「帰還兵はなぜ自殺するのか」と「戦場における人殺しの心理学」読んで



1-1.「帰還兵はなぜ自殺するのか」について
 「帰還兵はなぜ自殺するのか」はデヴィッド・フィンケルによって著されたものである。デヴィッド・フィンケルはこの本の執筆前にアメリカ陸軍の第16歩兵連隊第2大隊を約1年間取材し、「戦場で兵士は何を見たのか」という本を執筆している。本書が書かれたこの取材の時に出会った兵士が本国に帰還後、精神的な不調に苦しんでいると知らされ再度元兵士への取材や家族、軍医療関係者などに取材を元にこの本は書かれている。
 4人の兵士と1人の戦死した兵士を中心に帰還後どのような困難があったか取材の上で構成されている。

1-2.戦争の傷
 登場人物で生還した4人は戦争による何らかの疾患を抱えている。最初の登場人物アダム・シューマンはPTSD とTBI を患っている。「だれもが魅力を感じ、応援したくなる男で、頭が切れて、親切で、高潔で、勘がいい男」と評されていた彼は3回目の派兵で重度のPTSDと診断され軍を退役する。印象的であるのが、「とても気に入ったね。銃撃戦でいつ撃たれるか分からない状態ってのは、最高の性的興奮を覚えるんだ」 と豪語していた人物がこのような状態に陥るということだ。退役後アダムは自殺願望を抱きショットガンで自殺未遂も起こしている。彼を支える妻も戦場へいって変わってしまった夫の向き合い方に悩んでいる。
 次の登場人物トーソロ・アイアティは爆発に巻き込まれた車両から戦友を救えなかったことを夢に見て苦しんでいる。「どうして俺を助けてくれなかったんだ」と炎に包まれながら責める戦友の悪夢を数日おきに見ている。PTSDが原因で彼はアルコールや睡眠薬などに依存してしまい自殺願望も持つようになる。
 3人目の登場人物、ニック・デニーノは派遣先で民間人に対して暴力行為を働いたことと戦友の死について精神を病みフラッシュバックに苦しんでいる。軍の治療プログラムの中の座談会では帰還兵が様々なトラウマと帰還後の苦しみに直面している事がわかる。PTSDに苦しむ兵士の座談会では自らへの家族の不理解や戦場のトラウマに彼らは戦争のあとも苦しみ続けていることが見て取れる。妻が理解を示してくれる元兵士がいれば、「あんたは軍隊に入る誓約書に署名したときに、どんなことになるかわかってたんだから、あたしは気の毒だなんてぜんぜん思わない。」 とかなり辛辣な反応を示された元兵士もいた。
 このように帰還兵は戦場でのトラウマと戦争が終わったあとも戦い続けている。一方で、帰還兵の妻たちも出征前と変わってしまった夫に対してどう向き合えばいいか悩んでいる。アダムの妻の言葉が非常に印象的であった。「私の気分が日毎に変わるの。あの人は本当に病気なんだと思うんだけど、翌日には、もうやめて、いい加減元気になって、しゃきっとしてよ、って思う」 トラウマに向き合う家族の葛藤がこの言葉によく表されている。戦場の傷は残り続けている。

1-3. ペンタゴンの自殺防止グループの会議

 軍においても兵士の自殺に関しては問題視しており、対策を練っていた。派兵経験の有無、自殺の状況、自殺可能性のリスク評価など様々な観点から兵士の自殺が事例として分析されていく。既婚兵士は自殺しにくく、派兵を繰り返された兵士の自殺率は高いなどある程度の傾向はわかるもののこれに対する対策や原因を理解するまでにはなっていなかった。治療のための方策は月ごとの自殺数の減少などによって一定の効果を見せるが、根本的解決にはならない。このように軍としても自殺に対して問題視しているものの兵士の自殺に対する明確な対策を取れずにいることがわかる。

