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映像と音楽の同居について

タイトルでかっこよく言ってみたが単にテレビを観ながら音楽をつけていることについてという事である。

小さい頃からラジオで育ってきた私にとって、テレビとは滅多に観られるものではなく、ましてや音楽を流しながらなど言語道断、テレビ正面30cm前正座という基本ポジションを確保しエンドロールまで瞬きせずに観るものであった。

それがどうだろう、齢37にもなると(いや昨今テレビというものの存在のあり方も変化してますけど)テレビなんて垂れ流しの産物、唯一集中する時なんて朝のめざましじゃんけんの5時58分、6時58分、7時35分頃、7時58分の4回くらいである。あ、そういえば2日前からは甲子園の歓声の音にも反応するようになった。成長。

テレビを観させてもらえなかった理由は、看護師の母がどこかのお医者様から仕入れてきた「テレビを観せるとバカになる」という情報からだった模様。いや実際は「テレビは想像力が育たなくなる」だったか。とにかく初めての妊娠でお腹も頭も大きくなっていたマイマザーはそのお医者さんの言うことに従い、当時バカでかかったテレビを押入れの下に隠してしまった結果、ひたすらお絵かきか絵本、それ以外は外に出てケンカか妄想するしかないというなかなかバイヤーな人間を生み出してしまった。ちなみに漫画もゲームも禁止されていたもんで、もうそうなるとこっそり買うしかないですよね。お年玉もお小遣いも全てこっそり漫画、通称コソマンとコソゲーにつぎ込んだ幼少時代、いや大学で家を出るまで続いたなぁ。一ヶ月ぶりに出張から帰ってきた親父の財布から金をくすねたこともあったな…フフフ本当クズ。

そしてテレビを観せてもらえなかった結果ついた仕事がテレビっていう、もうバカ。私にかかれば親の教育なんて全て反面教師、クズの極み。

思わぬ形で自分のクズぶりに気づいてしまったがまぁいい。昨日今日でテレビをつけながら音楽を流しているが、これはいい。情報がたくさん頭に入ってくる。時間が過ぎるのが遅い。妄想が捗る。つまり仕事も捗る。昨日だけでたくさんの仕事が進んだ、と思う。

テレビがついているとついテレビをチラ見してそれもめんどくさくなってケータイをいじって2時間経過だとか、逆に音楽だけを聴いているとその曲の歌詞だったり「他にいい曲ないかしら」なんてApple Musicの全世界5万曲の中から無限地獄の探し物が始まるところだが、そのどちらにも引っ張られない「自分の仕事」に向き合うことが出来る。これは大発見である。未来の自分から「おめー大した仕事もしてねーくせに偉そうになんや!」という声が聞こえそうで怖いが2019年夏の私はこんな感じでした。

問題は、これをやれてるのが自宅という件。

会社ではこうはいかない、何よりテレビが遠い。テレビの仕事してるとテレビが常についてるのがデフォルトであるが、私の席からは首を左に概ね75°ほど傾けないと観られない、そしてさらに遠くて音も聞こえない。

私の手持ちは会社のデスクトップWindows、作業用のMac Book Pro、iPhone XR、そしてボロボロのiPhoneSE。本日8月8日(あ、結婚記念日だった、小泉進次郎と滝クリ様と同じになっちゃった)をもって、ダメ人間からいわゆる「東京で働くちゃんとした人間」になれるべく、まずはどうにか会社のデスクにテレビを調達するところから始める事にする。

なんか書いてて本当ダメ人間なんだなって思いました。

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