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「ルール」と「不祥事」
この二つは、似ている。
遠からず、近からず。
日々のモヤモヤが、リンクした。
「ルールを守らない人」を深掘りした時のこと。
仕事上のルールがある。
内容は、
「8時から18時が現場での作業可能時間」と「日曜日は作業禁止」
この小学生でもわかるようなルールを、大の大人は守らない。
なぜだろう?、考えてみた。
ルールを定めた目的が分かっていないから?
と仮説を立てるも、「目的がわからないから守らなくていい」と考えるのは自分勝手じゃ無いのか?
そもそも、ルールは守るもの言う認識がないのではないか?
じゃ、その人は日常のルールも守らないのか?と極論から考える。
いやいや、その人は車に乗って通っているし、信号も守っている。電気を使用するのに、人の家のコンセントを使わないし、家の中に土足で入ることもない。
では、ルールを守る意味はわかるんじゃないか。
じゃあなぜ、会社が定めたルールは守らないのか。
罰則がないから?
自分勝手に解釈しているから?
ルールを守らない事が発覚し、注意をしたら、平謝りされた。と言うことは、「悪いことをしたと言う認識は持っている」と言うことになる。
さらに謎が深まる。
ルールが設けられていることは知っていて、目的は理解していないにせよ、ルールを守らないと怒られることは自覚している。
ではなぜ、その状況でも守らないのか?
(こんなことは、小学生時代から、よくある話だが、仕事上でもいまだに子供じみたルール無視をする人がいるもんだ、とある種感心する)
話は変わりますが、「不祥事」を最近よく耳にする。SNSの発達からか、メディアが取り上げすぎているからなのか、よく耳にする。
明らかな犯罪は別として、「不倫問題」や「暴言」「暴力」などでしょうか?どれも「やってはいけないこと」だと知っていてもおかしくないけど、芸能人・有名人がやってしまうのはなぜだろう。
やってしまう前に、制御できないのか。
抗えないほどの欲求や、チヤホヤがあるのか。
(同じ状況になったことのない僕には分かりようがない世界かも知れない)
「ルール」と「不祥事」
共通しているのは、「バレたらどうなるか、想定が甘いこと」にあると思う。
100%自分ごととして捉えていない。ダメなことをしている時の心のザワザワは無いのだろうか。バレて痛い目に遭うくらいなら、やめておこうというブレーキは掛からないのか。
少しだけ俯瞰してこの物事を見てみる。
「僕自身、こういったことに巻き込まれることなく、平穏でいるため」の勉強。
誰でも本質は同じかも知れない。
・今の生活が何事もなく充実している。
忙しいかも知れないが、それ以上にいいことが多く発生している
それが、偶然や運、人のおかげだと思うことが少ない
・今に感謝する
どんな時でも(いい事がたくさん起きていても)ただ足元をちゃんと見て、浮き足立たず、今に感謝する事を忘れない。
今の生活は、身近な人のお陰だと言うことを思い返すこと。
・自分勝手な解釈をしない。
悪いことを自分勝手に正当化しない。バレなきゃいいんだって、勝手に考えない。欲に流されない(SNSが原因だとしても、自分の責任)
こう考えると、僕自身を見失わない方法がわかってくる。
人のふり見て我がフリ直せ、だ!
行き着く先は、「自分の価値観をより深く認識する」ことを通じ、「楽しい」「日々の満足」を追求し、悪い方向に流される自分自身を自覚し、小さくてもいいので良いこと(善いこと)を増やすこと。
結局、自分の価値観に沿っているか。
これに尽きる。
誰しも、100%悪人になろうとはしていない。どこか、悪い自分が顔を出すだけ。そんな時にこそ、自覚が必要。
「あ、今、悪い俺出てるよ!」って気づいて、修正を掛けよう。今、平穏な日々を過ごしていることに感謝をし、誰かの喜んでくれることを願い、自分が喜んでいる毎日を過ごしていこうと心から思った。