ハラスメントにおける対応を考える   大切なのは誰の人権?

「〇〇さんたちが私のことをおばさんと呼ぶんです」、X子さんからの第一声はこうだった。当初、彼女の言い分は理解できた。わたし自身、過去に男性職員が彼女のことをおばさん呼ばわりしていたのを聞いたことがあったからだ。「おばさん」と呼ぶ行為はハラスメントにあたり、そうした職場環境は問題だという点で、彼女とわたしの認識は一致していた。

管理職時代、X子さんからハラスメントの相談を受けた。わたしはその女性の人権を尊重しつつ、組織としてどう立ち回るべきか模索し続け、次のような対応をした。

早速、事実確認をするため職員一人ひとりに聞いて回った。彼らの返答はいずれも「言ってない」というものだった。わたしは混乱したが、今は言っていないという意味だと理解した。そのため、形式的に誤解される発言は気を付けるように注意した。しかしその後も彼女からの訴えは続き、部下の答えも変わらなかった。

次第に彼女の訴えは、あきらかな聞き間違いや突飛な話に変化していった。その場で事実誤認を指摘しても、彼女の疑心暗鬼は消えなかった。彼女は周囲の職員を問い詰めるようになり、職員は皆疲弊し、職場の雰囲気は悪化した。

それからわたしはこの件を上司に相談して人事担当に回した。人事担当は、ある一定期間における調査を開始した。

一方、わたしは彼女の発言とそれに対する職員の反応を詳細に記録し、人事担当に提出した。

数ヶ月後、人事担当は調査期間において、おばさん呼ばわりした者はいなかったと結論づけた。しかし彼女は反発した。

その年度末、彼女の異動が発表された。わたしが人事担当に提出した記録は、表向き職場環境の健全化を目指したものだ。でも本当は、錯綜していった彼女の主張に辟易し、切り捨てたかっただけではないのか。

令和7年2月、テレビ局のコンプライアンスに関する記者会見が放送された。そこで気づいたのは、組織を守るために人権を踏みにじることがあってはならない、人権が大切なのは、相談者に限った話ではないということだ。





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