1-4.帰還兵の苦悩
 
 帰還兵が直面する困難は精神的なものだけではない。軍を退役している場合、収入が減少し経済的な苦境にも立たされる。登場する人物は出征時若者だった。しかし、戦場においてPTSDなどになり普通の状態ではなくなってしまった。若くして人生を戦争に狂わされたと言っても良いだろう。兵士たちの多くが貧困層出身であり、戦争中は軍人として任務を果たしていたが、遭遇した爆発等による外的な脳障害、 戦場の狂気を目にした、手にかけた戦場の状況による精神的な爪痕が残った。帰国後社会に適応できなくなり自殺を選んだり、 治療で薬づけにされたり、家族へDVを働くようになる。また、もともと経済的苦境から軍に入隊したものもいるがその軍から除隊してしまえば再び経済的に苦しい状況になる。彼らを支える家族も本人からのDVや様変わりしてしまった彼らとの向き合い方に苦悩している。
戦場を経験した兵士の自殺や精神的な疲弊は現代軍にとって問題として捉えられている。本書の記述からは脱線するが、日本においてもイラクへ派遣された自衛隊員の自殺が問題視されている。戦場と言う特殊環境が人間に与える相当の負荷への理解と分析は途上段階であり、非常に困難な課題であると言える。

2-1「戦場における人殺しの心理学」について
 本書は心理学者・歴史学者でもあり、当人も軍人であるデーヴ グロスマンによって書かれたものである。人間は本来的には同類を殺すことへ抵抗がある。しかし、軍隊はその人間の本能的な抵抗を抑圧し、殺人を積極的に行う異常空間へと兵士を送り込む。その軍隊の教育プロセスと兵士が如何に戦場という現場でどのような心理状況にあるかを書いたものである。
 本項においては兵士の心理上の負担とその分析の一助として本書の記述を見る。

2-2 殺される恐怖と殺す恐怖
 人は一般的に同族である人間を殺すことに抵抗感が存在する。これは戦場においても同様であり、例え自分を殺しに向かってくる「敵」であってもその傾向は変わりない。本書においてはその事例を以下のように記述している。
・第二次大戦中、敵との遭遇戦でライフルを発砲できた兵士は15から20%で、発砲しなかった兵士は逃げた訳ではなく、戦友の救出や武器弾薬の運搬など(より危険な仕事を)を行っていた。
・人間に対しては「威嚇したい」「危害を加えたくない」という欲求が生まれ、兵士は敵の頭上に向けて発砲する。P54 訓練時に比べて南北戦争時代の兵士の命中率は恐ろしく低い。
・南北戦争時、戦場から回収されたマスケット銃27575丁のうち、24000丁は装填されたまま、12000丁には複数の弾丸が装填されていた。
以上のような事例から鑑みても戦場における兵士は一般的に敵に殺害される可能性があったとしても人間(敵)を殺害することに相当の抵抗が存在する。

