くたばってからしか言えない
ジャニー喜多川の性加害が連日報道されていますが、これも経験した者にしか理解できない憤りがあります。
なぜなら私も幼少期に性被害に遭ったからです。「忘れるしかない」と説く人がいますが忘れられるものならいっそのこと忘れてしまいたいです。
相手がくたばったから言える、いや、くたばってからしか言えない腹立たしさがあります。
相手が権力者であるが故に黙らせてしまう、その不条理な構造の現実に呆然としてしまいます。
いたいけな少年たちが「女を知る前に男に犯される」なんて、想像しただけで残酷で反吐が出ます。
心とカラダに傷を負ったなんて簡単なレベルの話ではありません。その後、その人の人生に大きな悪影響を及ぼす事は明らかです。
被害者への補償があるのはまだマシかもしれません。でも、顔と実名を晒すのはかなりのリスクがあるので割に合わないのも事実。
ほとんどの被害者にとっては、加害者が家族だったり顔見知りだったり、泣き寝入りで乱暴な言い方にはなるが「犯され損」です。
《魂の殺人》と言われるように心が死ぬんです。誰にも助けてもらえず相談もできません。
公にしない方が賢明だと諭されるのです。
かつて話題になった田中裕子主演の映画「ザ・レイプ」を思い出します。公に相手を訴える裁判まで起こすのですが何もかも失ってしまうという、ハッピーエンドではない話。
自分が経験してなくても、愛する我が子がそんな目に遭ったらどうしますか?
私の両親は何もしなかったです。
血相変えた両親が加害者の自宅に行った事は覚えてますが、殴ったのか脅したのか知りません。
「おまえは悪くないんだよ」と抱きしめて欲しかったです。そうすればその後の私の人生は違ったものになっていたかもしれません。
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