母の入院。そして。。
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書籍
「いつまでもいると思うなお前の母親ーお母さん、明日、死ぬかも-」
第一章 マザコン次男の誕生
23〜25ぺ-ジより
(引用)
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【母の入院】
ひどい父親との離婚。
母子家庭での2人の子育てなど。 母は生活にさまざまな問題を抱えたのでしょう。
私が小学校低学年のころ、 躁鬱病になり、3か月ほど精神病院に入院することになります。
母が入院していたころ、一時的に、1週間ほど私は児童養護施設で生活していた記憶もあります。
そして児童擁護施設にいた兄と私を、祖母が迎えに来てくれて、母が入院しているあいだ面倒を見てもらいました。
母の退院後、国から生活保護をもらい母は私たち兄弟を育ててくれました。
幼い頃、あれだけ好きだった母でしたが、成長するにつれ、 中学生の反抗期を迎えたころから、母が好きでなくなりました。
母と、よく口ゲンカをするようになりました。
私が高校生のころ阪神大震災がおこりました。
被災した我々家族は神戸市須磨区から、隣町の垂水区に引越しました。
それから30年以上、 この垂水区の住まいで生活し、 母は最後の日をむかえます。
母はとにかく、壊れたラジオのように何時間もおしゃべりするのが大好きな人でした。
ユングの心理学でタイプ論というものがあります。
タイプ論では、 外向タイプは、心に思ったことをすぐに声にだす傾向があるそうです。
外向タイプの母は一人でいるときも、一人ごとで、ずうっとしゃべり続けることができます。
さらに10年前、20年前、30年前、40年前、50年前の昔起こったことを、さも、昨日あったことのようにずうっと、しゃべることができます。
子供から20代の年齢のときまで、母のこの永遠にしゃべりつづける性格は、辟易していました。
しかし私は40歳をすぎ、「母さんって記憶力、すごくよいのでは?」と、母が70歳ぐらいになってから気づきました。
反対に私自身はまったくの内向タイプの無口な人間。内向タイプは、心に思ったことはすぐに言葉、言語にしません。
内向タイプの私は、よく吟味して、「これはしゃべって意味があるな」と思ったことを言葉に発します。
そんな内向タイプの私でも、 高校を卒業して社会人として働きだしてから、私はよく母を非難し口ゲンカしていたと思います。
母は欠点が多い人でした。
いや息子として、親にたいして、どうしても欠点のほうが強調されて見えてしまうのかもしれません。
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(引用おわり)
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「いつまでもいると思うなお前の母親ーお母さん、明日、死ぬかも-」
著者 権祐二