ピンキーポップヘップバーンのアルバム「P-POP」が大好きだっていう話
コロナ下で移動の機会が減ってしまったが、最近仕事で移動する時は大体ずっとピンキーポップヘップバーンの1stアルバム「P-POP」を聴いていた。
MZMの新アルバム「255」をSpotifyで聴いたらサジェストに出てきて、軽い気持ちで再生し始めたら止まらなくなってしまったのだ。大好き。
さて先日、ピンキーポップヘップバーン(以下、PPH)がVtuber活動を引退した。
今からこんなことを書くのは遅きに失した行為であることは重々承知のうえで、やっぱり好きなので思いのたけをぶちまけておこうと思う。
PPHも、好きなことを好きだと言って欲しいと言っていたからね。
PPHって歌が上手い訳ではないよね
Vtuberの活動は多様化を極めつつあり、いまではゲーム実況以外のことを色々やっている人達がたくさんいることは周知の事実だが、「歌」は根強い強コンテンツである。
歌が上手いということはそれだけで強力な武器だ。
でもPPHって別に歌が上手い訳じゃない。
音痴と言うほどではないけど、高く伸びるハイトーンボイスとか、震えるようなイケボとか、そういうのは全然持ってない。
というかそもそもPPHは色々なものを持っていない人だ。
コミュ力もない、度胸もない、滅茶苦茶キャラが強いって訳でもない、FPSが上手い訳ではない、特別な知識もない、コラボで喋れない、グラマラスな体形でもない、何より友達がいない。
そんなPPHが、持っていないっていうことを両手に握り締めて、全力で振り回しながら突撃してくるのがアルバム「P-POP」だ。
彼女は何も持ってはいないが、無手や丸腰では決してない。
自虐ネタは度が過ぎると鬱陶しいけど
「P-POP」にはPPHの自虐ネタが満杯に積み込まれている。
友達がいない、金もない、運もない。アレもコレもない。みんなはキラキラしてるけど自分はもう駄目だ。卵かけごはんくらいしか食うもんもねえ。
だけど、せめてあがく。ヤケクソみたいに野菜をもりもり食べる。私とあなたは友達じゃないし、結局友達はいないけど、空元気でも元気に遊びまくるし、陰キャだけど全力で騒いでみる。
みっともないと思われたって、インスタの写真みたいにキラキラしてなくたってあがいてみる。明日はもっとキレイになれるかも知れないとまだ信じているからガッカリするし、詰みもするけど、でも決して止まらない。
滅茶苦茶に失敗したってこれ以上失うものなんかないんだから、もう自棄になってぶち当たっていくしかない。
米はなくても塩ならある。
そういうヤケクソなパワーがあまりにも凄いと、いつの間にかこれが自虐ネタだったことを忘れてしまうのだ。決して前向きではないけど、断じて後ろ向きなどではない。
それがすごく面白くて、清々しくて、小気味よくて、なによりPPHっぽくて、そういうのがぎゅっとつまっていてこのアルバムが本当に好きだ。聴けば聴くほど楽しくて好きになっていく。
というか、こういうヤケクソ系のパワーってむしろロックの分野だと思うのでP-POPは返上してP-ROCKとかP-PUNKに改名したほうがいいと思うんだけど、曲調はどこまでも明るくPOPだから、結局「P-POP」なんだろうな。
どこまでもPPH100%濃縮還元汁
そういう勢いをコンテンツ化しようとすると、なんだか中途半端なネタ曲になってしまったりしがちなんだけど、きっちりと曲として完成している。
なんなら曲の完成度が妙に高いせいで、妙な中毒性のあるポップミュージックと化している。ごちゃごちゃしてるのにうるさくない。耳に残るけど鬱陶しくはない。
余談:私はアイドルコンテンツの個人曲にありがちな、電波ソングスレスレの自己紹介曲などを聴いていると恥ずかしさを感じてしまってあんまり好きになれない(嫌いではないし大事なものだとは理解している)んだけど、このアルバムでは不思議とそういう気持ちにはならなかった。
「歌が上手い」と言われる人たちの中には、普段喋っている時の調子と歌を歌っている時の調子が全く別物になる人がいる。(おめシスなどはいっそ別人と化す。でもリオちゃんとレイちゃんの声色が感じ取れて趣深いよね)
そういう人達の歌は、普段との落差でグッときちゃうんだけど、PPHはどこまでも100%ピンキーポップヘップバーンの声でゴリ押ししてくる。
これが最高に良い。
PPHの声で、PPHにしか歌えない内容の歌を、PPHみたいにカラフルな曲調で顔面に叩き付けてきてくれる、そういう要素が揃った時に世界観とかエモが生まれてオタクはウワーッてなる。
なので「P-POP」を聴くとオタクはウワァーッてなる。好き。
バーチャルなお空の陽が落ちても、夜もパレードは続いていくから、少し寂しくても私たちは笑顔で次のパレードに手を振るんだ。
でも時々は、昔のアーカイブも見に行くよ。