
年始に「生き方」を考えてみよう
「わたしの生き方」を考える上で、
全ての人に共通して大事なことは、
論語にある次の言葉だと思う。
子曰く、
吾十有五にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑はず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順ふ。
七十にして心の欲する所に従ひて矩(のり)を踰えず(こえず) 。
(吾十有五而志于学、三十而立、四十而不惑、
五十而知天命、六十而耳順、
七十而従心所欲、不踰矩。)
この言葉は、論語の中でも特に有名な言葉だ。
「十有五ってなんやねん」
とか
「そろそろ30歳だから、『立つ』か~。」
など、思うことは人それぞれだろう。
平成11年、当時東宮であらせられた
今上陛下も、お誕生日の記者会見で
「不惑」についての質問をお受けになられた。
https://www.kunaicho.go.jp/okotoba/02/kaiken/kaiken-h11az.html
――――――――――――――――――
「不惑」の年というお話が出ましたけれども,
「不惑」というのは御存知のように,
孔子の論語の中に出てくる
「四十にして惑わず」からきているもので
ありますけれども,これは,言ってみれば
「人間が四十になれば,事に当たって惑う
ことがなくなる」という意味であると思います。
あと一年でこのようなことになれるとは
到底思えませんけれども,日々研鑽に励み,
毎日を充実したものとしていきたいと思っております。
――――――――――――――――――
さて、
この言葉の冒頭には「学に志す」とある通り、
「志」という言葉が出てくる、
ほとんど最初の書物だろう。
江戸時代の寺子屋教育などでは、
論語を素読で暗記していた通り、
「志」と言ったら、まずこの言葉が浸透していたと考えられる。
そして、この文章の最大の特徴は、
「十有五で学に志した人間が、
最終的にどんな人間になったのか」を
端的に示していることだ。
その意味では、一番重要なのは途中じゃない。
結論である。
が、三十の「立つ」とか、
四十の「不惑」を知っていても、
七十を知っている人は、ほとんどいないだろう。
(なお、ここでいう「学」の意味とは、
人として善なる生き方、くらいの意味だろう)
では、改めて結論を見てみよう。
七十にして心の欲する所に従ひて矩(のり)を踰えず(こえず) 。
私は、この文章を改めて読み、驚いた。
今、「志」という言葉には、
何か大きなことを成し遂げる、
というニュアンスがあると思う。
イチロー選手の歴史的快挙も、
彼の幼いころの作文と一緒に、
「志」という文脈で紹介されたりするし、
大谷翔平のような偉大な記録を打ち立てた人も、
「志」があったのだろう。と。
そのほか、歴史に名が残る偉人や、
多くの人を救った影響のある人物も、
さぞかし高い「志」があったのだろうと思う。
ところが、
原典ともいうべき論語の「志」は
かなり印象が違う。
志を立てた人は、
別に歴史に名を残すとか、
多くの人に影響を与えるとか、
そんなことは全く関心事ではない。
ただ単に、
心の欲するところに従っても、矩を踰えなくなるだけなのだ。
「今日は腹いっぱい食べるぞ!」と決めても、
腹八分目。
「今日はとことん呑むぞ!!」と決めても、
泥酔はしない。
「今日はパァーっと使うぞ!」と決めても、
破産しない。
心の欲するところに100%、いや、
1億%従って、我慢なんて少しもしないのに、
決して矩を踰えない。
それが、人としての生き方である「学」を
極めた孔子先生にとっての「志」の最終形態だ。
それが、どれほど難しいことなのかは、
想像には難くない。
確かに、そんな70になったら、そりゃ偉業だろう。
とはいえ、まだこれだけでは、
なんでこれが「志」を持ってから
半世紀を過ぎた人の到達点なのかは、
ピンと来ないかもしれない。
孔子先生がショボい生き方をしただけだろうか?
いや、そんなことはない。
断じてない。
孔子先生の生きた時代は、
漫画のキングダムよりも前のチャイナ。
いわゆる春秋戦国時代で、
多くの国が滅んでいった時代だ。
孔子先生の生まれた「魯」という国は
「キングダム」には出てこない。
滅んでしまった。
そんな実力勝負で、他国に飲み込まれないよう
覇を競う弱肉強食の時代に、
孔子は、「人の道」として「礼が大事」とか
「仁の心が大事」と説いて回った。
おかげで多くの国に相手にされず、
それでも信念を曲げず、君子を求めて
諸国を放浪し続けた、気骨の人だ。
その影響は今の日本にまで「論語」として残っているのだから、その時点で偉業だろう。
(比べるものではないが)イチローや大谷よりも影響は大きいだろう。
尋常じゃない。
ということで、改めて、
なぜ「志」の最終着地点が「70にして…」
なのか、そのポイントはここだろう。
五十にして天命を知る。
次回は、ここを深堀してみたい。