけど、出産ラッシュ
との事で個室が空いておらず、大部屋に
仕方なく行く事に。助産師さんは
「案外皆さん他の方の赤ちゃんの泣き声とか
気にならなくて大丈夫って言ってましたよ」
とフォローしてくれたんですが
そんなわけないだろうと後々
めちゃくちゃ思う事になりました(笑)
空き次第入れるので個室予約します?
とも聞かれたので一応しておきました。

話逸れますが
トイレの練習をしたなぁ
尿道に管を入れてた(はず)なので
うまく排尿できないらしい。だから
こまめにやってみて慣れていってねと言われた。
私は最初からなんとなく出来た。
一昨年全身麻酔をした時に同じ経験があったので
痛いけど大丈夫だった。
それからは洗浄綿でトイレの度に拭かないと
いけなくて、それが結構辛かった。
痛いし毎回めっちゃ血出るし綿持っていくの
面倒だったなぁ。1カ月は続けたなぁ。。

話を戻しますが、車椅子で大部屋まで
連れて行ってもらいました。
四つベッドがあって見事に三つは埋まってて
三組とも産後で赤ちゃんと共にいたと思う。
(声でわかった)
その頃時間は22時頃。普通ならそろそろ
寝る時間って感じだけど、さっそく
授乳の3時間おきのルーティンが開幕。
とはいえ出産当日はゆっくり休んでねって
言われたし自分もそうしたかった。
だから授乳の時以外は赤ちゃんは新生児室で
見ててもらいましたが、寝られるわけ
ないよねっていう感じだったんです。

・疲れすぎと、痛みの感覚が抜けなくて
 絶対寝れない感覚だった。
・会陰の痛みと、お股の痛みが辛かった。
・精神的にもまだ出産直後だからドキドキが
 治ってなくて、達成感、嬉しさ、不安、
 色んな感情が溢れて覚醒してた。
・授乳が常に3時間後にくるから、長く寝られて 
 も2時間とかだし焦って寝れなかった。
・他の方の赤ちゃんの泣き声や、赤ちゃんに
 話しかけるママさんの声で寝られなかった。
・なんだかんだ助産師の方が定期的に何かしらで
 訪問してくるし、同部屋の方への訪問も多いし
 常に生活音もしていた。

って感じで疲れてるから寝たいけど、
身体も心も状況的にも無理でしたね。
でもまぁ初日だし、別にそんなもんかって
思てたし赤ちゃん可愛いし、無事出産できたし
横になってるだけでも良かった。

入院は5日間でした。産院なら7日間だったから
短いなぁと思ってしまった。
そのうち3日目まで大部屋で、最後の2日間は
個室に移る事が出来ました。

食事は思っていたよりもおいしくて、
栄養もあるし持ってきてもらえるし良かった。
お祝膳が届けられた時はめっちゃ喜んだ。
デザートもいただけた。

お祝膳

今書いてて思ったんですが、既に入院してる頃の
記憶が薄い、、、怖い、、
出産レポートもちゃんとメモってて良かった。
出産した日から日記アプリで日記をつけていた
のでそれに基づいてここからは書いていこう。。

さっそく困難ばかり

2日目くらいまでは赤ちゃんを預かってもらう事が多くて授乳以外のお世話もあんまりしてなくて
時間になったら連れてきてくれて授乳、
って感じで受動的な感じだったんですが
急に、今からは自分でやってねみたいな感じで
授乳やオムツなどを管理する表を渡されて、
内心「急すぎない?表の書き方も、オムツの
替え方も、色々と教わってないのに、、、」
って感じでした、、、

とりあえず3時間おきにアラームかけて
授乳して、泣いたらオムツ変えたり抱っこして、
定期的に熱も測ったらいいのね、OK。って
感じで試行錯誤やり始めました。
相変わらず短時間睡眠が出来なくて、入院中は
一日細切れで合わせても1時間くらいしか
寝れてなかったと思います。
眠気がそもそも無かったんですよね。
大部屋の時は眠くてもうるさくて寝れないしね。
3日目くらいからおっぱいの硬さと熱さで
眠れない事もありました。

授乳はありがたいことに順調で、
量も出ていたし赤ちゃんも飲んでくれて
退院する頃にはすっかり慣れていました。
先々おっぱいでとても苦労するとは
この時はわかっていなかった、、

旦那と母が面会に来てくれたけど、
一日1人、15分というなかなか厳しい条件
だったから落ち着かなかった。
大部屋だったから談話室に行かないと
いけなかったしね。
母は赤ちゃんをみてどんなリアクションを
するかなとドキドキしていたけど、
思ったよりも緊張してて、リアクションも
大きくは無くて「ちっちゃいね〜」って
言ってました。改めて会わせることができて
嬉しく思った。姉や母からの差し入れのお菓子を
渡されたけど結局産後はそんな気分になれずに
二月になった今、それらを食べています。。

