知能検査の話をもう少し…
前回書いた知能検査の事をもう少しだけ…。
結局娘が挑戦した初めての知能検査は、ほとんど検査にならず終了。
まあ、だいたいそんな感じになるだろうと想像はついていました。
だからあまり衝撃も無かったのです。
が、それでも検査は検査。
受けたからには『結果』というものがでてくるわけです。
検査の翌月、発達外来の診察時に担当医から結果の説明がありました。
正確な数値など実はあまり覚えていないのですが…。
ただ今でも覚えているのは、何だかとても言いづらそうに『結果発表』した先生の申し訳なさそうな顔。
確か年齢的なIQの平均値から比べると半分も無いくらいだったかなあと、そんな記憶があります。
実際満足な回答はほとんどせず
全く関係ない方向へと話はどんどん膨らんでいく…。
そんな検査だったので、私にしてみれば
「あれでも測定が出来るんですね!すごい!!」
というのが正直なところでした。
だから、先生がそんなにすまなそうな顔をしなくて良いのにと思ったのですが…。
(恐らく私には、その結果が衝撃の低さだと言うことが全然分かっていなかったのだと思われます。実は今でもあまり分かってないです。)
娘の検査結果はちょっと横に置いておくとして
その時先生が話して下さった事に
「なるほどなぁ。確かにそうだな。」
と今もずっと心に残っている会話があるのです。
それは、こんなお話でした。
「知能検査って、おぎゃあと生まれた赤ちゃんが成長していく中で
様々な能力が同じように平均的に身についていくだろう事を想定して作られていると私は思うんです。」
「そのように平均的に成長していく子供達の事を定型発達児と呼びますよね。」
「では、発達障害児はどうでしょうか?能力に大きな凸凹がある子供達です。ある分野に関しては年齢以上に優れている。ところが別の分野になると年齢よりはるかに低い能力しか有していない。これをどうして平均的にならして評価する事ができるのでしょう?」
「それでも、やっぱりこの検査をやる必要があるんです。皆を同じ尺度で測ることによって、一定の判断基準ができます。もしこの基準が無ければ、発達障害がある子供にどんな支援がどれ位必要なのかを決定することができません。」
「それは正しい基準では無いかも知れない。けれどそれがあるから、そこから成長と共にどう変わっていくかを判断できるともいえます。」
「こんな検査に意味があるのか?と思うかも知れませんが、可能な限り適切な支援をするためにこれを役立てたいと私は思っているんです。せっかく子供達が頑張ってくれているんですから。」
とても腑に落ちるというか、納得出来る言葉だなあと思っています。
そして、判断する側にいる方達がこのような思いを持っていて下さる事が
嬉しかったです。
何だかとっても感動したお話です。