向こう側にあるもの。
いぬが、「うちのこ」になった日から別れと表裏一体なのだ。それは命あるもの全てにいえる。
人間もまた同じこと。いつまでも「だいじな光」が側にいるとは限らない。当たり前は、あたり前じゃなく永遠ではないってこと。
ぜんぶ、ください。
保護猫に見送られ、お寺を後にした私たちは焼き場といわれる場所へ向かった。
膝の上にgooをのせ、最後のドライブに想いを馳せる。車で20分ほどの場所だ。通り過ぎた、「あれ、あれやったんかな。」また引き返す。
いいょ、逆に。なんなら迷いに迷ってくるくるしてても。何しにきたかわからなくなるほど、車走らせましょうか。
だめだ、住職の息子さんが待っている。わりと待たせてしまっていた。好き勝手に伸びた木々は、空高く手を伸ばしているようだ。その間に、その小屋のような建物があった。
箱を抱き抱え、中へと入ると「迷われませんでしたか。」と人の良さそうな、住職さんが現れた。「ぜんぜん、通り過ぎてました。」
そこは、たぶん、自分たちで建てましたよねと言ってしまいそうな手作り感ましましの小屋だった。これも友人からは聞いていたので、驚きはない。ほんまに、ほんまやった。
一通り説明を受ける。箱に入れたいものは他にないか、場合によっては時間がかかることもある。それは、癌などの病気を患っていたこは、そこだけ焼けすぎてしまうので火加減を調節しながらになるからです。そのこの大きさによって調節し、できるだけお骨の形を残すようにさせて頂いてます。
そう丁寧に、柔らかく説明してくれた。1時間ほどです、よかったらこちらでお待ちください。案内された小部屋には、木製のベンチがありタンクがある。「飲み水」と貼り紙が。この親子の住職さんたちは貼り紙がすきらしい。
ありがとうございます。そう言って車の中で待つことにした。
まだ、いまひとつ、滞りなく進んでいる事実が現実なのかわからない。また夢の中なのか、なにを二人して待っているんだろう。
ふと、となりで夫が握りしめてるのがgooのリードだと気づいた。そうか、そういうことか。それでいまここに、二人で待ってる。私たちのもとへ帰ってくるのを待っているのだ。
gooの首輪にはドックタックをつけていた。名前、生年月日、わたしの携帯番号。わたしも夫も持っている。おそろいだ。だから、これは置いていってねと私は握りしめていた。
思い出す。泣く。思い出す。泣く。繰り返している内に1時間が経ってしまった。もうすぐかな、もう姿はないのはわかってても、迎えにいくという気持ちが急いでいた。
どうぞ、お待たせしました。声をかけられ小屋に入ると、テーブルの上に小さな、白い骨たちが整列していた。
住職さんは「このこは、老衰でしょうか。どこかが悪いという感じではなく、お骨もきれいに残ってますょ。」
そう言われてすぐに、頭の骨をみた。きれいな形を保っている。脳腫瘍だから、どこか黒く穴が空いてるんじゃないか、そんなこと考えてた。考えたんだ、わたしは。
その優しい語り口に、また涙がとまらなかった。あたま、きれいなままだょ。痛くなかったのかな。
頭から順番に、喉仏もあります。お腹には何も食べたものはなかったみたいですね。これが肋骨、脚。ん?ん?これは、、、。
うんちがひとつ。ありますね。え、焼けてなくならないんだ。小さいうんち、いま、この時点でgooのかわいすぎるおきみやげに、また泣く。いとおしい。
骨壺の大きさも選べるのだ。ぜんぶ、できるだけぜんぶ入れたいです。頭の骨が入るものを選び、ふたりで、一欠片ずつ慈しむように骨壺へ入れていった。最後の一欠片まで、連れてかえるから。
このお寺では、動物一頭、一羽、一匹ずつを丁寧に慈悲の気持ちで火葬してくれる。今どきは最新機械でちゃっとするのが主流だ。設備の整ったきれいな施設で、何体も同時に火葬される。こんなところまでも時間短縮、効率的にという考えのもと、これが作業として行われてる気がして、勝手に哀しい。
ここにしてよかった。最後まで一緒にいた気がした。
おかえり、goo。また小さくなっちゃった。ぜーんぶ入ってる小さな骨壺を抱き抱えた。
じゃあ、かえろうか。膝の上にのせた時、やっと目が覚めた気がした。この中に入ったんだ。だから家にはいない。ここにいるから。
ずっと、また一緒だ。よろしくね、goo。
また、長くなりました。書きだすと止まらない。今日も、ありがとうございました☻