見出し画像

Ep2.アテーナと初対面|僕の愛は…一方通行だが最強です!片思い冒険者のグレン

初めて見る人は、ぜひエピソード1を読んで頂いてから、2を読んでください。
Ep1.一目惚れ?


ウェヌスの家3階の寝室

朝も昼に差し掛かる頃、ウェヌスは寝室の窓辺に立ち、満ち足りた微笑みを浮かべながら街を見渡していた。昨夜の女子会が長引いたせいで、今日はいつもより少し遅い目覚めとなったが、それもまた心地よい余韻の一部だった。
「グレンという少年……面白いことをしてくれたわね。」
彼女は満足げに呟き、その琥珀色の瞳に愉悦の輝きを宿す。
捧げの言葉など、これまで幾度となく受け取ってきた。愛の誓い、崇拝の讃辞、熱烈な賛美——数え切れないほどの想いが彼女に向けられてきた。それでも今回のものは、違う。

「こんなイレギュラーは天界にいる時以来かしら。」

若き冒険者が綴った純粋な言葉は、ただ彼女のもとへ届いただけではない。神々の世界を巡り、数多の神々に読まれ、その名が響き渡っているのだ。
ウェヌスは、人々の視線と称賛を浴びることを心から愛していた。そして今、この出来事が彼女をより輝かせていることに、密かな誇らしさを覚えていた。
「さて、三人はどんな反応をしているかしら……フフッ。」
ウェヌスは微笑みを深め、昨夜女子会を共にした三人の親友の顔を思い浮かべた。彼女たちの反応を想像するだけで、胸の内に愉快な期待が膨らんでいく。


とある魔術研究室

小さな窓から差し込む太陽の光が、ゆるやかに波打つ黒髪を照らし、淡い輝きを帯びさせる。長袖の黒いワンピースは、白い細い革のベルトによって引き締められ、しなやかな肢体の美しさを際立たせていた。
彼女の顔を覆うのは、実験の影響から身を守るための白い仮面。その奥には、頑丈な丸いゴーグルが収まり、鋭い視線を秘めている。
魔術の女神、へカティア。
ふと、実験の手を止めた瞬間——彼女の身体が微かに震えた。
仮面に覆われたその表情からは、震えの理由を読み取ることはできない。だが、それが恐怖ではないことは明らかだった。
「……グレン……こいつ……」
低く呟かれた声には、苛立ちが滲んでいる。
怒りか、それとも焦燥か——。その感情の正体を確かめる間もなく、次の瞬間、彼女は爆発するように叫んだ。
「この…… わ・た・し が……いるのに……どういうことだあぁぁぁ!!!」

その声が放たれた瞬間、研究室の空気が震え、衝撃が波紋のように広がる。
実験器具が乱雑に並ぶ机も、分厚い魔導書が積まれた棚も、すべての存在が一瞬にして彼女の意識から消え去った。
へカティアは研究室のすべてを投げ捨てるように扉を蹴り開け、疾風のごとく駆け出していった。


痒くて死にそうなとき…(ウェスティン地区・地下5階)

巨大な木々がそびえ立ち、枝葉が絡み合い、まるで生きた天蓋のように頭上を覆っている。幹はどれも太く、悠久の時を超えてなお成長を続けているかのように、堂々たる存在感を放っていた。
地面には、柔らかなモスが一面を覆い、ふわりとした緑の絨毯を広げている。その中を、無数の20~30センチほど細い川が木の根のように絡み合いながら流れている。

水は透き通り、ほのかに青白い輝きを帯びている。静かにせせらぐ音が森全体に満ち、耳を澄ませば、流れのささやきと木々の葉擦れが心地よく響く。
ここで僕は、ジルジャの根を探しに来た。クエストによると、香水の素材に使うらしい。記憶が間違っていなければ、ジルジャ草が見つかる確率が高い環境は5階だ。

他にも沢山の薬草が生えている。赤色、黄色、紫色、もちろん普通の緑色の薬草もある。葉も様々な形だ。
僕が探しているジルジャ草の葉は残念だがモスと同じ緑色で見つけるのは少々大変。普通の薬草見分けるのは葉の形が細い星で先の色だけ青だ。

