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【Vol.3】大手広告マンが転職してリモート×地方移住を決断したワケ
まだまだ暑い日が続きますね。
初めまして、竜也と申します。
私はもともと某大手広告企業に3年間勤めた後、メガベンチャーに転職して現在5年目になります。
転職を機に東京の都心から長野の田舎に移住して、毎日自然と調和しながらのんびり暮らしています。
こんなド田舎で暮らす私のちっぽけな人生なんて誰が知りたいんだろうかとも思いましたが、私の事を書いた歩兵くんのtweetがバズって反響が大きかったと聞きました。
フルリモートのIT企業に転職して年収700万もらいながら長野のやや田舎でまったり暮らしてる友人とzoomしたんだが、自然豊かで近くの川でニジマスが釣れるとか、近所から新鮮な野菜を沢山もらえるとか、立派な一軒家建てようとしてるとか、とても幸福度高そうだった。
— 歩兵 (@gontasan1992) September 10, 2022
歩兵君の勧めもあり、東京で大手広告に勤めでキラキラした生活を送っていた私が、転職して地方に移住をした背景と、その過程で感じたことをnoteに書かせて頂くことにしました。
夢を追って長野から東京に出てきたのに、夢が破れて故郷の長野に帰ってきた情けない私の赤裸々なnoteが、同じように人生の岐路に立って悩んでいる人の背中を押すことに繋がればいいなという思いで一生懸命書きました。
是非読んでみて下さい。
私の就職活動
歩兵くんとは大学3年生の時に入っていた就活団体で知り合った同い年です。
お互い田舎出身で高校まではゴリゴリの体育会系、大学では留学に挑戦し、それぞれの経験を軸に就活をしていたので境遇が似ていました。
正直どこかライバル視もしていましたが、お互いに悩み、アイディアを出し合いながら共に就活を戦った戦友の一人です。
当時、彼が総合商社、私は大手広告から内定を受け、ともに早々に就活を切り上げて毎晩のように都心で飲み歩いていました。
2人とも内定先の平均年収は1,000万円超。「来年からめっちゃモテるだろうな。人生勝ったわ」。
真っ赤な顔で約束された未来を語っていた我々が、まさか8年後、片方は地元に帰ってリモートワーク、もう片方は長野の奥地で就業前にニジマス釣ってのんびりと生活をしているなんて、このときは知るよしもありませんでした(笑)
天狗になっていた新人時代
社会人生活1年目は順調でした。内定時代から社内で高く評価をされていた私は希望通り、東京本社の花形部署に配属されました。
いくつかの大型案件に携わり、仕事は想像通りのいわゆる「激務」でしたが、上司にも恵まれてやりがいを感じていました。
収入も大学時代の同期と比べて多くもらっていたので、とにかく調子に乗りまくって派手な生活を送っていました。
仲の良い同期らと買い物や飲み会、合コンで散財し、入った給料を100%その月に使い切る生活を送っていました。
街中では肩で風を切って歩き、その誰もが羨むような日常をインスタ載せてまわりから「お前すっかり広告マンに成り上がったな」と言われるのが当時は快感でした。
そういうのが楽しかったんです。無駄遣いをして「俺ら経済回してんな」と言い合いながら、インスタにそのアホみたいな日常を投稿して、「自分は周りとは違う」という事を噛み締める毎日でした。
こうしていま改めて振り返ると、ダサすぎてもう書いているのが恥ずかしくなります(笑)まあ、こんな感じで金遣いがとてつもなく荒かったのですが、いま思えば決して無駄ばかりではなかったなとも思えます。
あのころ金を使いまくって遊びまくったおかげで「世の中にはもっと大切なことがある」と気づくきっかけになりましたし、ハイブランドで身を固めても得られるものは「結局こんなもんなのか」と知ることができました。
じゃあ例えばあの頃散財したお金を貯金していたらいま幸せだったのだろうか。多分そんな単純な話ではないですよね。
そう考えるとあの頃の行為は決して「無駄遣い」ではなかったようにも思えます。
いまでは妻のおかげで金銭感覚はかなりまともになりました。やっぱり持つべきは堅実な妻ですね。
仕事に忙殺される日々
一方で、2年目のころから仕事は一気に忙しくなりました。
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