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はじめての焼きそば

 私がはじめて食べた焼きそばは母がこしらえたものではなく、その店のものだったに違いない。生家の裏に小さな焼きそば屋があって、いつもそこで買っていたから。

 腰かけ椅子とテーブルが三つあるだけの小さな店で、厨房には鉄板しかなく、壮年の夫婦が営んでいた。おじさんは調理専門で無口な人だったが、おばさんは愛想の良い人だった。離れて暮らしているという息子は一度も見た覚えがない。

 メニューは焼きそばが大中小の三種類のみ。それぞれ、250円、200円、150円だったと思う。具がどうとかはない。皿や入れ物を自前で用意していけば持ち帰りもできる。テーブルの上に置かれたやかんの麦茶は飲み放題。持ち込みをしても許されただろうが、そんな事はしないのが常識だった。

 私は近所のよしみで(そして我が家はかなりのお得意さんでもあったので)厨房にある勝手口から注文していた。生家の裏にも続く、大人一人分の幅しかない狭い路地の途中にあって、一段低くなっている。いつも家から大皿を持って行って大を三人前注文し、勝手口の段差に腰かけておじさんが焼きそばを作るのを見ていた。

 少し時間がかかるよ、とか、飽きちゃうでしょう、とか、後でおばさんに届けさせるよ、とか言われても私はそこで見ていた。材料から焼きそばが出来上がっていくのが面白かったし、どうしてあんなに美味しくなるのか不思議だった。そのうち、おじさんも何も言わなくなった。

 おじさんの焼きそばはこの上なくシンプルだ。

 まず鉄板に、柄の長いスプーンみたいなもので油を垂らしてヘラで伸ばす。豚のこま切れ肉を一人前一つまみ落として焼く。つまり、肉はほとんど入っていない。それから大量のキャベツ。シャー、バチバチ、もうもうと湯気が立ち昇る。甘い香りがしてきたら麺をその上に乗せ、ウスターソースを豪快にかけると、ジャジャー、得も言われぬ香りが満ちる。後は混ぜながら炒めていき、最後に刻んだ紅ショウガを散らして完成。青のりはお好みで。

 町内はもちろんのこと、町外にまで知られた密かな名店だった。わざわざ車で買いにくる人もいるほどで、いつでも食べられるなんて羨ましいとよく言われた。美味しかった。

 しかし私には最後まで、おじさんの味の秘密がわからなかった。一体なにがあの美味しさを生み出していたのか。

 麺はビニールの袋をばりばり破いて出しているので市販のものに違いなかった。ではソースが特別なのかと聞いてみたが、業者から一斗缶で買っている普通のものだと言う。ならばキャベツか、ほんの少し入っている肉か、油か。どれも特別なものには見えなかった。

 母は「鉄板で焼いているから」だと言った。まあ、存外その程度のことかもしれない。

 その店が閉まったのはただ、時が流れたからだった。おばさんが先に亡くなり、客は厨房に顔を出して直接注文しなければならなくなった。少し客足は減ったが、それでも数年続いた。やがておじさんも老いて、店を閉め、息子夫婦の家にいくことになった。

 最後の営業日、私はいつものように皿を持って買いに行った。もう段差に腰かけて待つほど子供ではなかったから、店内で待っているとおじさんが持ってきてくれた。

「作るところ、いつも見てたね」無口なおじさんが珍しく話しかけてきた。「飽きもせず、変わった子だなと思ってた」

「面白かったんです。もうおじさんの焼きそばが食べられないなんて寂しいです」

「見たまま、自分で作ればいい。特別なことはしてない」

 短いやり取りをして店を出た。家までは一分とかからない。皿越しに伝わる焼きそばの熱が永遠に失われなければいいのに、と思った。

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