「は~、遠くからだと特徴が分かりにくくて大変だなぁ……」
思わずため息交じりに呟く。

森の中を歩きながら、僕は周囲の草木にじっと目を凝らしていた。目当ては薬草――特に、地下層でしか採れないものを探しているのだけれど、似たような草が多すぎてなかなか見つからない。
しゃがみ込み、指先で一枚の葉をそっと摘んで確認する。形は似ているけれど、どうも違う……。根本を掘ってみるが、やはり求めていたものではなかった。

「うーん、やっぱり難しいな。」
立ち上がり、軽く体を伸ばす。すると、森の奥からかすかに水の流れる音が聞こえた。音を辿るように木々の間を抜けると、突然、視界が開ける。
そこには、澄んだ湖が広がっていた。

湖面は静かで、鏡のように周囲の森を映している。水は驚くほど透明で、膝ほどの深さしかない。底の白い砂がはっきりと見え、ゆらゆらと揺れる水草が、湖全体にゆるやかな流れを生み出している。

……ん?
目を凝らすと、水の中でゆっくりと動く奇妙な影が見えた。白い魚のような姿――けれど、前足のようなものが生えている。

「クリーピーフィッシュか。」
確か、歯に毒があるが命に関わるほどではなく、刺されると全身が1~2時間ほど痒くなるらしい。毒はあるが、火を通せば食べられるやつだし。

「ついでに狩っていくか。」
そう呟きながら、僕は一歩、水の中へと踏み出した。湖の透明な水面の下、白い影がゆらりと揺れた。

……気づかれた。
クリーピーフィッシュが一斉にこちらを向き、その真っ黒な目がじっと僕を捉える。次の瞬間、水をかき分ける音が聞こえ、奴らが一気に突進してきた。
「……うわっ、気持ち悪っ!」
魚の滑らかな泳ぎに加えて、不気味な前足が水をかき、牙の生えそろった口をパクパクさせながら迫ってくる。その異様な光景に思わず鳥肌が立つ。
慌てて背中に背負った二本の斧を手に取ると、とりあえず湖中の岩を全力で叩いた。

ゴンッ!

水中に響く鈍い衝撃音とともに、振動が湖全体に広がる。クリーピーフィッシュはその影響で一瞬バランスを崩し、まっすぐに泳げなくなった。今だ――!
素早く間合いを詰め、バランスを崩した2~3匹に狙いを定める。湖の中での戦闘は、地上とは比べ物にならないくらい難しい。水の抵抗で動きが鈍るし、武器の軌道も狂う。それに、何よりも――
「噛まれるのは、嫌だな……!」

奴らの牙にやられたら全身が痒くなると聞いたことがある。気を付けながら斧を振るうが、思うように動けず、なかなか仕留めきれない。
それでもなんとか2匹仕留めることに成功し、すぐさま湖から飛び出した。

「はぁ……はぁ……二匹で勘弁しといてやるよ、もう……」
息を整えながら、倒したクリーピーフィッシュを紐で括る。水に濡れた服が肌に張りつき、じんわりと冷えていくのを感じた。そのとき――

……ん?なんか、体のあちこちがムズムズする。
嫌な予感がした。
「まさか……」

袖をめくると、腕に赤い斑点がぽつぽつ浮かんでいる。痒い。いや、まだ序の口だ。どんどん、どんどん悪化していく。
「……噛まれた……?!」

途端に全身が燃えるような痒みに襲われた。まるで無数の蚊に刺されたみたいな感覚が広がっていく。くそっ、こんな状態でうずくまっているわけにはいかない。とにかく安全な場所を――!
視界が霞むほどの痒みに耐えながら、必死に木々の間を駆け抜ける。湖から離れ、比較的開けた岩場を見つけると、ようやく足を止めた。
もう我慢できない――!