同室の方々は、総合病院ということもあり
帝王切開で出産された方が多いのかなと
聞こえてくる会話で思いました。私よりも
頻繁にスタッフの方が来ていたし、お腹の
痛みなど色々大変なんだなぁと思っていた。
ちなみに聞き耳立ててたわけじゃないですからね
その分私の会話や音も丸聞こえだっただろうから
全てが仕方なかったんです。。
赤ちゃんに話しかける声とか一番聞こえてきて
勝手に勉強になってました。
「起きてー!」って何回もどこからも聞こえて
くる事が多くて、なんで起こすんだろうと
その時は疑問に思ってましたが、授乳しないと
赤ちゃんにもおっぱいにも影響あるからなんだ
と後々知りました、、
その起きてー!で私が起こされた事もあった。笑

私の横の方が退院されて、その後すぐに
産前の方が来られました。周りは全員産後で
赤ちゃんもいて騒がしい中、翌日には
帝王切開の手術なんて、なんて大変なんだろうと
心配していました。。私の赤ちゃんが泣き出した時は仕方ないけど申し訳なく思ったな、、

ふりかえると、うるささや落ち着かなさは
キツかったけどみんな同士だと思っていたし、
色々勝手に勉強になってたし、寂しく無かったし
少しは大部屋経験して良かったなと思いました。

話変わりますが
2日目くらいだったかな、赤ちゃんの黄疸が
少し強く出たので光線療法をしました。

目を保護するためのサングラスデザインの
カバー?がとっても可愛かった。退院する時には
基準はOKとの事だったので良かった。


個室になる。メンタル崩壊。

たぶん3日目の夜頃に急に
「個室空きましたよ!」と言われました。
諦めていたのでびっくり。
案内されたのは思っていたよりも広くて
景色も良くてシャワーもあって良い部屋。
面会も部屋でできてありがたかった。
しかし、1人になった途端めっちゃ寂しくなって
不安になって、やっと大部屋にも慣れてきた
ところだったから戻りたくなった。笑
前半個室で後半大部屋なら良かった、、、

旦那はほぼ毎日、車で片道一時間かかるのに
面会に来てくれていました。
個室になって会いやすくはなったけど、
旦那に対して思ってもみなかった感情が
出てきてしまうのです、、、
「ガルガル期」がすでに始まっていました。
たったの15分でそこまで泣ける?って
くらい揉めちゃったんですよね。
そもそもホルモンバランスによるメンタルの
不調が個室になったくらいから始まって、
それがわかりやすく現れたのがその喧嘩。

旦那は何気なく私に赤ちゃんの事を聞いたり
質問してただけなのに、私が過敏?になってて
何を言われても嫌で、労りの言葉以外は
要らないって気分だった気がします。
こうしたらいいんじゃない?みたいな言葉が
一番イライラしてしまって
「常に赤ちゃんといる私に、赤ちゃんのことに
関して指示しないで」って言ったと思う。。

「寝れる時に寝て休みなね」と旦那はラインでも
言葉でもいつも言ってくれていて、
スタッフも家族もその言葉を言ってきて、
正直私はめっちゃ嫌だったんです。
疲れてても眠気はこないし(覚醒してた)
大部屋だったし、胸も会陰も痛いし、
寝れるわけないじゃんって思ったし、
何より3時間おきの授乳が睡眠の面では
とてもストレスに思ってきた頃だったから、
そんな簡単に寝なよなんて言うなって思った。
寝れる時があれば寝るに決まってるさ、
寝れないのさ!という怒りが溜まってた。。

それらを旦那にぶつけたもんだから、
旦那もしょんぼりしてしまい、怒るタイプの
彼ではないのに少し怒ってる雰囲気もあり、
お別れする時にそっけなくて、それが私にとって
辛すぎてその後3時間くらい泣き続けた。笑
ぶつけた感情に嘘は無いから仕方なかったけど、
わざわざ毎日荷物持って会いに来てくれてたのに
なんて事をしてしまったんだと、いろんな感情が
爆発して大変だった。それも今思えばホルモン
バランスで余計にそうなってたんだなぁと。

旦那が帰ってから1時間くらいかけて長文の
ラインを送りました。ちゃんと謝って、
寝たいけど赤ちゃんのお世話は辛くは無いから
心配しないでっていう話と、アドバイス系は
今の私にはしない方がいいよっていう話。
この文章に関しては今思っても間違って
なかったし、彼からも謝りの返事がきて無事
仲直りできました。自分は今普通では無くて、
メンタルがおかしくなってると言うことを
夫婦共にちゃんと理解する事が大事だと思った。

