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宝石情報屋というお仕事(自己紹介)
早いもので自身も40歳半ばと人生の折り返し地点になりました。
この人生の中盤に『宝石情報屋』という謎な仕事を始めてみることにしました。
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私と宝石の出会いはインド。
学生時代にインドのジャイプール(Jaipur)という街にある企業に海外インターンシップする機会がありました。
ジャイプールは当時世界の90%(未確認)の宝石加工を担っている言われていた、いわゆる宝石の街です。
インターン先の仕事も程々に(苦笑)、宝石の街を練り歩き、店のおっちゃん達に教えを請いては宝石の世界にのめり込んでいきました。
日本から持っていったお金とインターン先から頂いた給与の全てを宝石につぎ込み、インターンが終わり、半年後の帰国時のデリーの空港に着いた時、日本円で150円程しか残っていませんでした。
今考えれば、一つ間違えれば、帰国できなくなる危険性もあった超リスキーな事をしたと身震いがする思いです。
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宝石はそれから私の生活を大きく変えていきました。
ダラダラとゲームをして過ごしていた休日が、図書館で宝石、鉱物、岩石の書籍や図鑑を読み、自然史博物館やミネラルショー・石系フリマなどのイベントに出かけたり、ロックハンマー片手に水晶が採れるという山に立ち入ったりするなどなど。。
しかしながら、就いた仕事は宝石とは全く関わりはありませんでした。
新卒では世界シェアNo.1の製品を持つ精密機械メーカーの海外営業に。
それから2度の上海(中国)駐在を経て、ドバイ(UAE)の外資系企業でも働きました。
日本に戻ってきてからは、ドバイ時代の付き合いで小さな起業もしましたが、基本は実家の家業を生業にしています。
その間、上海駐在時には、中国じゅうの宝石・鉱物・天然石などの市場(マーケット)やスポットを回ったり、ドバイ時代はそこを拠点に宝石にゆかりが深いスリランカ、イラン、ドイツの各宝石街を巡りました。
日本帰国後は、宝石商やジュエリー製作なども独学でやってみました。
また、運よく結婚する事もでき、妻に自身の宝石コレクションの中で一番大事にしてきたタンザナイトのルースをデザイナーの方に、指輪に仕立てて頂き、婚約指輪として贈ることもできたのは、一つの集大成だったと考えています。
始まりのインドから、20年以上時々の情熱の濃淡はあれど、ずっと宝石が好きという気持ちは今も変わっていません。
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そういう宝石を探求する生活の中で、宝石の価値は何なのか?、また、宝石の何が人を魅了するのか?というのは大きな深めていくべきテーマであると感じています。
個人的には、宝石そのものにはほとんど価値はないと考えています。
宝石は極論それがなくとも人は困りません。
食べることはできないし、病気の治療につかえるわけでもなく、凄い兵器になるというものでもない。
では何故宝石に価値が置かれるのか、それは先人が宝石を重要視し、大事にしてきたという歴史があるからに他なりません。
宝石に紡がれてきた物語や伝承を通じて、皆が価値があると信じるから価値が発生するということです。
それはつまり、
宝石の価値 ≒ 宝石が紡いできた物語や伝承
上記のような式になるとも言えます。
仮に、この式の通りであれば、宝石自体を売買しなくとも、宝石の物語や情報を仕入れ、編集し、発信するという『宝石情報屋』という役割は生業として成り立つ程価値があるのではないか考えるようになりました。
これは私の仮説です。
また、物事を探求するには、入手した情報を整理したり、自身の考えをまとめる必要があります。それにはNoteが便利だと思うようになりました。
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ですので、このNoteでは宝石を通じた私の経験や書籍などを通して学んだ知見、自身で考えた考察や洞察といった類のものを発信することで、私の仮説の検証や思考を深めていければと考えています。
それらのNoteのお話を、宝石・鉱物にまつわる話が好きな方、コレクターの方、それらでご商売をなさっている方やこれから立ち上げを考えられている方などにお届けできれば嬉しく思います。
しかしながら、平日は普通に仕事をしており、休日は家族と過ごすという、自身の時間が限られた生活を送っておりますので、多くは期待しないで下さい。
それでは、本日はここまで。
皆さまの宝石ライフが色鮮やかでありますように。