「くっそぉぉぉ!!」
思わず叫びながら、乱暴に服を脱ぎ捨てる。全身を掻きむしりたくて仕方がない。爪を立てて掻けば、さらに悪化するのは分かっている。それでも、この痒みは耐えられるものじゃない。
「なんでこんなことに……!」
荒い息をつきながら、僕はひたすら身体をさすり、痒みに悶え続けた。そのとき――

「俺が手伝おうか?」
突然の声に、心臓が飛び跳ねた。
「キャーーーーーっ!!!」
思考が一瞬真っ白になり、痒みすら忘れるほど驚いた。

しかし、それもほんの一瞬のことで、すぐに全身に這い寄るような痒みがぶり返す。しかも、驚いたせいか余計にひどくなった気がする。
慌てて声の主の方を振り向くと、そこには見知らぬ魔族の冒険者が立っていた。

彼は明るい青紫色の肌を持ち、短く白い髪がほのかに輝いている。整った顔立ちに、どこか気楽そうな笑みを浮かべ、こちらをじっと見つめていた。まるで珍しい獲物でも観察するように。
……とにかく、相手が男でよかった。

心底ホッとしつつも、この恥ずかしい状況に変わりはない。痒みに悶えながら、顔を引きつらせつつなんとか声を絞り出した。

「どっ…どういう……ことですか?」
汗ばむ手で腕をかきながら尋ねると、彼は肩をすくめて答えた。

「俺、簡単な薬なら作れるからさ。ちょうど薬草もこの辺りにたくさんあるし。」
その言葉に、希望の光が見えた――が、同時に彼の楽しそうな笑顔がやたらと気になる。完全に他人事として面白がっているのが丸わかりだった。

「……っ! 特急でお願いします!!! 」
痒みに悶えながら、全力で即答する。
彼は笑いをこらえつつ、ひょいっと頷いた。
「はいはい~」
その軽い口調に少し不安を覚えつつも、今はとにかく早くこの地獄から抜け出したい――!!
彼はニヤリと笑いながら、ゆっくりと腰を下ろし、近くの草むらに手を伸ばした。

彼が薬草を集めている間、この痒みはさらに悪化し、まるで全身を蟻に這い回られているようだ。腕、首、背中、足――どこを掻いても追いつかない。じっとしているなんて無理だ。
「……くっ!」
思わず地面に転がり、全身をこすりつける。が、土や草の刺激では全く足りず、むしろ逆効果で痒みが余計に意識される。
「ハハハッ! 面白な~、まだ大丈夫かぁ??」
魔族の男は腹を抱えて笑いながら、ようやく作業を開始した。
「早く、早くしてください!!!」
涙目で懇願すると、彼は肩をすくめながら数種類の葉を器用に指で千切り、石で軽くすり潰し始める。

「はいはい、お待たせっと。ほら、これを塗っとけ。」
手のひらに乗せられたのは、鮮やかな緑色をしたペースト状の薬草。見た目は正直あまり美味しそうではないが、そんなことはどうでもいい。

「ありがとうございます……っ!!!」
塗った瞬間、全身に冷たい刺激が広がった。

「うおおおお!? めっちゃ冷たい!!」
「炎症を抑える成分が入ってるからな。それに、これは特別にちょっとだけ強めに調合しておいたんだ。」
痒みが急激に引いていく感覚があり、まるで肌の奥まで冷気が染み込んでいくような心地よさ。

「……助かった~」
息をつきながら礼を言うと、彼は薄く笑いながら肩をすくめた。
「まぁ、俺が通りかからなかったら、全身血まみれになるまで掻きむしってたんじゃないか?」
「……言い方…」
「ハハッ、冗談だよ。」

彼は軽く笑いながら、腰に手を当てて僕を見下ろした。
「お前、名前は?」
「グレンです。」
「ふーん、俺はヴィス。ってか、ここで何をしてるんだ?」
ヴィスが興味深そうに僕を見下ろす。まだ涼しい顔をしているのが若干腹立たしいが、助けてもらった恩があるので、今は素直に答えておく。

「ジルジャの根を探してるんです。」
「ジルジャの根?」
ヴィスが軽く眉を上げた。
「葉っぱなら見たことあるが、根っこが必要なのか?」
「ええ、クエストでね。」
「ヘェ〜そんなクエストあったか。今朝、見落としたわ。」
「ありますね〜 特に何も考えずに受けたんですけど……。」
僕は肩をすくめながら答えた。正直、深く考えずに選んだクエストだった。必要な素材も「ジルジャ草の根を採取するだけ」と書かれていて、難しそうには見えなかったのだ。

