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【Vol.9】JTC勤務の男が「モーレツ」に働いた先にぶち当たった絶望と、そこから這い上がった家族の話
こんにちは。吉良といいます。ミドサー男子です。
今回Twitterを通じて「僕たちの転職物語」を知り、ぜひ記事を書いてみたいとこちらからお願いし、ご快諾いただきました。
前職では大手計測機器メーカーに勤務し、いまはコンサルでマネージャーをしています。
前職時代の後悔や教訓を書いていきます。
当時の私はシンプルにワーカホリックでした。
この令和の時代に信じられないかもしれませんが、朝まで仕事をして職場で仮眠、一時帰宅をして着替え、また出勤という日々を平然とこなしていました。
ほんと、よく死ななかったなといまさらながら思います(笑)
でも当然、そんな非人間的な生活は長続きはしません。身体、生活、仕事…、色々なところで綻びが生まれ、やがて平穏な生活は音もなく崩れていきます。
正直、言いたくないこと、思い出したくないとはたくさんあります。そしてタイトルから想像できる方もいるかと思いますが、家族にはたくさん迷惑をかけました。
でも、この歳になって思うのは、私と同じような道を通る人をできるだけ減らしたいということです。
仕事=人生、ではありません。仕事とは、あくまで人生という大きな世界を作り出す要素の一つに過ぎません。
その昔、私生活を顧みずに会社に身を捧げるモーレツ社員という人たちがいました。30年以上も前の話です。
もう時代は変わりました。
仕事は目的ではなく、人生を楽しむための一手段です。
今回はそんな自分のこれまでの社会人経験をお伝えし、何かの参考になれればと考え、筆を執ることにしました。
●高給、評価、人脈…全て順調のように見えたあの頃
サクッと自己紹介をしますね。
大学はMARCHを卒業後、一部上場のメーカーに入社しました。主に営業部門が長かったです。
冒頭でも書きましたが、本当にモーレツな働き方をしていました。特に仕事が重なる時期は月曜出社し、そのまま深夜まで働き、明け方会社のデスクやソファで仮眠、着替えだけのために帰宅をして再度出勤ということも多々ありました。
時には家に帰ることすら鬱陶しく感じ、予め着替えを持参して2、3日会社に泊まり込み、少し歩いたところにある銭湯を風呂代わりに使ったこともあります。
でもここまで読んでみなさん思いますよね?そんな生活よく耐えましたね、と。やりたくてやっていたのか、それとも激務すぎてそうせざるを得なかったのか、と。
私の場合は前者でした。いま思えば、平成の時代において絶滅危惧種のモーレツ社員だったのです。
この超絶激務を支えていたのは、高い給料と社内での評価でした。
前職は企業名を言えば分かる人は分かると思いますが、ぶっちゃけ一般的に見ればそこまで有名企業ではありません。
でも、福利厚生や手当はしっかりしていましたし、もらっていた給料も同世代と比べてかなり高かったです。もちろん残業時間が多かったこと分が大半を占めていましたが。
そして評価制度の尺度も非常にフェアだなと感じていました。やった分だけ評価に反映され、給料として跳ね返ってくる。自分で言うのもアレですが、私はわりと仕事を効率良くこなせていたタイプで、結果もかなり出せていました。そういったこともあり、総じて「やりがい」をとても感じていました
仕事を通じて出会った社内外の人とも強い繋がりで結ばれ、仕事が早く切り上がった日は上司などと繰り出し、時には取引先と飲んだ後、帰社して明け方まで残務をこなすこともありました。
仕事が日々の生活の軸であり、仕事を中心に物事が決まっていきました。
いやーほんと、まじで頭おかしいですよね(笑)。私もいま、これを書きながらあの頃は本当に頭がおかしかったなと心底実感しています。
そこでまた皆さん、疑問に思いますよね。
「あれ、吉良さんご家族はどうしていたの?」
はい、まさにそれが今回の話の肝になってきます。次の章で詳しく書いていきますよ。
●突然襲った「家庭の危機」
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