ポンコツ看護師の戦い
患者さんVSポンコツ看護師
僕(ポンコツ看護師)
針捨てボックスをひっくり返したり、経管栄養を垂れ流しながら歩く田舎住みの看護師♂。
OD常習犯で患者から看護╱介護╱見守りされることもある。患者さんの検温に行って、何故か自分の検温をされることもしばしば。
患者さん(2~8年近く入院している)
僕を生暖かい目で見てる。多分、孫か何かだと思っている人が多い。そして僕が夜勤に入るとナースコールをわざわざ鳴らして、僕が寝たかどうか確認する人が多い。
人によっては僕と交換日記してる。
※患者さんに関して全てフェイクが入っているので、矛盾していることもありますが大体事実。
※病院を特定しようとしないでください。よろしくお願いします。
はじめに
慢性期病棟・緩和病棟を知っている人は居るだろうか。
所謂、寝たきりの患者さんが多くて車椅子に座れる人はほぼ居ない。自力で食べられる人が少なく、鼻からチューブや胃に直接栄養剤だったり、点滴だけで過ごさないといけない人が多い。
ただ死ぬのを待っている。
と、思われがちだが、あえて僕は言いたい。
慢性期病棟や緩和病棟の患者さんは『看護師で遊ぶのが上手』なのだ。
これは僕が患者さんと(斜め上方向で)戦った記録です。
そのいち
フェントステープ信者VS僕(ポンコツ看護師)
フェントステープを知っているだろうか、所謂癌末期患者さんの痛みを緩和するために用いられる麻薬のテープである。
癌末期患者さんの痛みを早く抑え、長く抑えられるかが勝負になる。そう人によっては"貼ってくれ"とナースコールがあるのだ。
「テープを貼って欲しい」
「貼りましたよ、ほら胸元」
「もう一枚くれ」
「先生から許可出てません」
「明日の分があるやろ?それをくれ」
「いやだから、一日一枚言うてるやん」
「ケチ!」
「ケチじゃないよ!貼りすぎたら、麻薬だから大変なことになるって何度も説明してるやんけ!」
「どうせ死ぬなら、早く死ぬんや!」
「死ぬ死ぬやかましい!そんなん言うてたら、棺桶から逃げますーはーい残念でしたー」
そんなやり取りをする。
その患者さんは癌末期で、フェントステープを貼っていた。
とにかく痛みに対して弱く、カロナールにロキソニンにトアラセットに飲んで飲む。内服自己管理だったが、痛み止めだけ抜かれていた。
痛み止め希望のナースコールが一日に五十回、数えてたから合っている。
トイレも自分で行くし、ご飯も自分で食べる。なんならお菓子を詰め所に持ってきて、勝手にインターネットのパソコン開いてYouTubeとか見てる。そして怒られて、病院にいたずら電話をする人だった。
そして病棟管理の痛み止めの場所を知って、虎視眈々と狙う人だった。
「また来てる」
「テレビの金も馬鹿にならんからねぇ。カルテのパソコンは触らないから、勘弁してくれ」
「ダメだっつうの、そっちにも一応個人情報あるんだから…さぁ、帰った帰った」
「ケチ!」
そして僕はその人とよく話していた。
家族は見舞いに来ない、他の看護師さんも相手にしてくれない、と本人は言う。
そりゃそうだ、自分で出来るのだからある程度放置(といっても声は掛けるし、検温にだって行く。優先度的には危機迫ってないので、後回しにされてしまう)されてしまう。それよりも人工呼吸器が着いた患者さんや心拍が四十もない患者さんの方が優先度は高い。
けれどポンコツ看護師の僕からしたら、優先度が付けられないので同じように接していた。
「なぁ、テープ無いんかテープ」
「だから薬のテープは一日に一枚言うてる」
「違うわ!セロハンテープだわ!」
「紛らわしい!テープテープ言い過ぎ!鳴き声か!」
「先生~その看護師さんがいじめてくる~」
「あっ!テメェ!」
患者さんにテメェ!とか言ったらいけません。
癌末期の患者さんは状態が不安定で、悪くなるときは一気に悪くなってしまう。
その人も一気に悪くなっていった。
好きだったご飯が米粒からお粥になって、ゼリー状になって食べられなくなって、おかずも大好きな魚が食べられなくなって。
とうとう家族から「鎮静をしっかりかけてください」と言われた。
点滴からいく鎮静、けれど患者さんは僕に言う。
「テープを…」
「もうテープは無いんだよ、もう終わりなんだよ」
「テープが無いと、誰も、来てくれない……」
初めて本音を聞いた。
患者さんにとって、決められた時間に"必ず"来る唯一の楽しみ。テープを言えば、"必ず"来てくれる僕ら看護師。
僕に何が出来るだろうか、と考えた。
鎮静をかけているから、優先度的には高いのだ。だから行かないことはない、けれど本人は決められた時間に"必ず"来ることを願っている。
それならば。
僕は湿布を切った。
小さく、なるべくその"テープ"と同じサイズにして油性ペンで『フェントステープ』と書いた。
一ヶ月、一ヶ月もってほしいと願って30枚。
僕が唯一出来る"看護"はそれしかなかった。
その日27枚目を貼り付けて、残りを捨てた。
小さな湿布の『フェントステープ』、それは僕が初めて患者さんのためにやったことだった。