「クエストによると、香水の素材に使うらしいです。」
「香水か〜」
「はい。僕、そんな用途があるなんて知らなかったんですけど……まあ、それはいいとして、とにかく根を見つけないと。」

そう言いながら、周囲を見渡す。が、相変わらずジルジャ草の葉は見当たらない。
ヴィスは僕の様子をじっと見ていたが、やがて呆れたように肩をすくめた。

「なるほどな。そりゃあ見つからねぇわけだ。」
「……どういうことですか?」

「ジルジャ草は、普通に探しても見つからねぇんだよ。根っこを取るってことは、それなりに成長してるやつを探すんだろ?」
「そうですね。できるだけ太い根がほしいので。」
「だったら、落ち葉の多いところを探せ。ジルジャ草は他の植物の葉っぱが積もるような場所を好む。地面にモスだけが広がってるところより、木の下や少し影になってる場所の方が生えてる確率が高い。」
ヴィスはニヤリと笑い、腕を組んだ。

「まぁ、お前はジルジャ草を探す、俺は俺でやることがあるし。もしまた会うことがあったら、そのときは……そうだな、何か奢れよ。」
「わかりました!」
ヴィスは手をひらひらと振りながら、森の奥へと歩き出した。
僕も気を取り直し、彼が言った「落ち葉の多い場所」を探しながら、再び森の中を進んでいった。


謎の呼出し(ウェスティン地区・地下1階)

ヴィスのアドバイス通りに探してみると、思ったよりあっさりと ジルジャの根 を見つけることができた。根がしっかりと張った立派なものだ。これならクエストの依頼主も文句は言わないだろう。
「よし、戻るか。」

僕はジルジャの根を丁寧に袋にしまい、地下1階へと戻ってきた。地上へ向かうリフトを目指しながら、周囲の景色を眺める。

地下1階は他の階層と比べると、かなり穏やかな環境だ。ところどころに 普通の森や草原 が広がり、リフトの近くには農作業をする人々の姿も見える。地下とは思えないほどのどかな風景が続いていた。
土の道を踏みしめながら進んでいくと、 ちょうどリフトが見える場所に差し掛かったとき、ふと視界の端に人影が映った。

オレンジ色に輝く長い髪。 立派な槍を片手に持ち、悠然と佇む女性。
「……姉ちゃん?」
ミリア だ。

姉はリフトの近くで何かを確認していたようだが、僕に気がつくと、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってくる。その歩調は落ち着いているのに、どこか有無を言わせぬ雰囲気がある。

嫌な予感がした僕は、自然と足を止めた。
「姉ちゃん? どうしたの?」
とぼけたように声をかけてみたが、ミリアの表情は変わらない。
――これは、確実に何か言われる流れだ。心の中で覚悟を決めながら、姉の到着を待った。

「グレン! アテーナ様が君に会いたがっている。」
ミリアが開口一番にそう告げた瞬間、僕の思考は完全に停止した。
「えぇっ!? なんで!?」
思わず大声をあげる。

アテーナ様といえば、ミリアが加護を受けている神様だ。戦いを司る威厳ある女神で、僕に関係があるとは思えない。なぜ僕が呼び出されるんだ?
ミリアは腕を組み、少し呆れたようにため息をついた。

「こっちが聞きたいわよ~。グレンはウェヌス様に加護をお願いするんじゃなかった? なぜアテーナ様になったんだよ?」
「……えっ?」
ミリアの言葉を聞いた瞬間、背中に冷たい汗が流れた。

心当たりがあった。

手のひらがじんわりと湿り、顔から血の気が引いていくのを感じる。
「い、いや、ヴォウフレアではちゃんとウェヌス様の名前を書いたよ!」

それは本当だ。僕は確かにウェヌス様の名前を書いた。……ただし、記入の仕方は間違えたけど。

心の中でひっそりと訂正しながら、ミリアの反応をうかがう。
姉は眉を寄せ、考え込むように小さく呟いた。
「そうか……じゃあ……なぜ……?」
まるで自問自答するような口調だった。

