SNSから見る幸せの相対化社会~インスタ女子って大変そう~
まず大仰なタイトルをつけているが、今回のテーマは客観的事実が中心的主題ではないことをお断りして置きたい。あくまでも東京在住の陰キャラ男子大学生の視点であり、これが断定できないということを前提に話を展開したい。また、副題のインスタ女子を貶すつもりはない。
1.きっかけインスタ疲れ
こんな記事を書こうと思ったきっかけは私自身がインスタグラムを始めたからだ。今まで私が主に使っているSNSはTwitterが主だったが周りに使っている人がいたので、私も使い始めてみたのだ。そして他の人が投稿している写真を見て思ったことが
みんな充実してるけど、こんなに写真取ること俺にはねぇな~
と思ったのである。それ以来飲食店に入った時人の行動を見てみたりしてインスタを使いこなしてみようと四苦八苦していたのだが、疲れてしまった。インスタ映え(インスタに投稿するのに映える写真)する写真を取るのは大変だ。流行りのタピオカの店に行って行列に並び、ジュース数本分の値段のするタピオカを写真を取らねばならない。食事のときにも写真の角度や画像の加工を行う。恋人を匂わせる映画のチケットの半券二枚を取ってみたり…といったような結構な労力をみんな使ってるようだ。しかし、イケてる(俺基準)と思う女性陣はこんなことは造作もなくやってのけ100近いいいねをもらっている。諦めた私は数日以内にインスタ戦線から撤退し、Twitterと2ちゃんねるへと帰った。
2.SNSの種別
ここで考えてみたいのがSNSごとの特徴だ。私はTwitterは使いやすいと感じたが、インスタは使いにくいと感じたのか。そこで主観ではあるが各SNSを分析してみた。
Twitter
: 年齢層中 公度低 現実との乖離度高
若年層から中高年まで多くの人が活用。趣味垢や本垢など使い分けが多い。また、本名を出さずネットでの人格を形成している場合も多い。割と陰キャ多め?SNS版2ちゃんねるのような感じがする。
Facebook
:年齢層高 公度高 現実との乖離度低 中高年層が多め。もともとの性質上本名でアカウントを運営している場合がほとんど。海外旅行の報告や結婚、同窓会などパブリックなイメージ。わかりやすく言えばネットで使える年賀状、暑中見舞いみたいな。(わかりやすくないかも…)
Instagram
:年齢層低 公度中 現実との乖離度低 若年層多め。写真や動画を共有するという性質上上記のような見栄えが重視されるのかもしれない。こちらもTwitterと比べれば、本人のパーソナルな部分とつながっているアカウントのことが多い。陽キャ多め。
とこのように私は感じている。なおLINEなどは個人同士やある特定のグループ間でのコミュニケーションを目的としたある種クローズドなSNSは除いた。
さて、ここで各SNSの違いからなぜ私が同じSNSでもインスタが苦手かが分かった。みんなに共有していいねされるような写真普段とらないんだ…いや、普段撮れないんだ…
そこでみんなってそんなに毎日充実した写真撮ってるの?リア充なの?リア充ならネット使ってそれを表明しなくてもよくない?現実からの逃避としてネットを使ってきた古いタイプの私は色々な疑問が湧いてきたのである。
3.幸せ競争社会
SNSにおける幸せの競争が起きてるのではないかと感じる。普通人間の幸せといえば相対的なものではなく、絶対的なものと考えがちだがそうではない。周りがみんなお金持ちだらけだったらあなたは幸せだろうか。子供のころ周りの子がゲームを持っていることをうらやましがり、親にねだった経験はないだろうか。人間は常に周りと比較して、どの程度の位置づけかを測りながら生きている。(社会性を持っている生き物だから当たり前の話だが。)その周りが現代社会においてはインターネットというツールを使って、肥大化している。古代であれば隣の村、そのまた隣の村までが世界の限界で、今のようにコミュニティは決して広くなかった。しかし、現代においては世界中の人がつながりを持ちコミュニティは広がりを見せた。
面白い話として、「六次の隔たり」という話がある。知り合いの知り合いの知り合いの…と続けていくとおよそ6人知り合いをたどれば、世界中の人々がつながっているという話である。1人の知り合いの数を重複しない44人と仮定して、44の六乗=7,256,313,856人となる。地球人口は国連の推計(2011年)では約70億人でありおおよそ上記の計算上の人間をほぼ内包している。水曜日のダウンタウンでもこの話の検証を行っていて、通行人から知り合いをたどって見事松本人志さんにつながっていた。これがSNSになると数値はさらに縮まるようで、Facebookがアクティブユーザー・15億9000万人を対象に調査を行いおおよそ「3.5次」の隔たりになることを発表した。
(https://gigazine.net/news/20160205-degrees-of-separation/)
幸せの話に元に戻すと、昔の比較対象していた人数よりも明らかに多くの人の幸せと自分の幸せを比べる世界になりつつあるのだ。そのプラットフォームとしてもSNSは活用されている。ある人が充実した写真をアップロードしたらそれに負けじと自分も日常の充実した写真を上げる。基本的に人に見せる写真というのは、きれいな、良い一面であることのほうが多い。皆さんの周りであくせく働いている日常をインスタにアップしている人はいるだろうか。中にはいるかもしれないが多くの場合自分の苦しい場面は人に見せないようにするだろう。そうなるとSNS上は楽しい場面が氾濫を起こす。みんな楽しそうに見える。ああの子は楽しそうでいいな。それに比べて自分は…というような幸せの相対化が行われるのではないだろうか。これが私の感じたやりにくさなのかもしれない。これを日常的に行っている人たち、象徴的に副題に挙げたようなインスタ女子を私は心から尊敬をする。とともに大変だろうなぁと感じる。皆さんも幸せ競争前線から一度身を引いてみると案外楽かもしれない。
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