その日の夜。確かテレビではM-1があっていて
家族が毎年観てたから観ようかとも思ったけど
気持ち的にそんな楽しめる感じじゃ無かった。
入院3日目がやはり、メンタルがおかしく
なった始まりだったと思う。
とにかく赤ちゃんの事や出産の話を誰かに
したくてたまらない気持ちになり、
なんとなく姉に電話して、長らく出産の話などを
させてもらった。姉は優しく聞いてくれたが
後日談として、姉はこの電話のあと母に
「(私)ちゃん、産後ハイがやばいから
注意してた方がいいかも」って言ってたらしい。
これに関しては本当にその通り。
わかりやすい産後ハイが始まっていた。

・赤ちゃんが可愛すぎて落ち着かない
・涙が急に溢れてくる
・赤ちゃんが愛おしくて、将来の事まで
 色々考え過ぎて眠れない感じ

という感じだった。
ちなみにシーズン的にはクリスマスで
色々な特集や歌が流れたりしていたけど
全然関心が無くてひたすら赤ちゃんのことしか
見てなかった。我ながら意外だったなぁ。

私の好きなさくらももこさんがエッセイで
産んだすぐはまだ愛情とか湧かなくて、
しばらくしたら湧いてきた的な事を話されていて
私もそのパターンかなと思っていたけど
実際は産んですぐから愛情が溢れていた。
いや、産む前からだったかもしれない。
出産中、呼吸が難しくてまともにできて
なかった時に助産師さんから
「呼吸して酸素入れないと赤ちゃんが苦しいよ」
と言われてから、一緒に頑張ってる「人」と
なんとなくリアルに認識してきて、
産む直前も「今赤ちゃんも辛いんだよ〜
赤ちゃんも頑張ってますからね〜」
と言われてすごく赤ちゃんを愛おしく思った。
「この赤ちゃんは私と共に頑張ったんだ」とね。

産後の胸に響いた曲

眠れない産後ハイの頃の夜の景色

覚醒していて眠れないから
音楽を聴いた日がありました。

藤井風/特にない
米津玄師/LADY

この二曲が妙に心に響いて、今でも聴くと
エモい気持ちになります。
ちなみに赤ちゃんを想って聴いた曲や
歌詞が響いた曲は、

藤井風/花
aiko/瞳
SMAP/世界に一つだけの花

特に瞳はやばい。絶対聴くたび泣いちゃう。
世の中のママさん達聴いて欲しい。

退院

退院当日。その時の私の感情は

・私と赤ちゃんだけの日々が終わる、、
・気に入ったこの病院や助産師さんと
 離れるのが辛すぎる。
・帰って家族とやっていけるのだろうか、、

というネガティブな感情でした。
ガルガル期って感じ。産後ハイでもあるし。
メンタルぐらぐらでしたね。。
もちろん育児だってまだまだ慣れるわけもなく
不安しかなくて、赤ちゃんを預かってもらう
最後の時間であろう時に1人で
「頑張れ私、、大丈夫、マイペースに頑張ろう」
って唱えてました。もう1人になれる事なんて
なかなかないだろうから、、と。

ぐずぐずしてたら、小児科の先生が来て
いろんな検査をしてもらいました。
すると心臓に少し異常があり、時間をかけて
ちゃんと検査してもらった。
また1ヶ月検診の時に様子を見ますとの事でした。
動脈管が閉じ切ってないのと、
心室中隔欠損症というので、少し穴が空いてる
状態らしいけどどちらもほぼ治りかけとの事
なので、気にしすぎないようにしようと思った。
その検査のこともあり、昼には退院予定だった
のに3時くらいになってしまい、母と旦那を
病院で結構待たせてしまった。
外はとても寒くて、赤ちゃんにとっては
初めての「外と寒さ」だったはず。
ドキドキしながらチャイルドシートに乗せ、
1時間かけて家に帰りました。
赤ちゃんは寝てくれたのでホッとしました。。


出産レポートよりも長くなりましたが
以上が入院生活の記録です。
全てが思い入れがありすぎて語ってしまった。
ほんとはまだまだ書きたいことある、、、

退院からもう2ヶ月くらい経ってしまった。
その2ヶ月の間にも沢山の出来事があった。
色々書きたくてしょうがなかったな、、
でもこの記事もしっかり書きたかったんです、、

次からは育児のブログになります。
ほんとはリアルタイムで書いていきたかったけど
この記事が時間かかりすぎた、、、笑


ここまで読んでいただき
ありがとうございました。



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