自分の常識に囚われているのは勿体無い気がする。
ある新築工事のお家の前で、近所の方が話されていた。
「このお家には、南面に窓がない。
こんな家はあり得ない。
どうしてこんな家を建てたんだ。住宅会社は何を考えているんだ」
この方にとって、「家の南には、窓があるべき」という常識があるんだと思う。
それは、昔からそうだと言われてきたことなんだろうな。
もちろん、「鬼門は避ける」とか、「風水としては、良くない」など、
忌み嫌われていることもあることは知っているし、それを避けた方が、住まわれる人にとって気持ちが安らぐこともあるはず。
だけど、「南面に窓がない」=「ダメな建物」と結びつけるのはいかがなものか。
南面の窓を開けると、お隣さんと目が合うのを避けているのかもしれない。
夏場の日射を防ぐことで、建物が暑くなることを避けているのかもしれない。
最新の空調があるおかげで、窓が少なくても快適な家なのかもしれない。
こうやって「かもしれない」って考えることが、自分の持つ勝手な常識によって気づかないのは、残念だし、勿体無い。
それよりも
「この家のお施主様は、どうして南面に窓のない家を建てたんだろう」って疑問に思って、想像して、でも答えを知らないくらいの状況がいいんじゃないか。
何事も、”柔軟に”、受け入れる。
意見の違う人を受け入れる。
聞いてみる。
そういった姿勢が、余白を生むし、穏やかな日々を生む気がする。
全てに正解はないし、間違いでもない。
人それぞれの考えや、解釈があるだけ。
それを、受け入れる度量があるかどうか。
僕は、そんな度量を持ったうえで、自分が穏やかな方に向かっていきたいなと思う。