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kakukaku_m2
年を数えるということ
少しタイトルはわざと省略したのですが、亡くなったひとの年を数えることについてです。
亡くなった人の年を数えるなとよく聞くのですが、もとはたとえの言葉のようです。
別に数えてもいいとは思いますが、私は数えない人です。
私の母が数える人で毎年カレンダーにせっせと丸つけてます。
無駄と思ってるわけではないです。
ただその人の時が止まったことを知ってしまっているので私はむなしいようなきもちになるので。
生死は尊く、死を穢れのように思うのもなにか少し違うかなと思います。どちらも生き物の一部で尊い。
はじまりがあり終わりがあり尊い、のかなあとかつらつら。
メメント・モリというやつなのか。
もちろん他殺、自殺等の人の尊厳を傷つけたものによる死は許せませんが!
いいも悪いもない。が、ただ切なく感じるのです。
燃え尽きたキャンドルをみるような気持ち。
私は父を亡くしたとき以来、まったく幽霊が怖くないです。
出れるものなら出てきてみたら、という反抗心のような気持ち。
父と違うやつは呼んでないから来るなと考えてます。帰れと。
零感なのでもとから見えんのですけどね。
ところで青少年の自殺が多かったとお聞きしました。痛ましいことです。
生きてたらいいことあるというのはなんだか無責任ですよね。
でも、時間がかかっても居場所はつくれる。まわりの大人が間違ってることもある。
助けてくれる人はいないことはない、どこかに絶対いる。
迷ってもくじけてもよいから生きぬいてみよう、そこにあるものがきれいか汚いかはわからないけど見てみようよ、と考えます。