「……で、いつ会うの?」
僕はミリアの様子を見ながら恐る恐る尋ねた。
「そりゃ、できればすぐにに決まってる。」
当然のように返され、僕は内心ため息をついた。

もし急ぎじゃなければ、こんな場所で待ち伏せなんてしないよな。
「わかった。素材の換金とクエストの報告は後回しにするよ。」
落ち着かせるように深呼吸し、覚悟を決めた。

ミリアと共にリフトに乗り込むと、周囲の冒険者たちの囁きが耳に入ってきた。
「ミリアさんだ……」
「あのSランク冒険者……やっぱりオーラが違うな……」
姉ちゃんはどこへ行っても目立つ。それは誇らしいことだけど、同時にちょっとしたプレッシャーでもあるな…


せっかちな友達(ウェスティン地区・地上 リフト前)

リフトが静かに地上へ到着し、扉が開く。
湿った地下の空気から一転、乾いた風が頬をかすめた。地下の名残を感じさせる湿気を振り払うように、僕は軽く息を吐く。
ミリアと並んでリフトを降りた途端、視界の端に妙に浮いた存在が目に入った。
黒い長袖のワンピースが風になびく。腰元には白い革の細いベルトが締められ、しなやかなシルエットを際立たせている。
その頭には天然のゆるいウェーブがかかった長い黒髪。陽の光を受けるたびに淡い青紫の光沢を帯びる。
顔の上半分は白い仮面で覆われ、その下には分厚いゴーグルがはめられていた。彼女は…
――へカティア?

イリシア以外で、僕が「友達」と呼べる数少ない存在のひとり。魔術の女神へカティアが、リフトの前に堂々と立っていた。

神々は地下に入ることを禁じられているはずなのに――なぜここに?
周囲には、彼女の存在に警戒を強めるリフト職員が一人。険しい表情を浮かべ、ぎこちない動きでへカティアを睨んでいる。

「女神様……申し訳ありませんが、リフトの近くでお待ちいただくようお願いします。」
緊張した職員の声が張り詰める。神様に注意するのだから無理もない。だが、へカティアは軽く肩をすくめ、まったく気にしていない様子だった。

「分かってるわよ。そんなに睨まなくても、地下に入る気はないって。」
そう言いながら、露骨に面倒くさそうな溜息をつく。まるで「リフト職員が必要以上にうるさい」と言いたげな態度だ。

リフト職員はなおも警戒を緩めず、じっと彼女を見張っている。そんな中、僕とミリアが降り立った。へカティアの視線が、僕にぴたりと合う。
「グレン!」

次の瞬間、彼女はリフト職員を完全に無視して、僕の方へ向かってきた。
「め…女神様…!」
慌ててリフト職員が手を伸ばすが、へカティアの素早い動きに追いつけない。

「地下には入らないって言ったでしょ? ただ、こいつと話があるだけよ!」
それを聞いても、職員の表情は険しいままだった。
――いや、僕の方がむしろ警戒したいんだけど。
へカティアが何の用で僕を待ち伏せしていたのか…嫌な予感しかしない。

「へカティア様?」
不意に、ミリアが口を開く。
へカティアは僕ではなく、ミリアの方へ視線を向けた。
「……あなたがグレンのお姉さんね。」
彼女は気だるげに髪をかき上げ、仮面の奥の目を細めた。その仕草にはどこか探るような気配があり、興味と警戒が入り混じっているように見える。
「……ええ、そうです。」
ミリアは少し驚いた表情を浮かべながらも、落ち着いた声で応じた。
すると、へカティアはさらりと言い放った。
「グレンを借りるわ。」

まるで「ちょっとそこまで出かけるから、鍵を貸して」とでも言うような、何の遠慮もない言い方だった。
ミリアの眉がピクリと動く。
「…申し訳ありませんが、それはできません。グレンにはこれからアテーナ様にお会いする予定がありますので――」
ミリアは冷静に断るが、視線は鋭く、どこか探るような色が宿っている。

一方のへカティアは、ふーん、と興味なさそうに短く鼻を鳴らす。
だが、その仮面の奥で、彼女の瞳がわずかに細まり、ほんの一瞬、仮面の下で眉がわずかに動く。

彼女の唇が軽く噛みしめられたのを、僕は見逃さなかった。だが、それが何を意味するのか、今の僕には分からない。
そして、次に出てきた言葉が予想外だった。

「ならば、私も一緒に行くわ。」
「……え?」
ミリアだけでなく、僕も固まった。へカティアは腕を組み、当然のように続けた。

「別に問題ないでしょう?」
ミリアは驚いたように僕の方を見た。いや、僕だって驚いてる。
なぜか彼女の言葉が、ただの興味ではなく強い意志のように聞こえた。――へカティアは何かを考えているんだ?

