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旧優生保護法裁判の本当の意味

旧優生保護法の下で強制不妊手術を受けさせられた人々が原告になり国を訴えた裁判で、同法は憲法違反であると最高裁で判断された。興味を持って、いろんなメディアや発信を調べていたが、一般的に好意的なものがとても多かった。

気になったのはラジオやニュース解説系のネット番組での識者のコメントだ。ジャーナリスト、学者、哲学者などが、国や政府を、あたかも得体の知れない悪権力の塊のように批判しているのを聴いて。普段はリベラルで人権派と称される人たちも、本当にその立場に立って考えておらず他人事で、言葉が空疎だなぁとしか感じざるを得なかった。政府を悪の枢軸のようにみなしているが、政治家は私たちが選んだ政治家であり、その政治家が下す決断は社会の雰囲気や私たちの価値観を大いに反映している。多くの人に不妊手術を受けさせる選択をしたのは、政府ではなく、当事者の周囲の人、手術を施した市井の医療従事者で、私たち自身なのだ

旧優生保護法が出来た時は戦後まもなくの1948年だ。戦後の引き揚げ者が増え、ベビーブームなどにより人口が一気に増えたのに、一方、食料や社会的インフラやセーフティネットが整っていなかったこともあってか法律の成立は国会の全会一致に依ったと言う。時代背景、また価値観の変容を考えると致し方なかったとも言えるかもしれないが、深刻なのはそれが96年まで一切放置されていたことだ。どうしてそうなったのか、そこが私たちに問われる問題なのだと思う。そこに唯一触れていたのが、ポリタスというネット番組に出演だった青木理さんだけだったのが、相手の司会者が、「弁護団はお疲れ様でした」とか「ハンセン氏病でも同じような判決が出て」などのややズレた反応で、議論が深まららず残念だった。

旧優生保護法が放置されて、しかもその法の下で、多くの人が途切れることなくずっと不妊手術を強制されてきた背景に、その対象となった人々を見る社会の視線や偏見、それだけでなくその家族のことを忘れてはならない。愛する子どもに強制的に非人道的な手術を受けさせざるを得なかった親の気持ちは、私には身につまる。普段からどのような世間の雰囲気、差別的な社会構造、冷たい言葉に晒されてきたか、そして健常児の育児には比べようもない育児、ケアの大変さ、全ての方向にほとほと疲れ果てたその結果が不妊手術の選択なのだと思う。それによって、少しでもケアが楽になるのでは、または社会に迎合することで、自分たちを認めてもらえてもらえるのでは、と言った期待がぼんやりと心中にはあったのではないかと思うのだ。

青木理さんは、私たちの中に残る「内なる差別」について言及されていた。自身のそれに対峙する毎日、そして他者のそれを受け止める日常、そしてケアの毎日の疲れ、それについて社会はあまりにも鈍感な気がする。当事者の声は最近は聞くようになった。が、実は家族はもっともっと苦労し、複雑な思いを抱えている。健常者のようでいるけれど実はもっともっとハンディキャップを何重にも背負っている。裁判の結果に良かったね、政府は酷かったね、というだけの簡単な美談に終始してはいけない。

不妊手術は確かに大きな侵襲だ。だが、障害者は面倒くさいと厄介者扱いする冷たい態度、無関心と無理解(裁判に関してコメントをしていた識者の人たちも含む)、行政から支援されていて贅沢だ、との新自由主義的な偏見などが、さまざまな形の侵襲となって、当事者のみならず、家族やケアラーの心も体も蝕んでいることを知ってほしい。


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