民間企業と教員を経験
民間企業
高校を卒業する頃から、将来、教員になりたいと思っていた。大学では教員免許を取得しましたが、アルバイトに精を出していてろくに勉強もせずに過ごす毎日。将来を真剣に考える意識が低く、将来を安易に考えいた。当然のように教員採用試験に落ちて、中小の食品メーカーに就職。1年間、製造現場で働き、2年目から営業に異動になりました。毎日、問屋さん、小売店、スーパーに回る日々。毎日、車で約150km走りました。毎日、何回も頭を下げる日々。お客さんや問屋のセールスに怒られるのはいつもの事。嫌な事をたくさん言われた。しかし、その時の上司の方は素晴らしい方で大切な事を色々教えてくれた。「商品が売れないのは、相手に君がまだ受け入れてもらってないからだ」と言われた。確かにその通りだと思った。通っているうちに少しずつ、お客さんが話してくれるようになった。スーパーの商談では1時間待って、商談時間は5分ほど。この五分が勝負。大変だったけど、仕事の中でこの商談が1番楽しかった。商談で決まった商品が、スーパーで並んでいるのを見た時は、とても嬉しかった。しかし、私が就職して4年3カ月でこの会社は廃業になってしまった。
無職時代
無職になり、失業保険を貰いながらその後の人生を真剣に考える事になりました。難しいとは思いながら、学生時代の夢であった教師の道に気持ちが傾きました。非常勤講師を2校経験しました。2校目の勤務の時に、私に教師の道へ進む為の必要な事を教えてくれた先生がいました。この先生との出会いなしに、私の教師への道はありませんでした。聴講生として、再び27歳の時に大学で1年間学ぶ事になりました。大学に通いながら、今までの甘かった自分と決別しなげればという気持ちが強く、もう後がないという気持ちで教員採用試験に向けて本気で勉強しました。その結果、運良く合格できました。合格通知を受け取った時は、手が震える程の喜びでした。
教員生活スタート
教員生活がスタートするのですが、いきなりの1年生の担任で4月からてんやわんやの毎日。今でも4月の1カ月間、何をしたのか記憶にほとんど残っていません。多分、毎日が自転車操業。そこに持ってきて以前の投稿でもお話しましたが、強烈な先輩がいて、その方に毎日文句を言われる日々。教えてくれるどころか、毎日が説教。先輩の行動や発言を学べというスタンス。確かにそのように出来ればいいと思いますが、そんな度量は私には無く、日々プレッシャーの毎日。そんなプレッシャーがかかっている教師が持っているクラスが、良くなるわけもなく、辛い日々の始まりになりました。夢と希望を持ってなった教員の仕事に、驚きと不安が増大しました。保護者の方とは、営業時代に大人との交渉をしていたのでまだ良かったのですが、生徒に対しては、ほぼ素人。クラスの女子生徒に「先生は他のクラスの生徒には好かれているけど、クラスでは嫌われているよ」と言われる始末。変な話ですがそう言われ、確かに残念でしたが、ある意味納得している自分がいました。色々な事があった1年間でしたが、救いは同僚の先生方に同年代の方が多く、その方々との交流で気持ち的には救われました。悪戦苦闘の1年目になりました。