武田邦彦先生はいつも神回
神回という言葉が嫌いです。
いろいろ理由はあります。
簡単にいうと
「この回は価値があったけど、別の回は価値がないね」
という、
その人の「個人的な評価」が入っているに
すぎないと思うのです。
人の評価って、
その時の、状況、価値観、優先順位、時代背景で
変わっていくと思いません?
だから、これは神回、こっちは通常回、
そいう評価はなんか嫌いです。
(どうして、こんな話をするのかというと、2500年まえに瞑想という思考実験だけで
21世紀の量子論の知見に到達していた仏教の創始者、ブッタ・お釈迦さまが提示した
概念が、この「評価関数・縁起の思想」というものだからです)
さて、
武田邦彦先生は、インターネットの様々な場で情報発信しています。
実はここ、半年ほど、武田先生の発信を視聴していませんでした。
で、歳の背の大晦日に久しぶりに
「武田邦彦のホントの話」を見ました。
「神回」という言葉が嫌いな私が
「うーん、神回だ。」とうなりました。
ただ、武田先生の情報発信を、久しぶりに見ただけなので、
私自身が、そう錯覚しただけかもしれません。
私個人の評価の良し悪しがあって、
そのなかで「これよいな」と思っただけなのです。
今回、私がひびいた武田先生の発言は、
「日本人は他人は嘘はつかないと思ってる。外国では、政府、役人・メディアが嘘をつくのは当たり前。モーセの十戒にも''嘘をつくな''と書いてない」
「残念ながら、日本人の意識に、民主主義の概念はうえついていない」
「私は自分がノーベル賞が取れなかったからひがんでいるわけではいりませんが欧米人が作った自分たちの価値観をおしつけるノーベル賞は嫌いなんです。しかし今回のノーベル物理学賞の量子論が評価された事はよいこと」
「テレポーテーションが可能か?という見出しは、私達の情報が別の宇宙に移動するという理論が、今回のノーベル物理学賞の量子論で提示されました。私が言っている''らくごう''の概念ですね」
「量子論の世界では私たちが見ている、この現実は幻想でしかないんです」
機能脳科学者の苫米地英人(とまべちひでと)博士の著書などでも、
脳と量子論の関係について面白い見解を語っています。
苫米地博士もつねづね
「私達が目に見えている現実は幻想なんだよね」と語っています。
武田邦彦先生の慧眼に、いつも頭が下がります。
ちなみに武田先生も、苫米地博士も仏教と量子論の共通する概念、「この世は幻想」
という知見を深く理解していることは、言うまでもありません。