タイトル

はじめてのコーラ

 はじめてコーラを飲んだ時、事前に「まだ炭酸は早ぇかなぁ。シュワシュワするからな」と言われたのだが、シュワシュワするというのが感覚的に理解できていなかったため覚悟のしようが無かった。

 だから舌を刺すような刺激に、幼い私はびっくりして泣いてしまったのだった。

 この話をすると、いつの時代の人間なのかと思われるかもしれない。同居していたおじいちゃんは身体が弱くて兵士になれなかった事を恥じていて、まるで戦争が続いているかのような人だった。「アメリカのものには日本人の脳や骨を溶かす薬が混ざっている」と本気で言っていたし、両親もそれに従って禁止していた。

 もちろんポテトチップスもダメだったので、私は味付け海苔で代用した。パリッという食感が似ていて味も好きだったのだが、母は幼い私が味付け海苔をかじっているのを見るといつも胸が痛んだと後になって聞いた。

 閑話休題。

 はじめてのコーラは貰い物で、神社の参道にあるツツジの蜜を舐めていたら生垣の向こうに住むおじさんがくれたのだった。私が泣き止むのを待って、「もったいねぇから全部飲め」と炭酸が抜けたコーラを押し付けてきた。恐る恐る口にすると、まだ少しピリピリ感は残っていたものの甘くておいしかった。

 当時、神社の参道脇にツツジの垣根を挟んでトタン屋根の小屋が長屋のように連なっていた。大人なら屈まなければ入れないほど屋根は低く、広さは四畳くらいだろうか。おじさんはそこに住んでいた。おでんの屋台を引いていたから、そのコーラは商品だったのだろう。

 その後も時々、通りかかると「コーラやろうか」と声をかけてきたので遠慮なくもらった。飲む間、おじさんは小学校の話を聞きたがった。他愛のない授業の話や先生への愚痴や友達との喧嘩などだ。

 友達を連れてきてもいいかと訊くと、「いいけどコーラは一本しかやれねぇから、喧嘩しねぇように分けんだぞ」と言ってタバコを片手に笑った。

 この話はやがて両親の知るところとなり、ある日、母から「あそこには近づかないように」と注意された。おじさんに声をかけられても断りなさい、とも。だから私は「コーラやろうか」と言われても断るようになり、やがておじさんも声をかけて来なくなった。トタン屋根の長屋に、大人たちは子供を近寄らせたくなかったのだろう。

 あの人たちはどこへ行ったのか。今では、きれいさっぱりなくなっている。

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権田 浩
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