そう思ったものの、彼女の表情は仮面の奥に隠され、考えを読み取ることはできなかった。でも、断る理由がない。
いや、問題がないわけじゃない。いくら友達でも、神様相手に断るのも妙に気が引ける。結局、僕は小さくため息をついて、へカティアを見た。

「……分かりました。一緒に行きましょう。」
こうして、僕たち3人はアテーナ様の所へ向かうことになった。


初めての挨拶(アテーナの家)

ウェスティン地区の一角、他の家々と比べると少し奥まった場所に、アテーナの家は静かに佇んでいた。表通りの喧騒から少し離れたこの場所は、どこか厳かで落ち着いた雰囲気を漂わせている。

僕たちは門の前に立ち、改めてその家を見上げた。
しっかりとした石造りの建物。白を基調とした壁は、まるで大理石のように滑らかで、どっしりとした造りが威厳を感じさせる。屋根の縁には、精緻な彫刻が施されており、盾や槍の模様が並んでいた。まるでこの家自体が戦士を守る要塞のようだ。

「ふーん、まあ、こんなものか」
隣でへカティアが、まったく興味がなさそうに言う。腕を組んで、ちらりと家を見たものの、すぐに視線を外してしまった。

「君、もう少し感想とかないの?」
僕がそう言うと、彼女はゴーグル越しに僕を見下ろし、肩をすくめた。

「だって、戦の神の家なんてどれも似たようなものじゃない?」
そう言われると、確かにこの家もアテーナらしいと言えばらしい。派手さはないが、どこか品格のあるデザイン。堅実で、洗練され、それでいて居心地の良さも兼ね備えている。正面の扉へと続く階段は広めに作られ、両脇にはフクロウの石像が対になっていた。細部まで丁寧に彫り込まれたその姿は、知恵と静かな力強さを象徴しているように見える。

「まあ……言われてみれば、確かにそれっぽいよな」
僕は玄関へ続く階段を見つめながら呟いた。
「それよりも」
ミリアがぼそりと呟く。

「なぜアテーナ様がグレンを呼び出したのか、気になるわ。」
彼女はまだ答えの見えない疑問を抱えたまま、じっと玄関を見つめていた。
「もしかして僕、何かやらかしたのかな……?」
思わずそう呟くと、ミリアはじろりと僕を見た。
「心当たりがあるの?」

「いや、ない……よ」
ヴォウフレアのことを考えると心配になってきたが、ウェヌス様以外に僕のおっちょこちょい失敗を知るはずがない…

「まあ、いずれにせよ中に入らなきゃ分からないか」
僕はひとつ息を吐いて、玄関の方へと足を向けた。へカティアは相変わらず関心がなさそうに視線を逸らしていたが、ミリアはまだ何か考えているようだった。

扉が開いた瞬間、ひんやりとした空気が僕たちを迎えた。外の乾いた風とは対照的に、家の中は静かで落ち着いている。
足を踏み入れると、広々とした玄関が目に入った。白を基調とした大理石の床は磨き上げられていて、足音が柔らかく響く。壁には武具や盾の装飾が整然と並べられ、その間には戦場を描いた大きな壁画が飾られている。

「ふーん、思ったよりもシンプルね。」
へカティアが軽く肩をすくめる。
ミリアは特に何も言わず、ただ静かに周囲を見渡していた。彼女もまた、この場所の整然とした空気を感じ取っているのかもしれない。
と、そのとき、上からふわりと影が降りてきた。
「……フクロウ?」

