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就学先を決めた時 知的障がいって…?

娘が就学前に通っていた障がい児デイサービスには同年齢の女の子がもう1人、それから男の子が1人いました。
全部で3人が同じ時期に就学先を決めるという分岐点に立っていたのでした。

娘以外の2人は早い時期から学区内の公立小学校にある特別支援学級に入学する事を決めていました。

就学先として教育委員会から提示されていたは選択肢は3つ。

1.学区内の小学校で通常級に入学(場合によっては専属でサポートする先生が付くことも。)
2.学区内の小学校で特別支援学級に入学(障害の程度により、通常級と支援級の両方を行ったり来たりしながら授業を受けることも。)
3.県立の特別支援学校に入学

以上の中から、どれかを選択しなければなりません。

迷った我が家が選んだ方法は、とにかく実際に見学する事。
現場の先生方に話を聞き、娘にも自分で見る機会を作ろうと言う事にしました。

そこでさっそく町の教育委員会に出向き、学区の小学校を見学したい旨伝えたのですが…。

返ってきた答えは
「授業を行っている時間に見学するのは難しいです。」

「もしどうしても見学を希望するという事になると、学校に通っている子供達の親御さんにアンケートを行い、見学を受け入れるかの賛否を問わなければならないのです。」

「全員が賛成してくれれば見学可能です。けれどその手続きは学校側にとって大変な手間です。」

「なので、日常風景の見学は遠慮して頂きたい。」

でした。

我が家は別に何かの抜き打ち検査するわけではないのですが…?

見学はそんなに迷惑なのでしょうか…?

そんなに大きな問題になるとは思っていなかったので驚き、授業風景の見学は諦めました。

今現在は見学のシステムが変わっているかも知れません。

けれど私はこの時のことを思い出す度、やっぱりちょっと残念な気持ちになってしまうのです。

「その考え方こそが障害児を持つ親のわがまま、甘えなのだ」
と言われてしまえばその通り。

返す言葉はありませんが…。

とにかくそんな事情があり
学校見学は
「夏休みの生徒が誰もいない時であればOK」
との連絡を頂きました。

そもそも
「学校は行かない!ずっとデイ!」
と言い張る娘に
「それでも良いけど、学校ってどんな所かちょっと見てみよう。」
と何とか言い聞かせて、見学に向かったのは
8月の暑い夏の午後でした。

玄関では、校長先生と教頭先生、支援学級の先生が揃って出迎えてくれました。

もともとかなり築年数が経過した古い学校です。

校舎は静まり返って、長く続く廊下は薄暗く…。

子供のいない学校ってやはり独特の雰囲気なのでした。

若干引き気味の娘の手を引き、案内されたのは支援学級の教室です。

そこには子供用の机が2台。

その年、支援学級に所属している生徒は2名の男の子で、ずっと支援学級にいるわけではなく、可能な時は通常級の子供達と一緒に授業を受けているとの事でした。

担任の先生は女性が1人で、来年度も引き続き支援級を担任するとの事。

校長先生は
「この先生はとても理解ある良い方ですから何も心配することはありませんよ。」
と笑顔で仰って下さったのですが…。

私と夫の間に座り、斜め下を向いたまま動けず声も出せずにいる娘に
支援級の先生が最初に投げかけた言葉は
「ちょっとこっちへ来て、絵を描いてみて。丸とか三角。描けるかな?」
でした。

今日初めて会った自閉症の子供に、いきなりその言葉はどうなの?と思ってしまったのですが、まさか言うわけにもいかず言葉を飲み込みました。

案の定、娘は自分で動く事ができず、先生に手を引っ張られるようにして別席へ…。

校長先生と教頭先生から学校についての説明を受けている間、支援級の先生と娘は少し離れた場所で何かを書いているようでした。


暫くすると

「このお子さん、丸も三角もまだ書けないみたいですね。」

「自分の名前もまだ書けないみたいですが…。家では教えていますか?」

「鉛筆の持ち方もできていないようですね。練習していますか?」

矢継ぎ早に質問が飛んできました。

それは娘が最も苦手とする大きな声で。

指示した事の大半が出来ない娘を少し責めるかのような口調でした。

怯えるようにじっと座っている娘のそばに思わず近づいて肩を抱きしめました。

「あ、まだあまり教えていなくて。それより前の段階のことを少しずつトレーニングしている状態なので。」

唖然としつつ、そう答えました。

「学校に入学してから全てを始めるのでは、1年間のカリキュラムを学ぶのに時間が足りません。今から少しずつ練習した方が良いです。」

と、先生の言葉はごもっともだったのでしょう…。

確かに、就学するのだからそれくらいの事は家庭でも教え始める時期でした。

我が家はあまりにのんびりで、危機感ゼロだったかも知れません。

が、正直な話、私達夫婦はそれまで1度も定型発達の子供達が小学校に入学する時にはどの位の学力を備えているのかなど考えた事がありませんでした。

娘は娘の道を、娘の速度で進んでいけば良い。

私達もその道を一緒に伴走していこう。

そんなふうに思い続け、本当に少しずつ成長していく娘を喜ばしい思いで見守ってきました。

恥ずかしながら、カリキュラムとか、時間が足りないとか…、そんな発想は全くありませんでした。

返答に困っている私達親子を見かねたのか、校長先生が仰いました。

「この学級は急いで出来るようになる必要はありません。」

「他の子供達と同じようにできなくて構いませんから、後ろからゆっくりとついてくれば良いのですよ。」

「欠けている部分は時間をかけて補っていけば大丈夫です。」

大変申し訳ないのは承知で、それでも私はどうにも違和感を感じずにはいられなかったのでした。

これが愛ある言葉なのはもちろん分かっているし、ありがたいです。

何が正しいとか、間違っているとかそういう事ではあません。

「考え方は人それぞれ。」

としか言いようが無いのですが…。

「皆の後ろから…?」

「ついて行く…?」

「欠けている…?」

この世界には1本誰もが通るべき正しい道があって、誰もがそこを通って決められたゴールに辿り着くべきなの?

それぞれが試行錯誤しながら自分だけの道を作って歩いて行くのは受け入れられない事なの?

障がい児って「欠けている存在」なのだろうか?

今こうして書いてみても何だか私って面倒くさい人間だなあと申し訳無く思うのですが、とても哀しい気持ちになってしまいました。

もちろん親切に対応して下さった先生方にそのような発言などする訳がありません。

全ては私の心の中の出来事です。

説明の後校舎の中も一通り案内して頂き、今後の進路を考えるのに充分な情報も提供して頂きました。

時間を下さった事に感謝して、その日の見学は終了となりました。

娘も私達夫婦も、現実というものを知る貴重な体験をさせて頂いたと思っています。


この後、今度は県立の特別支援学校にも見学にも家族で見学に行きました。

娘は体験学習として、通常の授業に参加させて頂く事になるのですが
その事はまた次の記事で書きたいと思います。


ここまでお読み頂いてありがとうございました。
































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