2-3 戦場が与える精神的負荷
 言うまでもなく、戦場という異常空間が人間に与える負荷は甚大なものである。「帰還兵はなぜ自殺するのか」の帰還兵たちを見てみても戦場における加害行為・戦場における被害などが直接のトラウマとして、長期間彼らに与えた戦場の圧迫感が人間を壊してしまうことは明らかだ。
・軍隊生活のストレスが原因で心身が衰弱する者、すなわち精神的戦闘犠牲者になる確率は敵に殺される確率より常に高い。戦闘が6日間ぶっ通しで続くと兵士の98%がなんらかの精神的被害を受ける。残りの2%に共通する特性として、<攻撃的精神病質人格> の素因を持つ。
本書において兵士が精神的に摩耗し、精神的困憊状況になるプロセスを客観的視点から記述している。まず戦闘状況において精神的戦闘被害になると心身の疲労が極度に達し、この状況で戦闘を強要すると兵士は虚脱症状を起こしてしまう。また、ヒステリー症状に陥ることもある。有名な減少としてシェルショック等が分類されると思われる。
次の段階に至ると錯乱状態に陥り、自分が誰かわからなくなるなど躁鬱状態になる。しかし、このような状況に兵士が陥るのは負傷や死への恐怖が直接的原因ではないようだ。
・死と負傷の恐怖は戦闘の精神的被害の最大の原因ではない。空襲をすれば兵士よりも鍛えられていない民間人は大量に精神的被害を受ける(発狂する)と考えた、
・精神病者は大して増えずに、むしろ闘争心を奮い立たせる結果となった。
このように訓練されていない一般市民に対して都市爆撃を行ったとしても戦場における精神困憊状況に陥らせることはできなかった。また、敵を直接殺傷する機会の少ない将校・衛生兵などは精神的被害に陥りづらい。
 兵士が精神的ダメージを受けるのは極限状況である戦場からダメージを受けている。
・戦闘時、交感神経系は行動に必要なエネルギーを全身から動員し、いま必要ない活動は放棄する。たとえば膀胱の制御で失禁する。体に無理をさせているので危険と興奮が去ると揺り戻しが起こり、虚脱感と猛烈な眠気に襲われる。  
・このため、勝利の直後が最も危険で、戦闘では常に元気な補充兵を維持しなければならない。戦闘終了→揺り戻し→反撃に対して無力、なので、戦闘状態を維持するためには敗走する敵を追うことになる。興奮と揺り戻しが何度も続くと疲労困憊から虚脱に陥る。
 この極度の戦闘状況と平常状態への離脱を繰り返すと非常に兵士は疲弊する。士気は有限の井戸であると著者は評しており、歴戦の兵士よりも新進気鋭の兵士のほうが戦闘において積極的であることもこのことから起因する。
 以上のように兵士は死や負傷への恐怖というよりは、戦場という特殊環境における負荷が兵士を壊してしまうのである。

2-4 敵との物理的距離
  敵を殺傷することは上述したように大きな抵抗感と兵士に感情的な負担を強いるものである。この殺傷するに関しても物理的な距離と手段が兵士の心理状況に影響する。
  特定個人に対する意識的殺人がポイントであり、敵が倒れても「誰の弾が当たったのか分からない」中距離戦闘では、曖昧な否認が可能である。「自分がやったのかどうか分かるもんじゃない。他のやつかもしれない」殺人体験を問われた退役兵の典型的な回答であると述べている。逆に銃剣などによる刺突による近接殺傷を兵士は咄嗟に銃床で殴打するなど回避する。また、より相手との距離が近い刃物による殺傷において刺突よりも切ることを兵士は選択しやすい。古代ローマにおいても兵士が刺突しないことを問題視していたようだ。更に殺害する対象の顔が認識できるかどうかも重要な点である。銃殺する際に処刑対象にフードを被せる行為も殺害を容易にしている。また、敵が背を向けて敗走している場合にも殺害が容易になる。事実歴史的に戦闘において敗走中が一番甚大な被害が出やすい。
2-5 敵との精神的な距離
  長く敵と近距離で接していると心理的距離も縮まり、敵の殺害のハードルが高まる。著名な例としては第一次世界大戦、西部戦線におけるクリスマス休戦などが挙げられる。このような心理的距離の接近を避ける為に敵に対して蔑称をつけ人間として扱わないようにすることもある。殺人を行う場合、敵の人間性の否定が効果的である。ナチス・ドイツにおける虐殺においてもユダヤ人等への人間性の否定が行われている。一方で捕虜となる場合は相手の人間性を認め、その生存を許さなくてはならない。このような転換は困難な場合がある。敵の機銃弾幕を掻い潜り、その時点で機銃手が投降した場合であっても5割が殺害されてしまう。

まとめ
  2項で見たように戦場という特殊環境下においての殺人は非常に兵士に負担を強いる。これは元来人間が殺人に対する抵抗があるためである。加えて、敵との精神的・物理的環境によってその負担度合いは強弱がある。
  以上のような点を鑑みると、1項のような帰還兵の状況は不思議ではない。戦場における敵への殺害や味方の死、戦闘という極限状況に置かれた人間は精神的に困憊しこれが反復された場合人として壊れてしまうのだ。

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