僕の目の前に、一羽の白いフクロウが舞い降りる。その姿は堂々としていて、まっすぐ僕たちを見据えていた。
「案内役ね。」
ミリアがそう言うと、フクロウはすぐに羽ばたき、廊下の奥へと飛んでいく。そのまま進めということみたい。

「ふふっ、随分と格式ばってるじゃない。」
へカティアが口元を隠しながら、小さく笑う。

ミリアが先に歩き出し、僕もその後に続いた。
フクロウに導かれるまま、僕たちは長い廊下を進んだ。家の中は静かで、歩くたびに靴音がやわらかく響く。壁には整然と本棚が並び、ぎっしりと並べられた本の背表紙が整然と並んでいる。その一つひとつが知識の結晶なのだろう。
「随分と静かね。」  へカティアが小さく呟いた。彼女の声もまた、広い廊下に溶けるように響く。
 やがて、フクロウが止まったのは、大きな木製の扉の前だった。まるで待っていたかのように、扉が静かに開かれる。

 その向こうにいたのは、金色の髪を持つ一人の少女だった。
 知恵と戦の女神。アテーナ様。
 
 長い黄金色の髪は腰まで届き、光を受けて柔らかく輝いている。左目には金色の片眼鏡をかけ、冷静な知性を宿した瞳が、まっすぐにこちらを見据えていた。
 彼女は大きな机の前に座り、開かれた書物の上に手を置いていた。その指先がページをめくる動きは流れるように滑らかで、思考の速さを感じさせる。まるで知識そのものを操っているかのようだった。

「ようこそ。」  彼女は静かに言った。
 落ち着いた声。だが、その奥には、どこか楽しげな色が含まれている気がした。
 アテーナ様の視線が、僕の方へと向けられる。

「君がアルキデス・グレンだな。」
 その声は、確認というよりも、すでに知っていたことを確かめるような響きだった。
「はい。僕…グレンです。」
 僕がそう返すと、彼女の唇がわずかに持ち上がった。微笑ともとれるが、その意図は読めない。

「君は、深淵の眠りの呪いが消えたらこの世界はどうなると思う?」
「え…?」
 僕が首を傾げると、アテーナ様はすっと椅子から立ち上がり質問を続けた。
「君が、誰かの…コンパニオンになったら何がしたい?」
 その言葉とともに、彼女の目がわずかに細められる。まるで僕の中身を見透かそうとしているような――そんな鋭さを感じた。
 と、そのとき。

「相変わらず、わけわからんことを言うんだな。」
へカティアが腕を組みながら、からかうように言った。

アテーナ様は、ゆっくりとへカティアへと視線を向ける。
「へカティア。久しぶりだな。」
「ええ、本当にね。」
へカティアの声はどこか気怠げだったが、その目には警戒の色が浮かんでいた。
「君とグレンの関係は?」
アテーナ様の問いは、まっすぐで率直だった。
「友達よ…」
へカティアが即答する。
「研究にしか興味ないあなたにしては、珍しいことね~」
アテーナ様は静かに微笑んだ。
「君が自ら"友達"と呼ぶ相手を持つとはな。」
「……別に、そんなに珍しくもないわ。」
へカティアはそっぽを向く。だが、その態度には微妙な棘が混じっていた。
 そんなやり取りをしばらく眺めていたミリアが、ふいに前へ出た。

「……それで、アテーナ様。」
彼女の声には、迷いがなかった。
「なぜ、弟を呼んだのですか?」
ミリアはまっすぐアテーナ様を見つめる。

アテーナは少しだけ、口元をゆるめた。
「私の気に入りである君の弟だ。会ってみたいと思うのは、普通ではないか?」
さらりとした答えだった。だが、それを聞いたへカティアの顔が、一瞬だけ険しくなる。

アテーナ様はへカティアの様子を流し、続けて言う。
「ということで、少しお茶会に付き合ってくれないか?」


次回

・アテーナは本当に、ただのお茶会をしたいだけなのか?

・へカティアは迷う。ヴォウフレアの失敗でウェヌス女神へのメッセージがすべての神々に巡り、届けられたことをグレンにすぐ伝えるべきか。

・グレンはとある理由で、イリシアとパーティを組んで地下8階を挑戦する。


いいなと思ったら応援しよう!